2026年1月28日 「情報」「意見」「日記」
実業家のけんすうさんがnoteにも書いていて、Youtubeでも発信していたんだけど、SNSで発信してファンを獲得するための考え方として、内容を「情報」「意見」「日記」に分けて考えていて、フォロワー数が1万人になるまでは、原則、「情報」だけを発信するべしと言っている。何者だか分からない人間の「意見」や何者だか分からない人間の「日記」なんか読まない。「意見」を混ぜていくのはフォロワーが1万人を超えた頃から、というわけだ。そして、最終的には「日記」だけでも見てもらえるところが理想形。だから、それまでは有益な情報を出していって、信頼を勝ち得た方がよい。
詳細はけんすうさんのnoteの「これから発信してファンを増やしたいぞ!という人のための教科書」を参照して欲しい。結構、丁寧に解説してくれていて、「情報」の優先順位なんかも書いてくれていて、ありがたい。
そういう意味では、この「日々の雑記」、タイトル通り、本当に雑多な日々の日常の出来事や日々の中で感じた意見なんかも玉石混交で書いているので、あんまり理に適った内容にはなっていない。まあ、そもそも、ここはSNSではないし、わざわざアクセスしてくれた人のための場所だから、いいかと思いながら、自由にやっている。
でも、Xなんかは、ちょっと意識して「意見」や「日記」をあんまり入れないようにしている。けんすうさんはストイックに「情報」だけを発信と書いているんだけど、そうすると、botっぽくなるので、それはそれでやりがいは感じなくて、そういう悩ましさ、難しさはあって、ついつい「意見」や「日記」に流れるときもある。まあ、人間だから、そういうものである。
2026年1月29日 メソポタミアの神7!?
歴史を面白く学ぶコテンラジオで、ここのところ、ヤンヤン氏がギルガメシュ王について語ろうとしている。語ろうとしている……と書いたのは、まだ語っていないからだ。第1話ではメソポタミア文明の概要を説明して、第2話でメソポタミアの神々について説明している。これらの情報の土台の上に、次回、ギルガメシュ王が語られる段取りになっている。
最後まで聞いてから紹介しようと思っていたんだけど、第2話のメソポタミアの神々(厳密にはアッカド神話の神々)の説明が面白かったので、今回、見切り発車的に、このコンテンツを紹介しようと思う。
ヤンヤン氏は非常に言語化が上手だと思う。会社経営のような感じで神話の神々を説明して、現代の人にもイメージしやすいように組み立ててくれている。神7も解説してくれるし、イギギたちのストライキも、人間の創造も解説してくれる。
個人的には非常に勉強になった。鴨頭嘉人氏が話の上手な人の条件のひとつとして、たとえ話が上手な人を挙げている。まさにヤンヤン氏の手法はそれで、メソポタミアの世界を現代と置き換えながら、イメージを助けるようなたとえがたくさん出てくる。しかも、要点を絞って、説明しすぎない。そのバランス感覚もすごくいい。
ウェブサイト「ファンタジィ事典」を編纂していると、ついつい情報過多になる。あれもこれも説明しようとしてしまう。そうではなくって、引き算の発想も大事だし、たとえを持ちだすのも有効だ。そういう意味で、いい刺激を受けたし、ボク自身もどんどんこういう発想を取り入れていきたいなと思った。
2026年1月30日 「正解」はない。でも、それを希求する。
三宅香帆さんの本が、どこの本屋に行っても平積みになっていて、ものすごい勢いを感じる。紅白の審査員席にも座っていたしね。こんなところにまで進出しているーって思って、ちょっとビックリしたけど。最近は加納愛子さんともYouTubeでコラボしていて、一緒に本屋さんに行っていたしね。
そんなわけで、今話題の『考察する若者たち』(著:三宅香帆,PHP新書,2025年)を読んだ。
なるほどなーって思った。正しい正しくないではなくって、そういう解釈もある。それに、納得する部分も、共感する部分もたくさんある。タイトルは「若者」ってなっているけれど、おそらく若者だけの話ではない。若者に顕著な特徴が詰まっているけれど、大人の中にも、こういう価値観が徐々に浸食しているような気もする。「報われ」を求める感覚とか、正解や最適解を求めがちな感覚、成長したいという感覚。
昨年、ボクの職場で病んでしまった女性がいた。「自分は成長できていない。周りの同期に後れを取っている」と言って出社できなくなってしまった。若い人で、おじさんに囲まれて比較的甘やかされていた。それが彼女を追い込んだ。多分、「何故?」と思っているおじさんがたくさんいるはずだ。まさにこういうギャップが言語化されている本だな、と感じた。
今日も今日で、年配の上司が職場でフリーディスカッションの場を設けて「この議論に正解はない。失敗してもいいから好きに発言していいぞ!」みたいなことを言っていて、ギャップがあるんだろうなあと思っている。ただ、このフリーディスカッションの先に「成長」が提示されているので、まだ希望があるとも言えるかもしれない。ちょうどこの本を読んでいたところだったので、そんなことを考え込んでしまった。
第9章、終章、あとがきにかけては、三宅さんの強い想いが迸っている。文章が暴れている感じ。三宅さんからの、生きづらい若者たちへのエールなのだと感じたし、平成を生きたボクたちがどう生きていくべきかのひとつの指針を与えてくれたようにも感じた。






