2015年2月8日 今回はボホール島にも行くゾ!!
3度目のセブだ。そして、今回はボホール島にも行く。楽しみだ。
14時25分のフライト。前回、同じ時間の飛行機が欠航になって、結局、夜中の2時にやっとこさっとこセブのホテルに着いた。だから、成田でおそるおそる電光掲示板をチェックする。よかった。予定通り、と一安心。
今回はお客さんが多く、ほぼ満席だ。ボーディング・タイムを少し過ぎてから、酔っ払った日本人の集団が乗り込んできた。「だから、ライターはダメだって言ったじゃん!」「や、1つ出したんだけど、2つ入っているとは気づかなかった。カバンの中だったからさー。わははー」などとやっていてウンザリする。品がないな、と思う。
それでも、到着はほぼ予定どおり。20時半頃にはParklane Hotelに到着。現地で先発隊と合流。早速、典型的なフィリピン料理を堪能だ。
2014年12月7日 「不味さ」に慣らされるということ
シャルル・ド・ゴール空港にてトランジット。凍えるような寒さ。朝6時頃に空港に到着して、出発が14 時。少し時間が空くので空港に隣接しているホテルにて一休み。試しに朝食を食べてみた。フルーツとパン、ベーコンにサラダ。中身はアブジャの朝食と変わらないのに、涙が出るほど美味しかった。いかに「不味さ」に慣らされていたかをパリにて実感。
電⾞に乗ってみたいとの木山さんの提案で、ホテルから空港までをリムジンバスではなく電⾞で移動。パリの⼈々と一緒に電⾞に揺られる。そんなちょっとしたことが楽しい。
2014年12月5日 ナイジェリアのサンタ!?
アブジャはムスリムが多いはずなのに、町中、結構、クリスマス・ムードになっていて、スーパ・マーケットもホテルも飾りつけに余念がない。面白いのはサンタクロース。黒人で、しかもクソ暑い中、厚⼿のコートに身を包んでいて鬱陶しいことこの上ない。それにしても、黒人のサンタ! この発想はなかったなあ。
2014年11月9日 危機意識
シャルル・ド・ゴール空港でトランジットして、ポート・ハーコート行きに搭乗。途中のアブジャで降りる。こういう飛行機(寄港便?)があることを、ボクは知らなかった。
アブジャまでのフライトの機内で、通路を歩いていた男性客が突然、倒れて騒然となる一幕があった。ナイジェリア人の若い女性客がハンドバックからアルコール消毒液を取り出して、みんなに配り始める。ボクの隣りに座っていたナイジェリア人の女性客に「あなたも!」と言われて、一緒になって手を消毒。消毒液が効くかどうかは別にして、彼らは病原菌の類に強い危機意識を持っている。
ああ、日本って安全なところだなあ、と思うのと同時に、ボクが向かうナイジェリアってどんなところだろうか、とますます不安になる。
2014年11月8日 覚悟のナイジェリア
本日、0時30分発のエールフランス便でナイジェリアに向かう。実のところ、ドキドキしている。一応、エボラ出血熱の収束宣言は出されたし、ボコ・ハラムのテロルはナイジェリアの北部に限定されているので首都アブジャは安全だ、と説明を受けている。それでも、ボクにとって、アフリカは未知の世界だ。ナイジェリアなんか、世界史にはほとんど登場しないので、知らない世界、という印象が強い。マラリアとかデング熱とか、いろんな病気の話も聞く。ちぃ子やツクル君のことを考えると、いろいろと心配になる。まあ、ね。覚悟を決めて行くしかない。
2014年10月23日 ブルルを探して三千里
本日、フィリピンより帰国。結局、ブルル(Bulul)の木像を発見できず。ブルルというのはフィリピンの精霊信仰に登場する田の神さまの名前だ。下級精霊みたいなもの。フィリピンでは、今でも一部、少数民族の間に精霊信仰が残っている。ブルルは、一見すると、膝を抱えて、体育座りで落ち込んだような姿の木像だ。何でそんなヘンテコな格好をしているのかは分からない。試しにBululでgoogleの画像検索でもすれば、たくさん出て来る。
