2017年1月11日 メール投稿の機能を加えてみたが

「日々の雑記」の記事をメールから投稿できるようにした。WordPressはいろんなことが比較的簡単にできるので助かる。これで更新頻度が増すというわけではないだろうが(結局、書こうと思い立つ気力の問題なので!)、でも、メモがてら、メールに記事を書き溜めて、それを送信することで公開できるようになった。それはそれで少しは改善である。

一番大きいのは海外からも更新できる点だ。今まで、Wi-Fiのセキュリティが悪くて、パキスタンやナイジェリアからWordPressにログインできなかった。だから、渡航中は更新が断絶していた。メールから投稿できるようになれば、Wi-Fiセキュリティは関係ないので、いつでも更新できる。問題は修正ができないという点。あ、しまった、と思っても取り返しがつかない。

2016年11月17日 ボクはきっとSNSに向いていない

SNS中毒という言葉が巷には溢れている。でも、幸いなことに、ボクはSNSに向いていないらしい。いつも、何か書こうと思いながら、忙しさに感けて、結局、何も書かない。書き始めても、続かない。

基本的には書くことが好きで、Wordには毎日何ページも日記を書く。でも、Facebookやtwitterの投稿ページを開くと、気持ちが萎えていく。えいや、と覚悟を決めないと書けないのだから、不思議だ。

最近、ボクはSNSに向いていないのだ、と自覚するようになった。きっと向いていないのだろう。それはとっても幸運なことだ、と思うボクである。

2016年9月4日 過去のイラストをアップロードし忘れていた件www

年賀雑誌の作成をしながら、過去の表紙の絵を整理していたら、2年前(未年)のケネムゥと昨年(申年)のイエティの絵をウェブサイトにアップしていないことに気がついた(笑)。慌ててウェブサイトにアップロード。何のために描いた絵だというのか!!

折角なので、ここにもあげておこうと思う。

■エジプト神話のケネムゥ神

ケネムゥ

意外とヒツジに関連する妖怪っていないので困っている。次の未年には何を描いたらいいのだろうか。うーん。轆轤で人間を創った神さまなので、轆轤を回しているところ。一応、少し時代が経って、2種類の角がついているヴァージョンを描いてみた。すでに真横に角が伸びたヒツジは絶滅しているので、現実には巻いた角のヒツジしかいなかった時代に、苦肉の策で両方の角があるケネムゥ神(笑)。

■未確認生物のイエティ

イエティ

ジェッソで雪を描くという新しいことに挑戦。イラストそのものはデイリー紙のイエティ像をそのまんま採用したので、まあ、デザイン的には普通。足を小さくしてグロテスクな感じにしたところがオリジナリティと言えば、オリジナリティ(笑)?

2016年8月26日 日本のSNS利用は特異!?

ソーシャル化とモバイル化でも、「日本の特異性」が一段と進む:http://blogos.com/article/188173/

世界平均では、インターネット利用者の93%がSNSアカウントを持っているらしい。でも、先進国であるはずの日本は70%と低い。また、世界平均では7種類のアカウントを持つらしいが、日本では2種類のみ。

ボクの場合、アクティヴなのはFacebook、Twitter、LINEだけだなあ。YoutubeとGoogle+は登録だけだし、mixiはほとんど死んでいる。LinkedInは海外の方々からコンタクトがあって怖くなって止めてしまった。Pinterestも使いにくいから止めた。PixivとInstagramは興味があるけど未着手。そんな状況。

この記事では、利用時間についても言及されていて、他の国が1時間以上の中、日本は18分と極端に低い。まあ、これは文化的なものもあるだろうな、と感じる。海外に行くと、仕事中でもFacebookをやっている人がたくさんいるし、業務連絡にSNSを使っている場合だってある。日本じゃ、考えられないこと。業務中はSNS禁止が一般的だろう。最近、社内連絡に公式にLINEを使っている会社の人を見かけたが、日本ももっと積極的に活用すべきなのかもしれないなあ、と思う。

大体、フィリピン人なんて、メールを開かない人が多くって、返信が返ってくることはほとんどないが、Facebookに連絡すると、すぐに回答が来る。そういう文化的な違いは大きいだろうなあ、と思ったら、案の定、利用時間ではフィリピン人がダントツの3.7時間。でも、実のところ、ナイジェリア人もかなりの部分、Facebookで連絡を取り合っているので、時代はそういうものなのかもしれない。

