2022年8月30日 ガシャドクロ推し!?

のん(能年玲奈)のYouTube『のんやろが!ちゃんねる』にて、「のん、妖怪に会いに行きました。」が公開されている。水木しげるの生誕100年を記念して、六本木の東京シティービューで「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた~」を開催しているらしい。のんが、とても楽しそうに妖怪を紹介しているので、動画を見ているこっちまで楽しくなる。

彼女は今回、何故か「ガシャドクロ」をもの妙に推しているので、ちょっとガシャドクロについて紹介しておきたい。

実はガシャドクロは比較的、新しい妖怪で、昭和になって妖怪本が出版される中で生まれたものだ。元ネタは歌川国芳の浮世絵『相馬の古内裏』で、十数メートル程もある巨大な骸骨が大宅太郎光国に襲い掛かっている。この浮世絵はすごくて、当時は蘭学の影響もあって、解剖学が日本に入ってきているので、かなりリアルな骸骨を描いていて、迫力がある。で、実は、この浮世絵のモチーフになっているのは、江戸時代の山東京伝『善知安方忠義伝』で、滝夜叉姫がたくさんの骸骨を呼び出して、大宅太郎光国を襲っているシーンなのである。歌川国芳は、このたくさんの骸骨を描かずに、巨大な1体の骸骨にして描いた。この迫力のある浮世絵に着想を得て、昭和の妖怪本の中で、たくさんの骸骨が合体した妖怪として、「ガシャドクロ」が説明されるようになった。

だから、元々の浮世絵『相馬の古内裏』に登場する妖怪は「ガシャドクロ」とは呼ばれていないし、当時の作品に、骸骨が合体する妖怪という物語が伝わっているわけではない。あくまでも、歌川国芳が浮世絵を描くときに、たくさんの骸骨を描くのではなく、巨大な1体の骸骨にデザインしたのである。骸骨をたくさん描くのが面倒くさかったのかもしれないし、「たくさんの骸骨」というのを「巨大な骸骨」にすることで迫力を出したかったのかもしれないし、その方が構図として面白いと思ったのかもしれない。いずれにしても、昭和になって、この浮世絵から「ガシャドクロ」という妖怪が着想されたのである。