面白いので、ボクも欲しいなあ、と思っていたわけ。マニラで買えるみたいな話だったんだけど、結局、見つからなかった。残念だ。ルソンの山岳地域の、少数民族がいるところに行かなきゃいけないのだろう。
まあ、仕事柄、もう何回かフィリピンを訪問するので、もう一度、トライしてみようと思っている。そう思えることが大変、贅沢なことだ。大抵の場合、海外旅行って、一度きりだ、と覚悟をするわけなのに……。
2014年10月12日 陳列の良さと品揃えの良さ
本日よりフィリピンに出発。今回は12日間の出張だ。珍しく羽田空港に集合。
羽田空港の方が、成田空港よりもお土産屋さんの陳列が分かりやすかった。そのせいか、品揃えもよく見える。どこに何があるか分かる、ということは、そのまんま、欲しい品物に到達しやすいということで、だから、品揃えがよく見える、という効果を生むらしい。大事なことだなあ、と思う。
* * *
ミンダナオ島の政治情勢が少しだけ悪くなったらしい。爆弾を持って移動中の車が検挙され、爆弾テロの計画が疑われているとのこと。そんなこんなで、今回の業務にはセキュリティ・エスコートがつくことになった。果たして、どうなることやら。でも、カガヤン・デ・オロの人々の生活は、全ッ然、変わっていないんだろうなあ。
2014年9月14日 アリさんバンク。
また海外出張。今回はセブ。本日より出発。今回こそ全ッ然、ノー準備。丸腰でゴー、である。忙しかったなあ、一週間。ようやく昨日1日、お休みがあって、ほっとできて、ちぃ子とゆっくりして、それから夜中に大慌てで準備をした。
YCATで成田へ。このルートも、お馴染みになってしまった。あ、そうそう。セブのErnieさんとMyraさんへのお土産として、横浜の崎陽軒で月餅を買おうと思って少し早く家を出た。そうしたら、電車で成田に向かうティー嶋さんと遭遇。車内で食べるシュウマイ弁当を買いに来たのだとか。この広い横浜で、たった5分そこらの買い物なのに、こんなところで遭遇するのだから、不思議なことである。ああ、オチはない。
セブに入る。飛行機が2時間遅れで夜の9時にホテルへの到着になってしまった。先に現地入りして、別のホテルに宿泊しているアリさんとユー田さんが、わざわざホテルまで顔を出してくれた。しかも両替の時間がなかったボクに取り敢えずの軍資金を貸し出してくれる。アリさんバンク。非常に助かる。
今回のホテルは一力茶屋。日本人の女将さんが経営するホテル。マンダウェのASフォルチュナ通りにあるホテルなので、観光したり、買い物したりするには不便なところ。どこに行くにもタクシーが必要そうだ。
2014年8月20日 エクスキューズ・アス!?
さて。いよいよ帰国だ。空港に向かう。うっかり髭剃りをトランクの奥深くに仕舞いこんでしまったので、もう、無精髭のまんまだ。
ニノイ・アキノ国際空港で、カエルの皮財布を買ってしまった。本物のカエルの皮でつくった財布だ。衝動買い。そのまんま、カエルの姿をしている。こんなのを日本でぶら下げて歩いていたら、仰天されてしまうだろうなあ。悲鳴を上げられてしまうかもしれない。
帰りの飛行機の中で、フライト・アテンダントが2人、カーゴを押して料理を運ぶ。そのうちの1人が「Excuse us! Excuse us!」と言いながら通路を通っていく。ああ、そうか。二人だから《私たち》なわけだ。初めて聞いたよ、「Excuse us!」。面白いなあ、英語。でも、難しいなあ、英語。
そんなこんなで、ようやく日本に帰り着いてほっとする。そんな日。
2014年8月10日 身体を空っぽにして……
日曜日。イエーイ。久々にどフリーである。
今回の業務では土日も移動だったり業務だったり、いろいろなイベントがあって、完全にフリーな日は今日が初めて。ようやくの休み、という感じ。Jollibeeでお昼を食べたり、マッサージを受けてみたりする。何て贅沢なこと!!
