2026年3月3日 マンガワン問題と『アクタージュ』の記憶
マンガワンの事件は、いろんな論点があると思う。未成年に性加害をした漫画家をペンネームの変更で原作者として起用することは、ある意味で隠ぺい工作だという側面はあるだろう。その誹りは免れられない。小学館にとって、それだけ優秀な原作者だったということなのだろう。
性加害をした犯罪者にだって人生をやり直す権利があるという立場もあるだろう。だから、名義を変更して再出発をしたのだ。そういう言い方もできるかもしれない。それに対して、いやいや、時期尚早だという意見もあるだろう。どちらの言い分も分かる。
でも、ボクがこのニュースで一番、気になったのは、作画担当の気持ちだ。原作者の不祥事によって、作画担当は自分の大事な作品を中断することになる。……実は、マンガワンのニュースを知ったときにすぐに思い出したのは『アクタージュ』だった。作画担当は宇佐崎しろ氏だったが、原作者が強制わいせつで逮捕され、結局、未完のまま作品は終わってしまった。その上、新刊の発売停止、既刊の出荷停止もしている。
当時の宇佐崎しろ氏のXへの投稿は今でも覚えている。道半ばで作品を終える悔しさを滲ませながらも、編集部の方針を全面的に受け入れ、被害者への誹謗中傷を制止する発言をしていた。メチャクチャ重たい投稿だった。読んでいてとても苦しくなった。
今回の出来事を聞いたときに、ああ、また同じ展開だなと思った。作画担当の方も苦渋の決断を強いられるだろうし、受け入れるしかない。本当に作画担当の人が不憫だし、可哀想だと感じた。しかも、タッグを組んでいた相手がやらかしたということではなく、すでに組んだときには罪を犯していて、逮捕され、裁判中だったという点は、『アクタージュ』のとき以上に複雑な気持ちになる。
そんな風に思っていたら、まさかの『アクタージュ』のマツキタツヤ氏も名前を変えてマンガワンで原作者を続けていることが発表された。こちらは編集部も作画担当も事実を把握した上で進めていたようだが、こちらの連載継続も停止されている。
『アクタージュ』のときの宇佐崎しろ氏のあの投稿は、当然、出版業界に身を置く人間であれば、ボク以上に重たさを理解しているはずだ。それなのに、どうしてこうなってしまうのかなあ。
2026年3月8日 吸血鬼の系譜を辿り始めた日
2月1日の記事『薔薇色の月』でも言及したが、ファントムシータの『薔薇色の月』は吸血鬼カーミラをモチーフにした楽曲らしい。それならば、ちょっと『カーミラ』でも読んでみようかと思いつつ、変に熱心なボクは「吸血鬼の元祖であるポリドリの『吸血鬼』から順番に読まなければ」という不思議な正義感が芽生えてしまう。そんなわけで、早速、ジョン・ポリドリ(John William Polidori)の怪奇小説『吸血鬼(The Vampyre)』(1819年)を読んでみた。
粗筋としては、若き英国紳士オーブリー(Aubrey)が主人公で、社交界の場で謎めいたルスヴン卿(Lord Ruthven)と出会い、彼に魅了される。血の気のない青白い顔で無表情、それでいてどこか魅惑的な彼の正体は、果たして吸血鬼であった。
物語はロンドンの社交界から始まり、二人の旅はローマを経てギリシャへ向かう。そこでギリシャの吸血鬼ヴリコラカスの伝承を聞かされる。オーブリーは古い迷信だと切り捨てるが、実際に宿屋の娘イアンテは吸血鬼に襲われて殺されてしまう。さらに山賊に襲われてルスヴン卿は死ぬ。失意のうちにロンドンに帰国したオーブリーだったが、しばらくして、生前と変わらぬ姿のルスヴン卿が現れる。どうやら彼がオーブリーの妹を狙っていることが発覚し……。
『吸血鬼』はざっくり言うと、そんな物語である。社交界で異彩を放っていた謎めいた紳士が、実は吸血鬼だったという展開は、今となってはよくあるものだが、こうした“貴族的吸血鬼”というイメージはポリドリの創作であり、後の吸血鬼像(カーミラやドラキュラ)に受け継がれていく。まさに革新的だったわけである。
結局、ルスヴン卿の正体が世間に公になった頃には、オーブリーはすでに死んでいる。妹も犠牲になり、ルスヴン卿も姿を消している。その後、彼がどうなったのかをポリドリは語らない。吸血鬼は別の場所で名前を変え、その社会に溶け込んでいくのかもしれない。いずれにしても、不気味な終わり方である。
さあ、次はいよいよ念願のレ・ファニュの『カーミラ』(1872年)だ。頑張って読むぞー。おーッ!!