2013年にミャンマーに行ったときに、停電ばっかりだし、水道インフラもない地域で、現地の人々がスマホを使っていて、ものすごく驚いたのを覚えている。当時はまだ日本でもスマホとガラケーが半々くらいだった頃だと思う。しかも事前に印刷した地図を示しながら、場所を探していたら、現地スタッフがスマホのgoogleマップで現在地を拾って、「今、ここだ!」と説明してくれた。電気も水もちゃんと整備されていないのに、ネットインフラだけは進んでいることにギャップを感じた。

でも、言い換えれば、まだまだ日本には潜在的なSNS利用者がいる、ということで、その辺にビジネス・チャンスが転がっている、ということでもある。SNSになびかないと見るか、これからSNSに引き込めると見るか。さてはて。

2016年5月10日 iPhoneで楔形文字が読めたよ!?

半年振りくらいにiOSアップデートした。そうしたら、Unicodeで記載していたボクのウェブサイトのメソポタミアの楔形文字が印字されるようになって驚いた。今までは◻︎に文字化けしていたのに!

まさかと思っていろいろ巡回したら、古代エジプトのヒエログリフとか古代ペルシアのアヴェスター文字まで印字される。ををッ、すごいな、iPhone。

どうやら、iOS9では、学術的な観点からこういう古代文字を印字できるようにした模様。2016年4月24日の記事でスマホの普及が多言語化の足枷になっていると書いたばかりなのに。

それならば、とミャンマー文字に挑戦したら、これは◻︎のまま文字化けている(笑)。すでに死んだ古い文字は印字されるのに、まさに今、生きて現地で使われている言語が疎かになっている片手落ち。

それでも、ウェブサイトの他言語化を強く推進して、文字化けしていても敢えていろんな言語をUnicodeで記載し続けているボクとしては、iPhoneのこの強い姿勢は評価できるし、嬉しい。少なくとも、iOS9以上の人がボクのウェブサイトにアクセスしたら、今までの文字化けの8割は解消しているはずだ。

GoogleもUnicodeの文字を全て印字させるべく昨年の9月にNoto Fontシリーズを発表したし、徐々にウェブサイトの他言語化が進んでいく。

大学生の頃からブツブツ言ってきたが、やっとここまで来たなあ、という感じ。

2016年4月23日 Google Noto Fonts

ファンタジィ事典で世界各国の妖怪を紹介している関係、原語にこだわっている。たとえば、英語のウェブサイトで「天狗」のことを「Long-nosed Goblin」などと紹介してあったら、ちょっと引く。でも、これは冗談ではなくって、日本の英語の辞書なんかには、Long-nosed Goblinという項目があったりする。同様のことはよくあって、例えば、ウェールズの「ウォーター・リーパー」という妖精なんかは、Wikipediaでもウォーター・リーパーの項目で載っているが(英語でもWater Leaperだ)、これはウェールズではLlamhigyn Y Dwr(サムヒギン・ア・ドゥール)と呼ばれていて、勿論、意味するところは《ウォーター・リーパー》なんだけれど、英語圏の人がそういう紹介をして、いつの間にか、そういう名称が普及してしまった格好なのだろう。

ボクとしては、あんまり、そういう訳語を使いたくなくって、現地での固有名詞を並べるウェブサイトにしたいと思っている。その一方で、外国語には日本語にはない発音がたくさんあるので、当然、カタカナ化には限界があるので、その間で煩悶する。その解決策として、原語での記載を併記する。ドイツ語ならドイツ語、フランス語ならフランス語、ロシア語ならロシア語、ギリシア語ならギリシア語だ。ところが、当然、マニアックな言語、例えばタイ語やミャンマー語、ラオス語などになると、コンピュータ側の印字に問題が生じる。対応フォントを設定してやらないとうまく印字されない。ましてや古代の言葉、ヒエログリフや楔形文字、アヴェスター語になると、対応フォントがデフォルトではインストールされていない。従って、文字化けになる。

こういうのは、いつかは解消されるだろう、と大学生の頃から、ボクは楽観的に思っていた。Unicodeとしては種々の言葉がどんどん登録されていくので(最近では麻雀牌や日本のケータイ絵文字も登録されている!)、Unicodeに全て対応するフォントが、いずれは出てくるだろうと思っていた。そして、そういうフォントが作成されれば、デフォルトでOSにインストールされるのではないか、とも思っていた。でも、今のところ、Unicode全てに対応したフォントは登場していない。ニーズの問題と、技術的な問題と、両方あるのだろうけれど、想像していたよりもずぅっと遅れている。