下田美咲のハイテンション・コール動画に癒されながら、勉強したり、雑記を整理したりする。こうやって、一度、身体を空っぽにして、それから、また明日からいろんなものを溜め込んでいくのである。ララララーイ、ララララーイ……。
2014年8月8日 レチョン・バボイ
本日は友人Rachelさんの家に招待される。噂には聞いていたけれど、本当にレチョン・バボイ(Lechon Baboy)が振る舞われた。レチョン・バボイは豚の丸焼き。フィリピンでは定番のパーティ料理だ。パリパリの皮と肋骨の周りについた肉がおいしいとのことで、チャレンジしてみる。確かに皮はパリパリで香ばしいし、肋骨周りは何故だか味が染みていて美味しい。でも、脂っこいので、正直、ボクはちょっと苦手だなあ。
Rachelさんの家にはカラオケ・セットがあった。フィリピン人は歌が大好きだ。気がついたら、いつの間にかカラオケ大会になって、みんなこぞって歌い始める。でも、Rachelさん夫婦が圧倒的にうまい。日夜、自宅のカラオケ・マシンで訓練しているのだろう。ボクも英語の歌を覚えておけばよかった。そうしたら、喜んで参戦したのになあ。
2014年8月6日 「そりゃあ、フィリピン時間だから!」
朝、9時にBalulang地区で待ち合わせ。昨日の測定の続きをする予定だったのに、時間になっても現地スタッフは現れない。現場のスタッフに「そりゃあ、フィリピン時間だから!」と笑われた。仕方ないなあ、もう。15分遅れでセッティング開始。昨日よりは手際もよくなって、30分くらいでセッティングが完了、測定に入る。ボクたちはそれを見届けて、Kauswagan事務所へ移動した。
Kauswagan事務所では、配管や溶接のスタッフがいたのでヒアリング。たまたま異形管の製作を見ることができた。筒状の金属を切って、溶接して曲がり管と片落ち管を製作していた。規格サイズの工場製品と違って、曲がりの角度も自由だし、前後の直管部の長さも自由自在なので、現場に合わせて好きに作れるのだとか。そういう意味じゃ、規格サイズの工場製品と一長一短。必ずしもどちらがいいとは言えないなあ、と思う。
夜はGerry’s Grillにてディナー・ミーティング。隊長のNさんは無謀にもマルガリータを頼む。でも、出てきたのはどうもブルー・マルガリータっぽいぞ。ブルー・キュラソーが入っている。しかもちゃんと混ざっていなくって、温い。初心者の頃の自分のカクテルを思い出す味だ。
あ、そうそう。ホテルの洗濯が異様に安い。3着頼んで49.5PHPだったので格安だ。そこら辺のランドリィと対して変わらない。ホテルとしてマージンをとっていないのかもしれない。ものすごく良心的な価格設定だ。
2014年8月5日 「Soft Opening」という選択
今日は早速、朝からMacasandig地区にて調査開始。その後、カガヤン・デ・オロ川を渡って、Balulang地区に移動して調査だ。既存の計測器の精度がどんなもんかを、日本から持っていった機材で調べる、という寸法だ。慣れないせいか、なかなか簡単に測定できない。今日はやっとの思いで3か所測定できた。でも、段々、彼らも慣れてきたみたいだ。明日は調子よくぽんぽんと測定できればいいなあ。
* * *
夜はAleというお店でディナー・ミーティング。入り口のところに「Soft Opening」と書いてあった。ケンさん曰く、《試しオープン》というニュアンスの意味だそうだ。まだまだ正式なオープンの前だから、不慣れな点や不備があったら許してね、ということらしい。海外では、こういう開店もよくあるのだという。辞書で調べてみると、「部分開業」とか「一部開業」みたいな訳語が引っ掛かる。対する言葉が「Grand Opening」で、「全面開業」。そう言えばマカティのホテルもテレビの回線が引かれていないのに営業を開始していた。こういう「Soft Opening」みたいなやり方も、案外、ありなのかもしれない。こういう「Soft Opening」で不具合を発見して、修正して「Grand Opening」に持っていく。日本じゃ、あんまり聞かない用語なので、勉強になった。
2014年8月4日 ビサヤ語のディスカッションが始まりました!?
本日はキック・オフ・ミーティング。今回のプロジェクトの概要を現地スタッフに伝える。現地スタッフからも報告があったが、我々が日本に戻っている間に、着々と新しいメンバが増えて、ようやく念願の2チーム編成になったらしい。スタッフの研修、インセンティヴ・メカニズム、業務のアウトソーシング……。考えることはたくさんある。
Macasandig地区の事務所で前回持っていった機材を確認する。敢えて現地スタッフのNikz氏に使い方を説明させる。これってひとつのうまいやり方だ。ボクが使い方を英語で説明するのは大変だけど、彼らが彼らに説明をするのだから、ボクとしては楽チン。それでいて研修になっている。「ビサヤ語でいいですか?」とNikz氏。「いいよ」と答えたら、彼ら、ビサヤ語でディスカッションを始めた。もちろん、ボクはビサヤ語なんか分からない。でも、議論は白熱しているし、みんな頷いているから、きっと理解できたのだろう。
夜は議長と総裁からもてなされる。フィリピン料理のレストランCagay-Anonで晩餐。ケンさんと議長が頻りにパロ(アヒルの有精卵)を勧めてくる。もしかしたら、今回の現地業務で挑戦することになるかもしれない。それはそれで……いい経験?
