2015年12月4日 信教の自由
基本的人権のひとつに「信教の自由」というのがある。自分の好きな宗教を信仰する自由と、布教や礼拝などの宗教活動に参加する自由と、宗教団体を結成する自由のこと。引っ繰り返せば、特定の宗教の信仰を強制されない自由と、特定の宗教の宗教活動への参加を強制されない自由がある。要するに、何を信じてもいいし、何を信じなくてもいい、ということ。自分の信仰も保証されるし、他者の信仰も尊重しなければならない。
ムスリムやムスリマ(女性形)は1日に5回もお祈りをする。「صلاة(サラート)」と呼ばれている。日本語では礼拝。また、イスラームの祝日である金曜日には、5回のお祈りのうち最低1回はモスクを訪れ、お祈りをすることになっている。ラマダーンになると断食が始まるし、食事もハラールじゃなきゃダメなので、ものすごい制限が課される。
そんなわけで、ムスリムやムスリマの大勢いるような国でプロジェクトを進めようとすると、大変である。まず、お祈りの時間は日の出、日の入りなどで決まるため、季節と場所によって異なる。ボクにはいつお祈りが始まるか分からない。だから、うまくスケジュールを決められないし、事務所を訪れてもお祈りタイムに突入すると、みんな、席を外している。金曜日になれば、いつの間にか、モスクに行ってしまうので、ほとんど作業はできない。ラマダーンになると集中力は低下する。
そんなわけで、プロジェクトが遅れていても、トラブルがあっても、信仰心に篤い彼らはお祈りに勤しむ。「こんなヤバい状況なんだから、お祈りなんかいいじゃないか!」というのは、冒頭で書いたとおり、信教の自由に反する。自分の信仰も保証されるし、他者の信仰も尊重しなければならない、というわけだ。
いろんな宗教があって、いろんな習慣や文化があるわけだけれど、決められたルールや儀式的な活動が多いと、その宗教に属していない部外者は勝手が分からないし、いろんな感情的な衝突も生じる。例えとしてはイマイチだけれど、喫煙者が仕事中にしばしば抜けて一服するのに、禁煙者は休憩ができないからおかしいじゃないか、と揉めるような、ざわざわとした小さな感情の衝突みたいなものが生じる。イスラームって、結構、ルールが厳しいので、一緒に生活すると、大変だ。プロジェクトを進めながら、必死に彼らの生活習慣やルールに慣れようとするわけだけれど、外側から見ているだけでは、分かり合えない。
本日は金曜日。スペシャル・フライデー。あまりに成果が上がらないので、プロジェクト・メンバが激怒。午後に強硬に作業を進めようとして、「午後はモスクでお祈りだからダメだ!」と他のメンバに諫められていた。相手の宗教を尊重することは、なかなか難しい。
ちなみにナイジェリアのクリスチャンはいいところ取り。日曜日はお休みで教会に行くが、金曜日もムスリムと一緒になって「スペシャル・フライデー」を満喫している。そのくらい大らかでもいいのかもしれない。