2015年7月1日 あたしのゆめは君が蹴散らしたブサイクでボロボロのLIFEを掻き集めて大きな鏡をつくること

大森靖子の『マジックミラー』。何て言うんだろう。椎名林檎と出会ったときと同じくらいの衝撃を受けた! 椎名林檎に似ている、という意味ではない。ものすごく感性で生きている。その感性にガーン、とぶちのめされる。そのぶちのめされ方が同じだった、ということ。女流作家に憧れたり、鳥居みゆきにハマったりするボクだけど、多分、男性はどこかに理性の部分が残っていて、完全には感性で生きられない。感性で勝負している男性作家や男性アーティストはほとんどいない。そういう意味じゃ、女性ってすごいなあ、と思う。そういうぶちのめされ方だ。

彼女のライヴ映像はもっとずぅっと尖っていてすごいんだけど、でも、あまりに粗削り過ぎる。どこかで一歩引いてしまう。そういう意味じゃ、この彼女の最新作が、落としどころというのか、バランスとしてはちょうどいい具合だ、と思う。ぶっ飛んでいて、でも、安心して見ていられる境界の内側ギリギリ、という感じ。

2015年7月3日 シュメル・アッカド神話の好感度アップ作戦が必要!?

シュメル・アッカド神話がいまいち浸透しないのは、イラストとしてインパクトを与えられないからだ、とちぃ子が言う。エジプト神話と言えば、ハヤブサの頭をしたヘル(ホルス)、ジャッカルの頭をしたインプゥ(アヌビス)、緑の顔のウセル(オシリス)など、明確なイメージが湧く。インド神話と言えば、ゾウの頭をしたガネーシャ、真っ青で3つ目のシヴァなど、明確なイメージが湧く。ギリシア・ローマ神話も、北欧神話も、そうだ。仏教も、如来、菩薩、明王で違いがあるし、分かるようになれば、持ち物なんかで誰が誰なのかを区別できる。でも、たとえば、記紀神話だと、みんな、髪型が角髪(みずら)で、誰が誰かを区別しにくい。理解しにくいと言えば、そうだろう。

シュメル・アッカド神話は、イナンナとかエンリル、エンキ、アンなどと言っても、イラストとして「これだ!」というイメージは湧かないかもしれない。ボクなんかは、白目のイナンナが両腕で円盤を掲げている姿とか、肩から水が魚と一緒に溢れ出しているエンキなんかを思い浮かべる。でも、それもあくまでも貧弱な彫刻のイメージであって、キャッチーなイラストではない。だから、シュメル・アッカド神話の神々を具体的にはイラスト化できない。

もしも、これらの神々をうまくイラスト化できれば、シュメル・アッカド神話の認知度も上がって、もう少し親しめるようになるかもしれない。その辺、チャレンジしてみてもいいかなあ、と思い始めた今日この頃である。

2015年7月14日 ご査収のほど、よろしくお願いします

本日、後輩から資料が送付されてきた。月曜日の発表会で演者が使用したPowerPointだ。メール本文に「ご査収のほど、よろしくお願いします」と書いてある。出た、ご査収!! でも、月曜日に発表が終わっている資料なので、「査」の部分ってない。あくまでも「収」だけだ。言葉の正確な意味を知らないで、何となくビジネス用語を使っているわけで、困ったものである。

この間は、先方から「前広にご連絡ください」とのメールが来た。今どき、そんな言葉、使う!?

宣言しよう。基本的に、ボクは聞き齧ったビジネス用語をろくに調べもせずに真似をして使うのが嫌いだ。

2015年7月15日 一切、他人を信じないボクは、でも、究極的には人間の可能性を信じている。

ただいま、会社では一大イベントを開催中だ。ところが、方々から散々な評判が舞い込んでくる。やれ、彼女は原稿を棒読みだったとか、やれ彼は淡々としていて冗長だったとか、彼は工夫がなかったとか、まあ、いろいろ。どうせなら、みんなもっと面白おかしくやって、楽しめばいいのに、それって難しいのだろうか? ボクは何でも楽しくやろうと思っているので、それなりに一所懸命だ。基本的にサービス精神が旺盛なのだ。だから、結果的にはそれなりの成果を出す。自信がある。でも、他人が頑張っている事柄に関してはどうしたらいいだろう。ボクにできることって何だろう。……最近、そんなことを考える。準備段階でのアプローチか? 仕掛けづくりか? 意識づけ? 動機づけ? 昨日と今日、イベントへの参加を方々に依頼している。彼らの反応はイマイチで、実のところ、不安要素がたくさんある。電話越しに、全ッ然、楽しくやってくれそうな気配を感じられないのだ。片手間に引き受けている感じ。それに「ボクたちは初心者だから仕方がないよね」と最初から自分にエクスキューズしている。

ボクは基本的に他人を信用していない。過度な期待もしていない。それでも、ボクは究極的には「できる!」と信じている。相手の能力を信じているのだ。相手が勝手にうまくやってくることなんか端から期待しちゃいない。でも、やればできるはずだ、と相手の能力を信じている。できるはずだから頑張ってくれ、と願っている。頑張れるか否かで、結果として「できる」と「できない」が変わる。だから、こちら側のアプローチによっては、もしかしたら「できる」の側に連れていけるかもしれない。そう信じている。その意味じゃ、ボクは最終的には他人を信じているのかもしれない。

2015年7月25日 ちぃ子はプログラム脳!?