2026年3月9日 朝鮮古典データベースを開きながらワクワク
成俔(ソン・ヒョン)が記した説話集『慵齋叢話(ヨンジェチョンファ)』(1525年)の原文を見つけた。日本語で検索しても引っ掛からなかったし、CopilotやGeminiに尋ねても見つからなかったのに、Claudeが見つけてきた。AIにも得意不得意があるらしい。
見つけたのは한국고전종합DB(韓国古典総合DB)というウェブサイトで、基本的には韓国語のウェブサイトだ。古典を韓国語に翻訳したものが掲載されている。でも、原文にチェックを入れれば、漢文と韓国語の対訳になる。
たとえば、『慵齋叢話』の第1巻を見てもらいたい。左側に韓国語(翻訳)、右側に漢文(原文)が並ぶ。素晴らしいデータベースだと思う。
ここにいくつか朝鮮半島の古典が載っているので、コ・ソンベ氏の『韓国妖怪図鑑』だけではなく、ここも参照しながら朝鮮伝承の妖怪を補正していけるなあと思っている。嗚呼、ワクワクするなあ。
2026年3月14日 朝日小学生新聞に『みんなで翻刻』が載っていた!?
息子のツクル氏のために「朝日小学生新聞」を購読しているが、今日の新聞のトップが「みんなで翻刻」だった。江戸時代の崩し字をAIを活用しながらみんなで翻刻していこうという趣旨のウェブサイトだ。ボクも江戸時代の妖怪関連の草双紙を読むときに参考にしている。みんなでやっているので、当然、正しいかどうかは分からない部分もある。元にしている古文書が明瞭じゃなくて、同じ文献でも別の所蔵者が公開しているPDFの方が明瞭なのになあ、と思うときもあったりする。……なんて、そんなこと言っていないでお前も参加しろよという声が聞こえてくる。でも、ボクは妖怪を調べたいのであって、そのプロセスで江戸時代の文字を読んでいる。全然、崩し字の専門家じゃないので、何となく敬遠している。

今まで、この「みんなで翻刻」が、どういう経緯で成立したウェブサイトなのか知らなかった。記事によれば、過去の地震の記録をもっと周知しようという動機がきっかけだったようだ。2011年の東日本大震災で、過去に東北で地震があったときの情報を掘り起こしておけばよかったという反省もあって、古地震研究会が設置されて、その流れの中で、古文書を早期に解読するために、シチズンサイエンス的にみんなの協力を仰いだらしい。10年掛かると思われていた文献の翻刻は2、3年で終わったということなので、大きな成果だ。そして、今では「地震」という枠組みを超えて、いろんなジャンルの文献が掲載されている。妖怪の記事もたくさん載っているのでありがたい限りだ。
それにしても、小学生の新聞に、こういう江戸時代の崩し字が特集されていたり、AIの具体的な活用方法が書いてあったりして、いい特集だなあと感じた。
2026年3月20日 「ファンタジィ事典」1,500項目達成!