そんな中で、Googleでひとつのプロジェクトが動いている。多言語化に対応するために、Notoフォントというパッケージが作成されている。Notoフォントのパッケージを全てダウンロードすると、全てのUnicodeに対応する。つまり、ボクの理想形に限りなく近い。ただし、ひとつのフォントではなく、フォントのパッケージである。全Unicodeに対応させるとものすごく重くなるらしく、結局、それぞれの言語で分割して、パッケージとして対応するという判断になったらしい。まあ、パッケージで全Unicodeに対応しているのだから、それでいいじゃないか、という話もあるのだが、例えば、Wordで文書を作成して、日本語で文章を書いていて、途中に楔形文字を入れることを想像してみる。Word全部でたったひとつの『Noto Fonts』で対応してくれれば楽ちんなのに、現状としては、日本語の部分は「Noto Sans CJK JP」、楔形文字の部分は「Noto Sans Cuneiform」を指定しなければならない。ウェブサイトも同様で、スタイルシートで言語に応じてフォントをしてやらなければならない。

その一方で不思議なこともあって、日本のケータイの絵文字だ。Unicode.orgを参照してもらいたいのだが、いつの間にか、日本のケータイ文化の中で育った絵文字は、いつの間にか「Emoji」として世界基準になって2010年にUnicodeに登録され、ケータイ会社3社で統一化されたり、各種のSNSやblogサービスにも対応するなど、広がりを見せているが、実は最新のwondows OSでは、普通に絵文字が印字できるようになっている。「らくだ」と打って変換すると「🐪」になる。絵文字を印字させるためにわざわざ対応したフォントを作成しているわけだ。こんなものをデフォルトに実装するくらいなら、もっと別のことをやってくれよ、と内心、ボクは思っているわけだけれど、ニーズには勝てない、ということ。だから、もっともっと多言語化にニーズがあることをアピールしなきゃいけない、ということで、ファンタジィ事典では、たとえ文字化けになっていようとも、原語を使い続けているわけである。

ちなみにNotoフォントのNotoは「no more tofu」の略らしい。文字化けしたときの□をgoogleは「豆腐」と読んでいて、これを取り除こうというコンセプトらしい。この主義主張には大いに賛同できるので、ボクは今、順次、ファンタジィ事典をNotoフォントに対応させている。ミャンマー文字を印字するためにMyanmar3フォントを、アヴェスター文字を印字するためにAhuramzdaフォントを、楔形文字を印字するためにAkkadianフォントをわざわざダウンロードしてインストールするのは大変だけれど、Notoフォントのパッケージをダウンロードすれば済むなら、その方が断然、いい。

NotoフォントのパッケージはGoogle Noto Fontsからダウンロードできるので、是非!!

2016年4月17日 独自ドメインでGo!!

今の独自ドメイン(hetappi.info)を取得したときに、昔のウェブサイト(hetappi.gozaru.jpとかfantasy.kakurezato.jp)を明確には閉鎖しなかった。新しいドメインにリンクを送ることも積極的にしなかった。今となっては記憶がおぼろげで覚えていないが、多分、当時のボクとしては、独自ドメインでサイト運営をすることに不安があったり、疑問があったりして、忍者ツールズのドメインに戻る可能性を考えていたのかもしれない。何しろ、当時としては、忍者ツールズは強かったので、そこでウェブサイトを構築することは、SEO的には大きな強みだったはずだ。

今、独自ドメインでサイト運営をしている。WordPressやcgiを駆使している分、自由度は高いが、それでも、ドメインの強さはイマイチで、googleにも好かれていない。検索すると、忍者ツールズに展開していた時代のボクのウェブサイトの方が上位に来る。そもそも、積極的にSEO対策を施していないのだから、当たり前だ。

最近、自分のウェブサイトにあげた記事が、googleにキャッシュされるのが遅いな、と感じるようになった。多分、googleのサイトランクが下がって、目に見えて影響が出てきたのだろう。だから、ちょっと重い腰を上げて、SEO対策を施そうと暗躍している。6月くらいには、もう少し強いウェブサイトにしたいなあ。

2016年1月1日 今年はメジャーどころを埋めていこう!

