2017年6月26日 科学反応
高校1年生を相手に50分の講義を3回する。こんなことが自分の人生に起こるとは思わなかった。海外を飛び回る仕事をする、なんてことも想定していなかったわけで、何が起こるか分からないのが人生である。
ボクは基本的には降って来た仕事は断らない。何かの「縁」だと思っている。そうやって歩いていたら、こんなところまでやって来た。不思議なものである。
キャピキャピと高校生が騒いでいるのを休み時間に眺めながら、ジェネレーション・ギャップを感じる。外から招かれた講師を相手に、タメ語で話しかけてくるし、内輪の世界でゲラゲラと楽しそうにふざけて、「始めますよー」と声を掛けても、全ッ然、すんなりと授業が始まらない。それでいて、授業の最後に「今日の講義でレポート書けそう?」などと気を回してみたら「ほら! もうこんなに書けた!」などと屈託なく笑って見せてくれる。ただ講義で喋った内容を書き写しているだけなのだけれど、それで『レポート』になってしまうのだから、高校は平和である。まあ、高校1年生なんて、ちょっと前は中学生なのである。
彼らが聴いている音楽ってどんなだろう。彼らが読んでいる漫画や小説ってどんなだろう。テレビは観るのだろうか。Youtubeの方が馴染みがあるのだろうか。全ッ然、想像ができない。でも、こういう若い感性と触れ合ったら、色んなことを学べそうだな、と思う。そういう意味じゃ、学校の先生って楽しいだろうな、と思う。
でも、その一方で、ボクの対応をした先生方はみんな、視野が狭く、凝り固まっていて、ダメダメだった。ボクが社会で働いていて、その視点で高校生と触れ合うからこそ、何らかの化学反応が起こるのだろう。毎日、高校生を相手にしていると、若い感性に刺激されることは少ないのかもしれない。逆に外の世界と触れ合ったときに、先生たちも何らか、感じるところがあるのだろうし、そうであって欲しいな、と思う。そういう意味では、こういう異文化交流みたいなものは、大きな意味があるのだろう、と思うがいかがか。