2014年8月3日 テロルの現場に立ってみる。
Limketkaiセンタにて両替屋さんを発見。0.4200。マニラよりも若干、レートがいい。Limketkaiセンタは中国資本で作られたショッピング・センタ。でも、2013年7月にイスラームの過激派による爆弾テロルが発生して、今でもその爪痕が残っている。
2013年7月に起きた爆弾テロルの場所を訪れてみる。いまいちLimketkaiが盛り上がらないのは、このテロルを引きずっているからなのだろうなあ、と思う。開発が途中で頓挫している感じ。あっちこっち工事中のまんまだし、テナントの空きも多い。人はたくさん来ているのに、前回来たときから工事が進む気配もないし、テナントが埋まる気配もない。
爆弾テロルの現場
夜はレストランSIAMへ。隊長のNさんは昼間、散歩がてら、下見に来たらしく、ワインがあることをすでにチェックしていた。「SIAMにはワインがあるよ!」と嬉しそうだ。でも、今回はワインではなく、アブソリュート・ウォッカを注文。ロックで飲む。ウォッカと言えば、ボクはカクテルにしてしまうけれど、こうやってロックで飲むという飲み方もあるのだなあ。ボトル・キープも出来るらしいけれど、4人であっという間に1本、空けてしまった。アルコホル漬けの生活である。
2014年8月2日 Pearlmont Hotelもいい感じ!!
本日は移動日。カガヤン・デ・オロへ向かう。それにしても、マニラの国内線の発着フロアのレストランはイマイチだ。前回の日本食レストランの丼ぶりも、汁でびしょびしょで酷かったけど、今回のイタリアンもレンジでチンのクオリティ。基本的に、空港ってその国の窓口だ、と思う。マニラなんて、フィリピン各地へ移動するトランジット空港なのだから、外国人観光客にとってのフィリピンの印象を決めてしまう。国策として、もうちょっとちゃんとしたレストランを入れた方がいいだろうな、と思う。第一印象って、大事。
今回は何故だかエクセス・チャージは要求されなかった。前回は10kgまで許容されているチケットだったはずなのに、空港の窓口で0kgと認定されてしまって、散々な思いをした。だから、今回はみんなで荷物を軽くして臨んだのになあ。拍子抜け。窓口でいろいろ訊いてみたけれど、我々は全員で148kgの許容値を持っていると説明される。148kgって何の数字だろうか。「ポンドじゃないの?」って訊いてみたけれど「kgだ」と説明される。うーん。この辺、担当者の匙加減みたいで嫌だなあ。でも、あんまりしつこく訊いていると0kg認定されてしまうのも嫌なので、ほどほどで切り上げる。
カガヤン・デ・オロの空港でドライバのDodjeさんと久々の対面。懐かしい。ようやく現地業務が始まったなあという感じ。
カガヤン・デ・オロの拠点になるPearlmont Hotelは重厚感ある調度品に囲まれて、なかなか素敵な雰囲気。アンティークだ。こういうホテルのチョイスってロジ担当に任されているので、いつだって不安に駆られる。前回はシャワーのお湯が出ないというトラブルがあって、現地に来てみないと分からないことってたくさんある。今回はマカティのFersal Hotelもよかったし、Pearlmont Hotelもいい感じだし、どちらもいいホテルだったのでよかった、よかった。
2014年8月1日 初日からドライバが来ないアクシデントにハラハラ!?