実のところ、ファンタジィ事典はExcelで管理されている。何か更新するたびに、更新履歴を作ったり、五十音ファイルを更新したり、ジャンルごとの分類をしたりするのは大変で、Excel上で管理して、マクロをぐるぐる回して、自動的にhtml形式のファイルをはき出すようにしている。だから、ファイルを更新すると、Excelが勝手に更新履歴や五十音順、ジャンルごとのファイルを作成してくれる。メニュー・バーに最新の3日分を並べてくれるし、ランダム・ピックアップのJavaScriptも更新してくれるし、項目数も数えて吐き出してくれる。

ところが、本日、うっかり、ファンタジィ事典作成用のマクロを変にいじってしまって、動かなくなる。バックアップも保存していなかった。こりゃ、困ったな、と必死でバグ取りに追われる。でも、なかなかうまく行かなくて絶叫モード。

するとちぃ子(妻です!)がやって来て、「ここにメッセージボックスを入れてみて! はい、回す!」。言われたとおりにやってみる。「ここまではうまく回っているんだな。ふむふむ。じゃ、次、ここにメッセージボックスを入れて! あ、ここで回っていない。ほら、きっと、このループに問題があるんだよ!」などとぶつぶつ……。あっという間にバグを見つけてくれた。さすがプログラマ! ビバ。感謝。

こういうときに彼女がいてくれて助かるのである。わははは。

2015年7月30日 水木しげる不在の一反木綿なんてアリ!?

7月30日時点の英語のWikipediaから「一反木綿」の項目を丸々、引用してみよう。

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Ittan-momen

Ittan-momen (一反木綿 “one bolt(tan) of cotton”?) is a Tsukumogami formed from a roll of cotton in Japanese myth. Most has been handed down to the Kagoshima Osumi district. The Ittan-momen “flies through the air at night” and “attacks humans, often by wrapping around their faces to smother them.”

In popular culture

  • In the anime/manga series, Inu x Boku SS, one of the characters; Renshō Sorinozuka, is an Ittan-momen.
  • In the tokusatsu franchise, Super Sentai, the Ittan-momen was seen as a basis of a monster in series installments themed after Japanese culture.
    • In Ninja Sentai Kakuranger, one of the Youkai Army Corps members the Kakurangers fought was an Ittan-momen.
    • In Samurai Sentai Shinkenger, one of the Ayakashi, named Urawadachi, served as the basis of the Ittan-momen within the series.
    • In Shuriken Sentai Ninninger, one of the Youkai the Ninningers fought was an Ittan-momen, with elements borrowed from a carpet and a magician.
  • In the Yokai Watch franchise features a Ittan-momen yokai called “Ittan-gomen”. Instead of attacking humans, it makes people do something bad then insincerely apologize for it.

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そこはかとなく違和感を覚える解説である。そもそも一反木綿って付喪神なのだろうか。たとえば『付喪神絵巻』には「器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑かす、これを付喪神と号すと云へり」とあって、付喪神は道具が長い年月を経て、化けて出るものである。一反木綿は「道具が長い年月を経て化けた存在」ではないだろう。そもそも、一反木綿というのは鹿児島県肝属郡という狭いエリアに伝わる妖怪だが、一反ほどの木綿のようなものが、夕方にふわっと飛んできて、首に巻き付いて人を窒息死させる、というもの。「木綿」と断定しているのではなく、その外観から、何だかよく分からないけれど「木綿のようなもの」と言っているわけである。

「大衆文化における一反木綿」として挙げられている作品にも違和感を覚える。最初に挙げられているのが『妖狐×僕SS』。確かにこの漫画は長い間、本屋に平積みにされていて、一部では大人気の作品だ。でも、英語圏の人が真っ先に挙げるような作品なのかは甚だ疑問である。二番目に挙げられているのは戦隊もの。忍者戦隊カクレンジャー、侍戦隊シンケンジャー、手裏剣戦隊ニンニンジャー。いずれも「和」の雰囲気を持った戦隊ものなので、外国人にはウケているのかもしれない。最期に挙げられているのは『妖怪ウォッチ』で、これは「大衆文化における一反木綿」として挙げるには順当かもしれない。

でも、日本人だったら、10人が10人、『ゲゲゲの鬼太郎』を挙げると思う。ちょこんと生えた2本の手、吊り上がった2つの目、先端が尻尾のように細くなって、背中に人を乗せて空を飛ぶ一反木綿のイメージは、実のところ、水木しげるの創作だ。実際の鹿児島県の伝承では「木綿のようなもの」とだけあって、姿に関する明確な記述はない。水木しげるがうまく視覚化した産物と言える。境港市が2007年に開催した妖怪人気投票で、一反木綿は鬼太郎を押し退けて堂々の1位に選ばれているが、これは彼の影響が大きいだろう。『ゲゲゲの鬼太郎』や水木しげるが紹介されない点が、何とも不思議な感じがする。

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英語圏では、まだまだ日本の妖怪の知名度は低いのかもしれない。その一方で、『妖怪ウォッチ』や『妖狐×僕SS』、戦隊モノなど、日本の最新の文化は英語圏に着実に流入していて、その中に登場することで、英語圏の人々は日本の妖怪と触れ合っている、とも言える。また、Wikipediaには、最新の情報にはただちに反応できるが、『ゲゲゲの鬼太郎』のような古くから存在する情報はうまく反映させられない、という特徴があるのかもしれない。実際、『ゲゲゲの鬼太郎』のWikipediaの登場人物の項目には、ちゃんと一反木綿の名前が挙がっていて、結構な分量を割いて解説されている。

一般的な日本人が抱く一反木綿のイメージと、英語のWikipediaの記述には、若干の乖離があるわけだが、翻れば、日本人が抱く海外の妖怪のイメージも、現地の人からすれば、的外れだったり、乖離があったりすることも大いに考えられる。特に資料の乏しい国の妖怪だったら、尚更だ。ボクも、海外の妖怪をリサーチするときには気をつけなきゃいけない。