本日、ウェブサイト「ファンタジィ事典」に、朝鮮半島の妖怪のチョマグとチュドゥンイ・ダッパル・コンジ・ダッパルを追加した。
チョマグは毛むくじゃらの四足獣の怪物、チュドゥンイ・ダッパル・コンジ・ダッパルは嘴(くちばし)と尾が長い怪鳥で、姿こそ違えども、どちらも母親を殺し、息子に退治されるという点で、同じ起源の妖怪なのだと思う。
チョマグは朝鮮半島の北側(現在の北朝鮮)、チュドゥンイ・ダッパル・コンジ・ダッパルは南側(現在の韓国)に伝わっているので、同じような話が伝播する過程で、一方は獣、他方は鳥になっていったものだと考えられる。
実は、これでウェブサイト「ファンタジィ事典」は通算1,500項目を達成した。長く続けてきて、めでたいことだ。特にこの妖怪で1,500項目を迎えようと決めていたわけではない。粛々と進めていく中で、結果的に、この2体で1,500項目に相成った次第。
2003年4月に「ファンタジィ事典」めいたものを開始して、2009年4月に独立させて本格運用を始め、1,000項目を達成したのが2022年1月末なので、明らかにペースアップしている。進むべき方向性が決まったので、それを粛々とやっているからペースがあがっているのだろう。そう自己分析している。
折角、1,500項目を達成したので、ちょっとだけ、ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」の中でイベントをやってみようと企画している。しばしお待ちあれ。ふふふ。
2026年3月22日 1,500項目のお祝いに、AIと対談してみた
3月20日の記事「ファンタジィ事典」1,500項目達成!でも書いたように、ウェブサイト「ファンタジィ事典」の項目が通算で1,500項目になった。何か面白い企画はないものかと考えあぐねていたが、最近のAIブームの流れに思い至った。そうだ、ウェブサイト「ファンタジィ事典」の1,500項目達成を記念し、AIとの対談企画をやってみようということで、Geminiに相談してみた次第。
今回、事前にGeminiにウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」をよくよくリサーチさせ、その内容をもとにインタビュー記事を組み立ててもらった。Geminiが投げかけてくる質問にボクが順次、答えていき、最終的にそれをGeminiが独自にまとめ上げている。
もちろん、言ったことと言っていないことが混ざっていたり、ニュアンスが微妙に違っていたりもする。でも、ボクがAIと対談するというのはそういうことだ。そういう企画として楽しむべきだと思って、あえて修正せず、そのまま掲載することにした。
というわけで、「1,500項目記念AIインタビュー」を是非是非、お楽しみあれ。あっはっは。
2026年3月25日 黎明と黄金期:ハイパーリンクの熱気と個人サイトの黄金時代
ウェブサイト「ファンタジィ事典」では3月20日に1,500項目を達成した。これを機に、ちょっとだけ自分の歩みを振り返るとともに未来を語ってみようなどと色気を出しているボクである。
そもそも、ボクがウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」を立ち上げたのは2003年1月19日で、大学生の頃だった。時代としては、個人が世界に向けて自由に発信できる黄金期だったと言える。ちょっとだけ、HTMLの歴史と結びつけながら、ボクのウェブサイト運営について振り返ってみたい。
HTMLという概念そのものは、1991年にティム・バーナーズ=リーによって公開された。これは文書構造にハイパーリンクを組み合わせたものだ。その後、1993年にWWWが一般公開され、HTMLの最初の仕様も提示され、誰もがウェブサイトを構築できるようになった。
1995年にはHTML 2.0が標準化され、フォームやリストなどの概念が出揃った。掲示板やカウンター、コメント入力など、CGIを用いた双方向のコミュニケーションができるようになった。
1997年には、ブラウザごとに勝手に独自展開していた見た目の要素を追認する形でHTML 3.2が標準化され、フレーム(独自拡張)やテーブルレイアウトなどを用いて手軽にリッチなホームページが作れるようになった。
ボクの最古のウェブ体験というのは、まさにこの時代のものだ。数は少ないながら、先人たちがすでに個人ホームページを作り始めていた。まさに個人ホームページの黎明期だ。信じられないかもしれないが、その界隈であればこのサイトというのがあって、みんな、そこに集って交流していた。当時の個人ホームページというのは、大抵、ウェブ日記、カウンター、掲示板、リンク集がセットになっていて、ボクもこれらを模倣して、最初のウェブサイトを作り始めた。
