2015年10月13日 「くじら座問題」と「ティアマト≠ドラゴン問題」

ツクル君はイヤイヤ期に突入で、何を言ってもまずは「やや!」と言って拒否する。「ご飯食べるよ」「やや!」「お風呂入るよ」「やや!」「服着るよ」「やや!」「歯、磨こう」「やや!」「ねんねするよ」「やや!」。まったく困ったものである。夕餉から睡眠までの毎日のルーチンワークが地獄のようであることよ。

* * *

さて、近藤二郎さんの『わかってきた星座神話の起源 古代メソポタミアの星座』を読んでいる。星座と言えばギリシア・ローマ神話だけれど、その起源が、実はメソポタミアに遡れる、という視点でまとめられた本。たとえば「山羊座」と言えば上半身が山羊、下半身が魚の怪物だけれど、実はメソポタミアの水神エンキの象徴である上半身が山羊、下半身が魚の怪物スフルマシュに由来しているとか、「乙女座」が麦の穂とナツメヤシの葉を持っているのは、実はメソポタミアでは「畝」と「葉」という2つの星座だったとか、その内容は興味深い。でも、この本では、ボクがずぅっと懸案にしている「くじら座問題」は、結局、解けなかった。

「くじら座問題」(とボクが勝手に命名している!)というのは「くじら座の起源がメソポタミアのティアマトだ」とする説の真偽だ。そもそもの「くじら座」というのは、ギリシア神話では、ペルセウスとアンドロメダーのエピソードに登場する「海の怪物」のこと。簡単にあらすじを紹介すると、あるとき、エティオピア(現在のエチオピアとは場所が異なる!)の王妃カッシオペイアが調子に乗って「私はネーレーイス(海の精霊)たちよりも美しい!」などと自慢したため、ネーレーイスたちが怒って父親の海神ポセイドーンに「何とかしろ!」と泣きつき、ポセイドーンは海の怪物(ケートス)をエティオピアに差し向けた。困ったエティオピア王のケーペウスが神託を立てると、この怪物を鎮めるためには娘のアンドロメダーを差し出さなければならないという。そこで岩に王女アンドロメダーを縛り付けて怪物に捧げていたところ、ちょうど通りかかった英雄のペルセウスが怪物を退治して、アンドロメダーと結ばれた、めでたしめでたし、というお話。で、ここに登場する海の怪物(ケートス)を星座にしたのが「くじら座」、というわけ。ちなみに、このエピソードに登場するケーペウスもカッシオペイアーもアンドロメダーもペルセウスも、みんな星座になっている。

で、「くじら座問題」。インターネットで「くじら座」を検索すると、どうしてだか「海の怪物の名前はティアマト」と書いている頭のおかしいウェブサイトが大量に引っ掛かる。ん? ティアマトはアッカド神話の登場人物で、ギリシア神話には登場しないし、残念ながら(というほど残念ではないが)ボクは「海の怪物(ケートス)」の固有名詞を記載しているギリシア語文献に出会ったことがない。「海の怪物の名前はティアマト」という記述は間違いである。

もう少しだけましなウェブサイトになると「くじら座はメソポタミアではティアマト座」と書いてある。でも、ボクはこの出典がよく分からないでいる。そういうウェブサイトによれば、どうやら「ペルセウス座はメソポタミアではマルドゥク座」だったらしく、メソポタミアでマルドゥクがティアマトを退治した神話が、ギリシアではペルセウスがケートスを退治した神話になっている、ということらしい。バビロニアの主神マルドゥクが、単なる英雄に格下げになってしまうところには哀愁は漂うが、一見すると面白い解釈だ。でも、これ、本当なのだろうか。これがボクの掲げる「くじら座問題」だ。ずぅっと、いろんな本を読んでいて、この出典がよく分からない。

そもそもの近藤さんの本では、ペルセウス座に該当するところに記載があるのは「Old Man」であって、マルドゥクではない。くじら座に該当するところに至っては何の星座もない。つまり、古代メソポタミアの時代に、マルドゥク座とかティアマト座があったような印象が全ッ然、感じられない。それなのに、インターネット上には「くじら座の起源がメソポタミアのティアマトだ」という言説で溢れているのである。これ、何なのだろう。何の本が出典なのだろう。実は、英語で同様のキーワードで検索しても、同様のサイトがちょこちょこ引っ掛かるので、どうやら、これは日本だけで展開されている言説ではないようだ。

何故、ボクがこんなに「くじら座問題」にこだわっているのか、というと、この「くじら座問題」が、ひいてはtoroiaさんが提唱している「ティアマト≠ドラゴン問題」にも関わってくるからである。アッカド神話に登場する「ティアマト」は海水の女神さまで、多くの神々と怪物を生み出した母である。ところが、うるさいという理由で息子である神々を滅ぼそうと画策し、マルドゥク神に倒され、その身体は引き裂かれて、この世界の礎にされる。ちょっとウェブサイトで検索すると、ティアマト=ドラゴンと説明したサイトがたくさん見つかると思う。実際、ゲームなどではドラゴンとして描かれる。ところが、楔形文字の文献を見ても、容姿に関する記述はないし、「これがティアマト!」という絵も残されていないので、ティアマトがドラゴンであるという根拠は、実のところ、どこにもない。それでも、何故か巷ではティアマトはドラゴン、という言説が流れている。海外でもそう。でも、普通に神々を生み出した女神さまなので、人間の姿ではないか。

さて、ここで「くじら座問題」が重要になる。もし仮に「くじら座の起源がメソポタミアのティアマトだ」ということであれば、ティアマトは海の怪物であり、ドラゴンのような姿だったと想像されていた可能性が高まる。でも、残念ながら、ボクはこの説を支持する文献に出会わない。出会わないのに、巷では「くじら座の起源はティアマト」説が広く出回っている。うーん。この辺の謎を解明したくって、この近藤さんの本を読んでみたんだけど、少なくとも、この本を読む限り、「くじら座」はティアマトではなさそうだなあ。

「くじら座の起源がメソポタミアのティアマト」説、誰がどの本で唱えているんだろうか。