2020年2月4日 この世界にもっと寛容さを!!

宮迫がYoutubeで復帰して、随分と叩かれている。でも、メインで叩いているのはメディアであって、実は宮迫の評価は、必ずしもバッシングだけではない。低評価の方が多いのは事実だが、高評価もその半分近く押されていて、ある意味では順調な走り出しと言える。カジサックの始まりの方が酷かったし、ヒカルが復帰するときの方がもっとアウェーだった。それなのに、メディアは低評価の部分だけを取り上げて、先行きを案じる記事を出している。これは偏向報道だと思うし、イジメの構造に近い。

宮迫本人もYoutubeで述べているように、彼はミッキーではなくグーフィーなので、ボクも宮迫本人に取り立てて愛着があるワケでもないし、バラエティタレントその1という位置付けだったので、彼を特段、擁護する意図はない。復活を心待ちにしていたワケでもないし、今後の活躍に期待しているワケでもない。もっと正直に言ってしまえば、カジサックのチャンネルで下半身丸出しで料理をしている彼に対して「何が面白いのか?」と首を傾げていた側の人間である。それでも、ボクは彼が復活を目指して頑張っているのであれば、それはそれでいいじゃん、と思っている。再起を掛けて頑張ろうとする人間の足を引っ張る不寛容は不要だ。

勿論、彼を心配する部分もないわけではない。ロンドンブーツ1号2号がコンビでの復帰にこだわって、淳が必死に復帰の場を準備していたのと対照的に、宮迫は一人で勝手に走り出した印象を与えている。この対比は、彼にとっては苦しくなるだろうな、と思う。あるいは、吉本とうまく行かない中で、宮迫は、もう、コンビでの復活に見切りをつけて取り敢えず走り出したと見るべきだろうか。

もうひとつは「戦略」だ。カジサックにしろ、オリラジのあっちゃんにしろ、かなりYoutubeを研究して、戦略を練って乗り込んできた。カジサックはテレビのやり方をYoutubeに持ち込みながら、一方で距離感を視聴者に寄せて、うまくテレビ的な画とYoutube的な枠組みの融合を図ろうとしているし、あっちゃんはとことんコンテンツと喋りだけで攻めて、編集しないスタイルで進めている。宮迫はどんな戦略で攻めるつもりなのか。ここは楽しみなところでもあり、不安の残る部分ではある。たくさんの芸能人がYoutubeに乗り込んできて撃沈しているので、そうならないだけの戦略が必要だ。

奇しくもレぺゼン地球のDJ社長が言及していたが、対象をどこに絞り込むかは悩ましい問題だろう。宮迫は30~40代にウケる芸風だが、今、コラボをしているヒカルやレぺゼン地球は20代にウケるクリエイターだ。おそらく、今回のコラボで宮迫を支持したのは、Youtubeを見る習慣のある若い世代だ。一度、宮迫や亮を追放したテレビの旧態依然とした古臭さに疑問を感じる若い感性が彼を支持した。宮迫は、そういう世代に対して面白さを提供していく必要がある。その辺は、結構、大変なのではないかな、と思っている。

メディアのバッシングとは裏腹に、彼の走り出しは順調で、あっという間に登録者数は45万人を突破したらしい。ヒカル、レペゼン地球とのコラボが効いたのだろう。敢えて亮の復活イベントの前日に復活するという荒っぽい広告(おそらく、これは宮迫本人の意思というよりは、ブレーンの差し金だろうと推察される!)も、効果があったのかもしれない。この波にうまくノッていけるのか。そして、いつものようにメディアは掌返しをするのか?

いずれにしても、ボクは社会にもっと寛容さが必要だと思う。それは、闇営業の件だけではなくって、いろんなところに感じるところである。東出さんも、徳井さんも、いろいろと、ね。そんなことでここまでバッシングしてくれるなよ、と思う。そして、最近、こういうメディアの論調が、段々、大衆の感覚以上に過激で、攻撃的になっている気がする。大衆の方がもっとずっと冷めていて、はたと冷静になるのに、メディアの方がその冷静さに気づかずに突っ走る。そんなに大衆をバカにするものではないぞ、と思いつつ。

2020年2月5日 2020年新作ショコラを求めて

2月はバレンタインがあるので、それに向けてあちこちでチョコレートのフェアをやっていて、幸せなことである。世界各地からいろんな種類のチョコレートがやってきて、特設店を構えている。横浜の高島屋も、ベルギーやフランス、イタリアやアメリカなど、世界各地のショコラティエたちの作品を取り揃えている。

実は毎年、そごうや高島屋を訪れては、かなりの散財をするボクである。女性客がたくさん訪れ、ものすごく混雑するので、平日に休暇をとって遊びに来たボクである。

ボクは結構、変わり種が好きで、昔っから、セバスチャン・ブイエの胡椒のチョコレートや、フレデリック・カッセル山椒のチョコなどに感銘を受け、いろいろと新しいショコラティエを発掘しようと毎年、勤しんでいる。今年はエドワートのインドカレーのプラリネとか、グイド・ゴビーノのオリーブのチョコなどが印象的だった。

そんなこんなで、そこいら辺のお姉さま方よりもバレンタインを満喫するチョコレート男子のボクである。

2020年2月8日 キラキラ・ネームだった!!!