ちなみに、ボクが目標としていたのは白鷹るいさんの「猫の夜会」で、創作サイトの傍ら「幻想図書館」という神話・伝承の事典があって、ものすごく憧れていた。「猫の夜会」そのものは1997年に運営を開始しているので、かなりの古参と言える。古い時代のウェブサイトとして必ず名前が挙がる「侍魂」とか「ちゆ12歳」なんかも2001年に運営が開始されているので、ボクも群雄割拠の個人サイト時代の一翼としてウェブサイト運営を始めたと言える。
1998年にはロボット型検索とPageRankという概念を引っ提げて、Googleが誕生し、SEOという概念が重要視されるようになっていくが、ボクがウェブサイトを作り始めた頃は、まだリンク集が非常に重要だった。リンク集を辿って新しいウェブサイトと出会う必要があったし、Yahoo!はディレクトリ検索と言って、手作業でリンク集を作成していた。相互リンクや同盟、ウェブリングみたいな独特の概念もあって、いかにその界隈で繋がって交流するかがサイト拡大の肝だった。掲示板を介して人々は交流していて、熱気があった。
2026年3月27日 転換と挫折:集合知の台頭と一度目の幕引き
ウェブサイト「ファンタジィ事典」が1,500項目を達成したことを受けて、ちょっとだけ自分のウェブサイト運営を振り返ってみている。
第1回は黎明と黄金期:ハイパーリンクの熱気と個人サイトの黄金時代。そして今回はその続き。
そんなわけで、個人ホームページの黄金期であった2003年1月19日、ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」は誕生した。時代は3G。1999年にi-modeが出来て、人々はガラケーでもインターネットにアクセスするようになった。ボクたちはガラケーに対応するウェブサイトを作らなければいけなくなる。一時期はキャリアごとにページを作る必要があって、パソコン用に加えてi-mode用、EZweb用、Vodafone用のページを作っていた時代もあった。
1999年にはすでにHTML 4.01が標準化されていて、文書構造(HTML)と見た目(CSS)を分離させるように提唱されていたが、日本への本格導入はかなり遅れて2000年代中頃だった。ボクはこれにも対応しなければいけなかった。ガラガラとウェブサイトを再構築した記憶がある。
さらには1999年に登場したブログが日本にも到来し、眞鍋かをり(2004-2006年)や中川翔子(2007-2009年)がブログの女王として大活躍した。ブログにはトラックバック機能がついていた。自分の発信した情報が参照される等の反応があって、当時は非常に画期的だった。ボク自身も、実は2005年に「飛べない試作品第7号」という名称でブログを試行していた時期もある。結局、HTMLのウェブサイトとの統一感を担保できなくて、このアプローチはすぐに諦めてしまった。
その後、2004年にmixi、Facebook、2005年にYouTube、2006年にTwitterが産声を上げ、次第にウェブサイトの重心が個人サイトからプラットフォームに移っていった。目に見えて、掲示板でのコミュニケーションが減って、SNS上でのやり取りが中心になっていく。SNSの囲い込みで顧客が奪われていく感覚を実感したのは2000年代後半かもしれない。
2001年に運営を開始したWikipediaが普及したのもこの時期で、2007年に40万項目を達成して、Google検索でもWikipediaがトップに来るようになった。まさに「出典はWikipedia」という時代が到来した。
2007年12月に、ボクは一旦、ウェブサイトを全て閉鎖する決断をした。モチベーションが続かなくなったのだ。特にウェブサイト「ファンタジィ事典」の編纂作業は難しかった。どう頑張っても、個人の事典では集合知には勝てない。それでも、必死で抗って、Wikipedia的な網羅性を追求してしまった。それで限界を迎えたのだと思う。だから、閉鎖することにした。
「まあ、ボクは気まぐれですから。ひょい、とまた始めちゃうかもしれません。でも、まあ、それはそれ。とにかく今は一度、閉鎖してみようと思います。みんな、みんな、ありがとう。またお会いする日まで」
2026年3月29日 再起と適応:スマホ上陸と独自ドメイン、抗い続ける編纂者
ウェブサイト「ファンタジィ事典」が1,500項目を達成したことを受けて、ちょっとだけ自分のウェブサイト運営を振り返ってみている。
第1回は黎明と黄金期:ハイパーリンクの熱気と個人サイトの黄金時代、第2回は転換と挫折:集合知の台頭と一度目の幕引き。そして今回は第3回。
それでも、ボクはどこかで負けたくなかったのだと思う。個人サイトが消滅していくことが悔しかったのだと思う。白鷹るいさんの「幻想図書館」が2004年11月に閉鎖したときの感情がずぅっと心の中に残っていた。だから、2008年11月、再び、ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」の再開を決意した。日本へのiPhoneの上陸が2008年7月。TwitterとFacebook、YouTubeが主戦場となり、まさにスマホとSNSの時代の幕が開けた。個人サイトにとっては冬の時代である。それでも、負けるもんかと思った。