あけましておめでとうございます。本年もウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」をよろしくお願いいたします。今年も張り切って参ります!!

……というわけで、毎年恒例の抱負のコーナ。今年のファンタジィ事典編纂の目標は、マイナーどころを攻めるのではなくって、まずはメジャーなところを潰して、事典としてのクオリティを向上させよう、と決めている。メジャーな妖怪は、実はちょっとググればいろいろと出てくるし、目に触れる機会が多いので、間違った情報は比較的少ない。だから、わざわざボクがフォローする必要はない、と今までのボクは考えていて、どうしてもマイナーな方に視点を向けてきた。でも、実はメジャーな妖怪って、Wikipediaも含めて、意外と分かりにくい説明が多いなあ、と感じるようになってきた。情報が多過ぎて、逆にうまくまとめられなくなっている感じだ。その辺をもう少しシンプルに説明してやれば、きっと楽しいものになるだろう。それに、本当は、事典としての構成上、メジャーどころを埋めることも大切な使命である。そういう意味では原点回帰しようと思っている。

日本の妖怪、記紀神話……と情報が一番入手しやすい日本からスタートして、次々に項目を追記していきたいな、と考えている。

もうひとつの目標は、あんまり学術っぽく、堅苦しくなくいきたいな、ということ。資料としての厳密さと読み物としての面白さは相反する傾向があって、バランスのいいところに落とし込みたいな、と思っている。その辺を試行錯誤する年にしたい。

2015年10月8日 密かな野望の準備作業

久々に森博嗣の『MORI LOG ACADEMY 1』(ダ・ヴィンチ ブックス,2006年)
を引っ張り出して読んでみる。あんまりテーマを定めずに、その日に思ったことや感じたこと、考えたことがつらつらと書いてある。ああ、そうか。あんまりテーマを固めると書くのが大変だよなあ、と思う。もっと自由にフランクに書くのも悪くないかもしれない。

最近はシュメル関連の本を読んでいる。いつかメソポタミア神話のウェブサイトを立ち上げても面白いかもしれない、と密かに企んでいて(もう公言してしまった!)、その準備作業だ。厚さが少し薄いのでどうかな、と思っていた前田徹氏の『世界史リブレット 1 都市国家の誕生』は都市という切り口で非常に練られていて面白いし、小林登志子氏の『五〇〇〇年前の日常 シュメル人たちの物語』は王侯貴族のものではあるけれど、人々の日常が抜き出されていて面白い。松島英子氏の『メソポタミアの神像 偶像と神殿祭儀』 はシュメル人とアッカド人のそれぞれの文化の混合という視点で神話を整理しようとしていて、その試みに非常に惹かれる。現在のボクは情報を貯め込む期間である。そのうち、自分の中で一定の整理ができたら、情報発信の側に回りたいな、と思う。ひとつの目標としては、シュメル・アッカド神話の神々の姿を確立することだ。他の神話の神々と違い、シュメル・アッカド神話の神々は明確にヴィジュアル化されていない。だから、イマイチ、ぱっとしないのだ。当時の髪型、当時のファッション、当時の食文化、当時の道具なんかをちゃんと頭の中に叩き込んで、ヴィジュアル化する。そのときに、きっと、シュメル・アッカド神話が、もう少し身近なものとして再構築されるのではないか。そんなことをぼんやりと頭の中に思い描いている。

そうそう。ようつべを散策していたら、懐かしいPVを発見。ファンが衝撃を受けた話題作(笑)。どうせなら、これもCDに入れてくれればよかったのにね。

2015年8月9日 HNの話

facebookは原則、本名で登録して活動することになっていて、どうやら、大抵の人は本名で活動しているようだ。

マテピ東京のオフ会幹事の打診があって、すぐにfacebookでイベを立ち上げた。マテピ東京のメンバもみんな、真面目に本名で登録しているようで、参加表明があっても、正直、ボクは誰が誰やら分からない。でも、しばらく考え込んで、それから、やおら、「をを!」と名前とHNが繋がって、顔を思い出す。一般に、自分とはまるで無関係のHNにする人は少ない、と言われている。実際、意外とみんな、本名をアレンヂしたHNで活躍しているものらしい。だから、プロフィールに飛んだり、写真を確認しなくても、ほとんどの場合、誰が誰なのか想像できた。