マカティ通りのFersal Hotelは案外いい感じのホテルだ。意匠がみょうちきりんなところはあるけれど、でも、きれい。朝食のときにスタッフに訊いてみたら、どうも7月半ばに出来たばっかりなのだという。Wi-Fiもブイブイ使えるし、何よりもリーズナブルだ。
出来立てほやほやなので、まだテレビが開通していないらしい。こういうところがフィリピン・クオリティだ。普通、テレビを開通させてから開業するだろう、と思うのは、ボクが日本人だからだろうか。まあ、基本的にはボクはテレビを観ない(日本でもほとんど観ない)から関係ないんだけど、他のメンバは退屈だったかもしれない。まあ、次回以降はさすがに開通しているだろうから、今後、活用できそうなホテルだな、という印象。
こういうホテルの選定って、現地ロジのボクに任されているので、内心、到着するまではドキドキする。旅行の幹事もそうかもしれないけれど、口コミを参考にしながら、そりゃー、慎重に選ぶわけだ。でも、今回、ボクは冒険をした。出来立てのホテルなので、口コミが1件しかなかったのだ。それを信じてみたわけ。マニラ首都圏に宿泊するなら、今後、このホテルも候補に挙げていいな、と思った。
本日は朝から打ち合わせ。でも、朝、頼んでおいたドライバに連絡を取ったら、急遽、ドライバを変更したいと申し入れがあった。そして、代わりのドライバはもうホテルのロビィに着いている、と伝えられる。ロビィに降りてみるも、ドライバは来ていない。ああ、これはきっとネプチューン通りのFersal Hotelと勘違いしているのだ、と直感的にボクは思う。それから、急ぎ、新しいドライバの連絡先を訊いて、電話をかけてみる。相手はいろいろと何か喋っているが、電話越しだと全ッ然、分からないボクだ。だから、もう、こちらの意向を一方的に伝えるのみ。完全なる一方通行だ。まず、彼がネプチューン通りにいることを確認する。それから我々がマカティ通りにいることを伝達する。そして至急、こちらに来てもらうように指示。拙い英語で必死になって喋っているボク。朝から冷や汗ものである。
その甲斐合って、打合せには時間通りに到着。メインの説明はケンさん。流暢な英語で説明する。でも、ちょいちょいこちらに振ってくる。アドリヴで英語を話さなきゃいけないので、四苦八苦だ。そんなフィリピン生活の最初の日。
2014年7月31日 十字を切る。
本日から再びフィリピンへ。今回の出張は21日間だ。さあ、頑張ろう。
それにしても、今回は、全ッ然、準備ができなかったなあ。もう、行き当たりばったり。不測の事態は現地調達で乗り切るしかないや。
成田空港で現地スタッフへのお土産探し。結構、空港をうろうろしてしまった。東京駅みたいなものをイメージしていて、意外と何でも売っているような気がしていたが、これぞ日本だ、というような決め手になるような有名なお土産はあんまり置いていない。こんな感じだったら、上大岡や横浜なんかで事前に購入しておいた方がいいお土産が安く買えそうだな、という印象。唯一、宇治抹茶味のキットカットが売っていて、これなんかは現地でウケるかもしれない。そのくらいかなあ。
早速、空港にて4人で乾杯。ああ、遂にアルコホル漬けの生活が始まるな、と覚悟する。
女性のフライト・アテンダントさん(多分、フィリピンの人)が、離陸の直前、飛行機が滑走路で加速を始めたときに、胸元で十字を切って何事かつぶやいた。ああ、信仰心ってこういうものなのだなあ。フィリピンには熱心なクリスチャンが多い。
さあ、ボクも神さまに旅の安全を祈ろう。中学生のときに発明したボクだけの神さまだ(にやり)。信者数一人の密やかな信仰。うぇっへっへ。
あ、そうそう。マニラ発の便、ビジネス・クラスはうちの隊長だけだった。彼だけのためにスタッフが2人ついている。破格の扱いである。
2014年6月6日 剣玉!?
火曜日に日本に帰国して、バタバタと残務処理に追われている今日今頃だ。何だか、会計を全部、任されていて、責任重大だ。
さてさて。本日は久々に前の会社に用事があって、足を運ぶ。フィリピンからのお土産の粉末ジュースを押し付けてやったぜ。意外と1リットルなので、一度、作ってしまうと飲むのが大変なのだ。安かったので大量に買ってきてしまったが、なかなか減らないので、ちょうどいい機会であった。わはは。
ここ数日、フィリピンのセブ島から技術者たちが研修にやってきていて、午後から、ボクもその対応をする。たまたま火曜日まで、ボクもフィリピンのカガヤン・デ・オロにいたのだ、とコンタクトをとってみる。セブ島では「セルフィー」と呼ばれるカメラの1脚が流行っているらしい。スマホを棒の先につけて、自撮りが出来る、というヤツ。ああ、いいなあ、と羨ましくなる。
夜の飲み会では、日本文化を伝える、ということで、剣玉の贈呈があった。なかなかいいアイディアだ。みんな、一所懸命、剣玉に取り組んでいる。日本文化って、いろんなものがあるけど、剣玉、というのは思いつかなかったなあ。
2014年6月3日 空港での儀式
本日、帰宅。成田でY-CATに乗って家に帰る。Y-CATは乗ってしまえば85分で横浜だから楽チンだ。
空港に着いたら、久々にスマホを4G回線に乗せてみる。飛行機モードを解除して、モバイルデータ通信をオン、4Gをオンにする。留守電やiメールなんかが大量に舞い込む。もう、空港の儀式みたいな感じだ。でも、チェックするだけ。リプライや対応は後回しだ。何しろ、飛行機の中でずぅっと音楽を聴いているので、電池残量が少ないのだ。もう、本末転倒である。