2021年4月27日 意思決定の主体を誰にするか問題。

意思決定をするときに、その主体を誰にするかはとても重要だ。

たとえば、こちら側で予め案を作成して持って行くのがふさわしいときがある。「結局、お前はどうしたいんだ」と会議中に問われるようなら、多分、こちら側の方で、事前にもう少し方向性を決めて臨むべきだったのだろう。

逆に相手側に主体性や責任を持たせたいときには、こちらであまり詰めないで、相手の裁量権に任せてみる。そういう必要性もある。たとえば「この条件に合致する適切な人材を選んでいただきたい」みたいな議論のときに、こちらで人選ができていて、コントロールしたいときには、こちらで例示みたいな形で案を出すことも必要だが、でも、大抵、それはうまく行かない。「そっちで勝手に決めるな」と言われる場合もあるだろうし、「そちらがそれでいいなら、どうぞ。でも、あなたが選んだんだからね」とプロジェクトの成否に対して他人事になってしまう場合もある。

本来、組織として一丸となってプロジェクトを進めることが必要で、決して、他人事にしてはいけない。だから、相手側に主体性や責任を持たせるしくみが必要になる。「この条件に合った適切な人材を選んでいただきたい」という議論のときに、相手側がより主体的に考えて、人選に関与することが、無関心の回避につながる。その一方で、完全に相手任せにあいて、ババを引くこともあるわけで、そのさじ加減が難しい。腹の中に自分の案を準備しておきながら、ギリギリまでそれは外には出さずに、相手が自ら決めているように議論を進め、自分の案に向かって、徐々に誘導していくのが、本当は、最良のやり方なのだろう。

そんなことを戦略的に考える必要があるときに、身内に「あの人、仕事のことは分からないけど、話してみたらいい人だったから、あの人を出してもらう?」とか言って、調整を始める上司がいると、辟易する。プロジェクトは仲良しこよしのお遊びじゃない。成果が求められている。「いい人」で成り立つわけじゃないのに……。