ボクはオンライン上では、最初っから本名は放棄している。大昔は「greenbard」名義で活動していた。これは緑色が好きだったことと、将来の夢が吟遊詩人になりたかったからだ。高校生のボクは、FF4のギルバートに憧れていたのだ(照)。今は「八朔シータ」。大学生になって、オフ会をするようになると、リアル社会で「greenbardさん」と呼び掛けられることになる。それに抵抗を感じて「greenbard」は止めにした。でも、当時の人からは「グリバーさん」と呼ばれている。困ったものだ。「八朔シータ」は、少し本名に近づいた、と言える。少なくとも、少しは日本人らしい名前になったかな、と思う。リアルで呼び掛けられても、まあ、そんなに恥ずかしくはない。特に「シータさん」と呼び掛けられたら、知らない人が聞いても、まあ、そういうもんかな、と思ってもらえるのではないか。

正直に白状すると、「水谷フーカ」という漫画家がいて、その名前の見た目の美しさに惹かれた。ボクもそれに倣って、漢字+カタカナで、カタカナの真ん中を長音符にしてみたわけだ。見た目のインパクトはいいのではないか。実は、もうひとつの対抗馬として「南Q太」という漫画家もいて、これを参考に名前に一文字、アルファベットを入れてみる、というのも面白いな、と考えた。こちらは採用しなかったが、気分が変わったら、そちらに改名することもあるかもしれない。

HNや芸名、ペンネームは響きだけじゃなくって、見た目も大切だ。「オダギリジョー」とか「瑛太」はインパクトがある。「ミムラ」というのはどうなんだろうね。「優香」というのも、最初はビックリしたけれど、すっかり認知されてしまった。ラルクのkenとかX Japanのhideとか、JAMのYUKIとか、よくそれで成立するなあ、と思うけど、こういうのは先行利得というのか、収穫逓増の法則というのか……。

2015年7月25日 ちぃ子はプログラム脳!?

実のところ、ファンタジィ事典はExcelで管理されている。何か更新するたびに、更新履歴を作ったり、五十音ファイルを更新したり、ジャンルごとの分類をしたりするのは大変で、Excel上で管理して、マクロをぐるぐる回して、自動的にhtml形式のファイルをはき出すようにしている。だから、ファイルを更新すると、Excelが勝手に更新履歴や五十音順、ジャンルごとのファイルを作成してくれる。メニュー・バーに最新の3日分を並べてくれるし、ランダム・ピックアップのJavaScriptも更新してくれるし、項目数も数えて吐き出してくれる。

ところが、本日、うっかり、ファンタジィ事典作成用のマクロを変にいじってしまって、動かなくなる。バックアップも保存していなかった。こりゃ、困ったな、と必死でバグ取りに追われる。でも、なかなかうまく行かなくて絶叫モード。

するとちぃ子(妻です!)がやって来て、「ここにメッセージボックスを入れてみて! はい、回す!」。言われたとおりにやってみる。「ここまではうまく回っているんだな。ふむふむ。じゃ、次、ここにメッセージボックスを入れて! あ、ここで回っていない。ほら、きっと、このループに問題があるんだよ!」などとぶつぶつ……。あっという間にバグを見つけてくれた。さすがプログラマ! ビバ。感謝。

こういうときに彼女がいてくれて助かるのである。わははは。

2015年6月14日 素敵な本との新しい出会い方

素敵な本と出会えるSNS「本のアプリStand」は秀逸だ、と思う。自分のタイムラインにはおすすめの本をちょっとしたコメントとともに投稿していく。本の裏表紙のバーコードをスマホで撮影すれば、すぐにおすすめが書ける。一方で、自分の前にはフォロワーのおすすめの本がずらり、と並ぶ。ちょっとしたコメントも書いてある。興味を惹かれた本をクリックすると、Amazonと紐づいていて、内容の確認が出来るし、気に入ったらそのまま購入も出来る。気になる本を取り敢えず保存しておくことも出来る。自分のアンテナだけでは引っ掛からなかったような本が、どんどんおすすめされる。読んでみたい衝動に駆られる。今まで出会わなかっただろう本と出会える可能性が無限大だ。よく出来たシステムだなあ、と思う。ナイジェリアにいなければ、きっと、今頃、本の衝動買いをしているだろう。素晴らしいSNSだと思う。