もちろん、明確な戦略があったわけではない。2009年4月に「ヘタっぴなアルコール蒸留」からウェブサイト「ファンタジィ事典」だけを分離・独立させる。ウェブサイト運営の目的を明確化して「ファンタジィ事典」に専念しようと思ったわけだ。けれども、これはうまくいかなかった。事典編纂者の顔が見えなくなって、ただの事典サイトになってしまった。
2011年7月には「hetappi.info」という独自ドメインを取得する。そして、再度、「ファンタジィ事典」を「ヘタっぴなアルコール蒸留」の中に再統合する。個人サイト文化が衰退する中、敢えて自分の場所を確保する決意表明でもあったし、少しでも個人サイトとして有利な戦いを仕掛けようと奮闘していた。「日々の雑記」で中の人の生活を見せながら、コツコツと事典を編纂していくスタイルに切り替えたわけである。
WordPressを2014年6月に「ヘタっぴなアルコール蒸留」に部分的に導入した。WordPress自体はすでに2003年に誕生していたが、ボクとしてはずぅっと拒み続けてきた。アップデートのためにメンテナンスしなければならないからだ。でも、導入を決めた。これはボク自身が仕事で海外を飛び回ることが多くなったからだ。SEO的に高く評価してもらうためには、常時、更新して、動いているウェブサイトだと認識させる必要があった。海外に行っている間、ウェブサイトの更新が滞るのはよろしくない。そのため、「日々の雑記」の部分だけをWordPress化して、いつでもどこでもスマホから更新できる体制を構築した。それ以外のコンテンツは静的HTMLのまま据え置いた。
2014年10月にHTML5が標準化され、Webアプリ時代が本格化した。2017年にはそれに合わせて、大幅なリニューアルを実施する。こうして、現在の「ヘタっぴなアルコール蒸留」に至っている。
2026年3月31日 現在と未来:AI時代の到来──「情報」から「解釈」へ
ウェブサイト「ファンタジィ事典」が1,500項目を達成したことを受けて、ちょっとだけ自分のウェブサイト運営を振り返ってみている。
第1回は黎明と黄金期:ハイパーリンクの熱気と個人サイトの黄金時代、第2回は転換と挫折:集合知の台頭と一度目の幕引き、第3回は再起と適応:スマホ上陸と独自ドメイン、抗い続ける編纂者と自分のウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」の歴史を書いてきた。
今回は第4回。ここからは、少しだけ「未来」の話をしたい。モバイルやスマホ、タブレットへの対応、プラットフォームによる囲い込み、Wikipediaの集合知などとボクは必死になって戦ってきた。全部うまく行ったとはとても言えない。それでも、何とかしのいできた感覚はある。そこに新たなる壁が立ちはだかる。それが「AI」だ。2022年にChatGPTが公開され、まさにAIの時代に突入した。もはや検索すらしてもらえない時代になってしまった。
たとえば、誰かが、どこかの地域のとある妖怪について知りたいと思ったとする。ひとたびAIに尋ねれば、その地域の言語で書かれたサイトであれ、英語のサイトであれ、AIはそれらを軽々と横断し、要約して回答してくれるだろう。さらには、そういう情報を積み上げて、新しいウェブサイトを作ることだって簡単にできる。おそらく、今後、実際にそういうAI由来の情報に基づいたウェブサイトは増えていくだろう。そんな中で、ボクたちはどんな価値を提供していけばいいのだろう。
現時点でボク自身、明確な答えが出ているわけではない。それでも、歴史的背景や地理的背景の分析、地域や時代横断の比較、個人の分析や感想には意味があるのではないか。今、そんなことを考えている。AIが吐き出す情報はきっと均一化しているので、ボクたちはそこからの「差別化」を図らなければいけない。
たとえば、実際に妖怪が跋扈していた時代がどんな時代で、暴れ回っていた場所がどういう場所なのか。ボクの強い興味関心はそこにある。そこにフォーカスして整理する情報には一定の価値が生まれる。また、その妖怪についてボクが調査してみて、どのように感じたのか。その感想にも、きっと価値はある。1,500項目を積み上げてきたボクの視点で、単なる「情報」から「解釈」に転換していけば、それはAIには真似ができない。
もうひとつ、今、漠然と考えているのは、編纂者の顔が見えるSNS発信だ。今、ボクは正直、SNSをうまく使えていない。けれども、こつこつと事典を編纂しているボクとそのプロセスを、SNSで発信していけば、もしかしたら、そこには新たな価値が生まれるのではないか。
現時点でのボクの結論は、そんなところ。だからボクは、これからもそれを着実に実行していこうと思う。