でも、「本のアプリStand」というネーミングだけはいただけない。

2015年1月9日 ウェブサイトの話

最近、よくウェブサイトについて考える。大昔は、ホームページを作ろうと思ったら、ホームページビルダの時代だった(もちろん、メモ帳にタグ打ちというのもあるけれど)。それがレンタル日記帳やblogになって、CMS(コンテンツマネージメントシステム)になったなあ、と思っていたら、今やWP(ワードプレス)の時代だ。CMSだと業者さんに高い金額を払わないといけないけれど、WPになると、比較的安価に、誰もが思い通りのテンプレートを享受できるようになる。進化したなあ。誰もがウェブサイトを持てる時代になった、ということかもしれない。

実は、会社のウェブサイトのCMS化をお願いしたら、蓋を開けたらWPだった。なるほど、独自のCMSを構築するよりも、WPを活用した方が楽チンだよなあ。でも、それだったらボクでも出来たなあ。

ボクがウェブサイトを始めた頃は、「侍魂」とか「ちゆ12歳」とか、みんなが見るウェブサイトというのがあった。みんなで「あのウェブサイト、面白いよね?」と盛り上がった。文字の大きさや色を変える文章が流行った。今は面白いウェブサイトを見るというよりも、SNSで相互に情報発信する時代だ。

ボクは今でもこつこつとhtmlタグ打ちで更新している(日々の雑記だけはWPに切り替えた!)わけで、イマイチ、盛り上がらない。FacebookとかTwitterと連動させるんだろうなあ。でも、あんまりそういう風に気分が乗っていかないのであることよ。何故だろう。

2015年1月1日 I hope 2015 will be a wonderful year for you.

ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」をご覧の皆さま、あけましておめでとうございます。あっという間に2015年になってしまいました。

思えば、昨年は仕事で海外を飛び回ってばっかり。数えてみたら、1年の3分の1は海外で過ごしていました。慣れない地での怒涛の毎日。現地では自分一人で判断しなきゃならないことも多く、悩みながら、一歩一歩進んできたような感じです。

でも、お陰で現地の妖怪に興味を持ったりして、今まではどちらかと言えばヨーロッパかぶれだったボクも、次第にアジアやアフリカの妖怪に目を向けるようになりました(笑)。おそらく、2015年はそういう地域の妖怪をフォローしていくようになると思います。

父不在の中、息子のツクル君は勝手にすくすくと育ち、いまや伝い歩きをしながら、家中を歩き回っているわけで、何だかとても不思議な感じがします。生命って逞しいですね。

2015年も海外を飛び回り、育児に奔走しながら、相変わらずゆるゆるとウェブサイトを運営していくことになりそうですが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2014年10月26日 久々に落書きディ!!

久々に集中して妖怪の絵なんか描いてしまった。鉛筆で一気にがががーっと下絵を描いて、それから丸ペンでぐいぐいと線画を仕上げて、PhotoShopでベタ塗りで彩色。あっという間に2つも描いてしまう。多分、1時間ちょっとじゃないかな。どちらもフィリピンの妖怪。このくらいのクオリティなら、ガンガン行ける。もっと定期的に絵を描くようにしたいなあ、と思った。絵があった方が、楽しいファンタジィ事典になると思う。

残念ながら、今回の2枚は雑誌に使うことを意図して描かれているので、1月になるまでは非公開。乞うご期待。とは言え、本音じゃ、さっさと公開したいなあ。来週中にもう一枚、羊の絵を描いて、それで雑誌用の絵はおしまいだ。頑張るぞー。なんか、楽しいじゃん!! コピックよりもPhotoShopの方が楽チンかもしれない。でも、ベタ塗り限定だ(笑)。濃淡つけたり色を重ねたり、という芸当は、PhotoShopじゃ出来ないなあ、ボクは。

2014年9月2日 9月のオススメ楽曲です(笑)。

今回は久々の音楽紹介。

Youtubeでストロベリーソングオーケストラの新曲を発見。「臓物にジグソウ」。7月に発売されていたらしい。メチャクチャ、メタルだ。ギターが唸る。ストロベリーソングオーケストラの醍醐味は、何と言ったって、宮悪戦車のデスボイスと美歌&朱音の合唱部の美声の組み合わせ方だ。そのバランスが、今回、ものすごくいい。シビれる。

それから、ゲスの極み乙女。の「アソビ」。一部ではウケがよくないみたい。まあ、歌ものというよりは楽器ものという感じなので、歌ものを求める人にはウケないかもしれない。ボクは基本、鍵盤屋なので、ちゃんmariのキーボードの踊るような感じが好きだし、面白いと思う。こういう突飛な感じの楽曲を、ゲスの極み乙女。には作っていってもらいたいなあ、と思っている。まさに「アソビ」というタイトルどおりだ。

2014年7月5日 htmlとblogのいいとこ取り!!

ようやく2月の雑記を埋めて、3月の雑記を埋める作業に没頭している。Wordpressにしてから、更新頻度が明らかにペースアップしている。いっそのこと、日々の雑記だけじゃなくって、ファンタジィ事典miniもWordpressにしてしまおうかしら。

何よりも大きなメリットは、FTPを介さないでオンライン上で更新できるので、オンラインに繋がってさえいれば、空き時間にちょこちょことどこからでも更新できる点だ。職場の昼休みとか、電車移動中のスマホとか、更新のチャンスは増加する。

こんなことなら、もっと早くにWordpressにシフトすればよかった。blogにするか、htmlにするかでいつも悩んでいたのだから、htmlでありながら、blogのメリットも兼ね備えたWordpressに臆する必要なんか、最初っからなかった。まあ、プログラム的発想が必要なので、その辺の敷居が高いのだなあ。

2014年6月29日 情報発信と責任

最近、Facebook上で児童虐待の動画を何度も見る機会があった。何しろ、みんながシェアして拡散しているのだ。そして、どうやらその動画に映っている母親が特定され、警察と児童相談所が介入したらしい。一見するとめでたしめでたしなのかもしれない。虐待されていた児童に救いの手が入ったと言える。でも、ボクは一連の動きについて、ちょっと、気持ちの悪さを覚えている。それが何か分からなくって、ずぅっと考えていた。そして、ようやく、答えが分かったような気がするので、ここに書いておこうと思う。

動画を公開するということは、それ自体が、ひとつの社会的制裁だ、とボクは思う。母親は、もちろん、子供を蹴り飛ばしているのだから、その点においては「悪いヤツ」なんだけど、でも、動画を公開することで、その母親の悪い行いは、白日の下に晒されて、不特定多数の人が閲覧できてしまう。彼女は、渋谷駅という公共の場で虐待をやっているわけだけど、でも、知人に見せたいなんて気持ちはこれっぽちもないだろう。隠しておきたいことだろうと思う。それを大っぴらにされちゃう。これって、社会的制裁だ。この母親は刑事責任を問われるかもしれない。民事責任も問われるだろうか。もしかしたら、行政的な措置もとられるのかもしれない。それらに加えて、社会的制裁も受けるわけだ。でも、それって、一体、誰が決めたのだろう。何の権限だろう。そういう社会的制裁を、素人の第三者が取り扱うことについて、ボクたちはどう考えるべきだろうか。

昔から、ボクは疑問を抱いている。バッシング報道とか、掲示板上での炎上とか、正義感の塊みたいな顔をしているけれど、社会的制裁ほど、正体不明で怖いものはない、といつも思っている。何の権限の元に、彼らは社会的制裁を受けるのか。本当に刑事・民事・行政だけじゃ足りないのか。

誰もが情報発信者になれる時代だ。だけど、発信した情報について、ボクたちはどこまで責任を持てるだろうか。そして、どんな権限が、ボクたちにあるのだろうか。

多分、そういう気持ちの悪さなのだと思う。動画を公開したことが一部では評価されている。最初にも書いたとおり、もしかしたら、虐待されていた子供には救いの手が差し伸べられたのかもしれない。それはそれで結果としてはハッピィエンドだ。でも、この方法論が正しいのかどうか。それはボクには分からない。無責任にシェアして拡散して、社会的制裁を加える。少なくとも、ボクはそこまでの権限は持っていないと思っているし、その責任も取れないなあ、と思っている。

2014年6月26日 カウンタって何だったのだろう!?

この時代に、ウェブサイトのカウンタって必要なのだろうか。ふと、そんなことを悩んでしまった。というのも、Wordpressでウェブサイトを再構築する都合で、いったん、カウンタを外してしまったのだ。当初は、後からカウンタを再度つけ直そうと思っていた。でも、実際にカウンタを再設置しようという段階になって、ふと、カウンタって何だろうか、と考え込んでしまった。

ボクは2003年にウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」を立ち上げた。思えば、もう、11年もウェブサイトを運営しているのだなあ。当時は、ウェブサイトのトップページといえば、必ずカウンタがついていて、キリ番リクエストとか、キリ番達成イベント(10000HITとか?)みたいなイベントが開催されていた。そんな時代だったので、ボクも疑問も持たずにカウンタを設置した。カウンタが1000になったとか、5000になったとかで大喜びして、そのタイミングで思い切ってサイトのリニューアルを敢行したりもしていた。でも、最近は、カウンタをつけているウェブサイトはほとんどなくなっていて、あっても昔ながらのページだ。そもそもhtmlの個人ページが減った、とも言える。

カウンタの役割って、何だったのだろうか。ボクとしては、何となくお遊び感覚だったよなあ、と思っている。キリ番をひとつのコミュニケーション・ツールにしていた。「10000HITおめでとう」とか「50000HITおめでとう」とか互いに言い合っていた。今はfacebookやtwitter、blog……。人が集まる場所が分散して、いわゆるウェブサイトの常連さんがいなくなった。通りすがりの人があまりに多すぎて、カウンタなんか誰も見なくなっている。

今でもキリ番イベントをやっている古参のウェブサイトを見かける。キリリクとか受け付けている。相変わらずの懐かしい雰囲気にほろり、としてしまう。でも、正直、うまく機能しているとは思えない。

それ以外にも、自分の原動力にもなっていたのかなあ、という気がしないでもない。どのくらい自分のウェブサイトにアクセスがあるのか、ウェブマスタなら、みんな気になるところで、それが可視化されて、ウェブサイトが動いている感じがしていた。今日は何人来たぞ、と確認できたし、いつかボクも10000HITを達成するのだ、と目標にもなっていた。そういう意味じゃ、自分自身を奮い立たせる役には立っていた。でも、閑散として、カウンタが回らないのを確認するだけの現状じゃ、あんまり意味はないかもしれない。

そんなわけで、もう、カウンタは要らないかなあ、とボクは個人的には思っている。もう、カウンタの役目は終わった。多分、必要なのは外向きのカウンタではなくって、内向きのアクセス解析だ。カウンタという看板を掲げてコミュニケーションする時代は終わったのだ、と思う。

2014年6月24日 知らないということ。

「若手」という理由で、たまたま会社のウェブサイトのリニューアル業務に参加しているボク。窓口は別の人がやっているので、ボク自身は直接、ウェブ・デザインの会社の人と接触することはない。でも、どうも、話を聞いていると、WordPressを導入したリニューアルになるらしい。会社がいくら支出しているのか分からないし、どういう契約をしたのか分からないけど、htmlファイルだけ数えたって、10本の指で足りてしまうような、そんな薄っぺらいウェブサイトだ(こらこら!)。わざわざWordPressを使う必要があるのか、と疑問に思わないでもない。でも、よくよく話を聞くと、CMSの構築を依頼したらしいので、その結果、WordPressでのリニューアルになったのかもしれない。それとも、最近のウェブ・デザイン業界は、WordPressでのウェブサイト構築が普通になっているのかもしれない。

ちょうど、タイミングとしては、ボク自身が、自分のウェブサイトをWordPressでリニューアルした矢先だったので、結構、興味津々だ。そうしたら、会社の担当者が「申込用のメール・フォームをお願いすると高くなっちゃうらしいので、今回は諦めました」などと言っている。えええッ、と思ってしまう。ボクだったら、WordPressのplug-inをぶっ込んで、10分くらいで作ってあげちゃう。そもそも、大昔だって、cgiでちゃちゃちゃっとメール・フォームくらい作成できた。今回のウェブ・デザインの会社は、メール・フォームひとつつくるのに、一体、いくらを要求したのだろうか。

知らないって恐ろしいことだ。Excelでランダム・リンクを吐き出すプログラムが、月額1,000円でクラウド上に上げられていたこともあったらしい。おいおい、と思うけど、結構、ありがたがって使っているユーザもいたそうだ。もともとExcelにはrand関数があるのにね! そのくらい、Excel上で手作業でも出来るのに、自動化だ、と勘違いしているのだから恐ろしい。知らない、というのは、そういうことだ。