息子のツクル氏の作品展に行ってきた。幼稚園も年長なので、今年で最後の作品展だ。結構、先生たちが大変だなあ、と思う。教室をテーマに沿ってデコって、そこに子供たちの作品を展示する。年長のテーマは「エルマーのぼうけん」で、各クラス「7匹のトラ」「ライオン」「ゴリラ」などと出会い、逃げ出すシーンを再現していた。年中は「わゴムはどのくらいのびるかしら?」という本をテーマに「エジプト」や「海の中」や「宇宙」まで辿り着くといった世界観をつくりあげていて、面白かった。まさか幼稚園の作品展でファラオやピラミッド、マミー、ヒエログリフを見ることになるとは思わなかった!! 先生の趣味だろうか。だとしたら、気が合いそうだけど……? 子供の想像力と創造力はすごい。

……でも、それ以上に、作品の横に園児の名前が漢字で添えて合って、普段、耳で聞くと普通の響きで、うちの幼稚園の子供はキラキラが少ないなあ、と思っていたのに、実は用いている漢字が普通じゃなくって、キラキラであることに衝撃を受けた日だった。漢字を眺めながら、息子が普段、口にしているいろいろなお友達の名前を思い浮かべながら、「ああ、これはあの子か! こう読むのか!」と一人一人、紐づけないと理解ができない。そんな変な漢字を使わなくてもいいじゃん。……というか、響きは普通だけど、読めねぇよッ!!

2020年2月9日 ノリ突っ込まないスタイル!?

M-1でぺこぱが3位になったが、ノリ突っ込まない優しい漫才としての新境地を切り開いた。まだまだ漫才に新しい可能性があるのだ、と見せつけられた感じだ。

さて、2019年11月に発売された「がっかりなファンタジーせいぶつ事典」。かなり面白い。今泉忠明さんが監修する「おもしろい! 進化のふしぎ ざんねんないきもの事典」のパロディと言えばパロディだが、「ああ、そういう切り口があったか!」と思ってしまった。がっかりなファンタジーせいぶつと言えば、アントライオンかバロメッツが断トツだよね、と思うけれど、カトブレパスとかアクリスなんかを並べられてしまうと、「確かにがっかりだ!!」と膝を打ってしまった。

この本、「がっかりなファンタジーせいぶつ事典」は、何よりも表紙がカワイイ。素敵。中の絵もカワイイ。素敵。そして、この絵がコミカルさを演出している。それでいて、知らない情報もちゃんと載っているあたり、池上さんが監修しているだけのことはあって、オススメの本である。

2020年2月10日 仕事は選ばなければいくらでもあるのだけれど、どうせなら選んで勝った方がいいじゃない!?

破竹の勢いだ。宮迫が1週間であっという間に登録者数が50万人を突破した。

明石家さんまがラジオで宮迫について口を開いたらしく、曰く、宮迫にも「生活がある」し「(復帰が)早いと言う」けれども「みんな生きていかなあかん」とのこと。まさにそのとおりだ。非常に庶民的な、そして、普通の感覚を持った発言だな、と感じて、明石家さんまに共感していたら、記事には続きがあって、ネットではこの発言に辛口なのな意見が『目立っている』らしい。「本当に生活費が必要なら、別に芸能界じゃなくてもいい」とか「仕事は選ばなければいくらでもある」ということらしい。

でも、本来、好きなことをして生きていくのが人間で、生活費のために人生を棒に振るものではない。仕事も自己実現のひとつであり、何でもいいわけじゃない。何でもいいなら、もっと簡単で、人生悩まない。金が稼げれば何でもいいじゃない、なんて生き方をしている人間はいない。大なり小なり、やり甲斐や達成感を求めて働いているし、自己の価値観の中で最適解を探して生きている。「仕事は選ばなければいくらでもある」とは、果たして何様の発言なのか。そして、わざわざそういう発言を持ってきて記事にする記者もよっぽど性格が悪いな、と感じる。

大体、若くして芸能界に入って、ずぅっとそこで生きて来た彼にとって、得意なことも、やりたいことも、芸能界にある。そこに執着する気持ちも理解できる。そして、得意なところで勝負して勝つのが人間の生き方だとしたら、YouTubeで彼はあっという間に登録者数を50万人突破。すなわち、稼ぐことを最優先に考えても、自己実現を最優先に考えても、結局、彼の勝ちだ。「仕事を選ばなければいくらでもある」社会の中で、彼は適切な職業を「選んだ」わけで、何か問題があるの!?

案外、若い世代の方が寛容で優しいのかもしれないよね。宮迫が受け入れられているのを見て、そんなことを感じる。だったら、若い世代の方が勝ち組で、きっとハッピィだろうな、と思う。

2020年2月25日 緩やかな自殺

新型コロナが大流行中だ。これに伴って、軒並み、各地のイベントが中止に追い込まれている。でも、誤解を恐れずに書くと、ボクはちょっとこのムーブメントに異を唱えたい。

リスクというのは、常に数字にして比較する必要がある。例えば、2019年の交通事故による死者数は3,215人だ。年々、減少傾向にあって、それ自体はとても素敵なことだけれど、1年間に3,000人を超える人が亡くなっている事実は重く受け止めなければならない。でも、それに対して、じゃあ、自動車を排除せよ、という主張はあまり聞かれない。インフルエンザではどうか。2019年のデータがないので、2018年のデータを持ってくるが、インフルエンザによる死者数は3,325人。実は日本では、交通事故で死ぬ人よりもインフルエンザで死ぬ人の方が少しだけ多い。それでも、やっぱり3,000人を超える人が亡くなっている。

今、日本で死者が新型コロナが大流行して死者が4人。交通事故による死者数やインフルエンザの死者数を越えるくらいの流行になるだろうか。あるいはそれを遥かに上回るくらいの脅威になるのだろうか。

……この辺の見極めが非常に難しいな、と思う。インフルエンザと同程度に落ち着くのであれば、インフルエンザと同じ対応でよい。新型コロナでイベントが中止ならば、インフルエンザが流行した瞬間にあまねくイベントは中止すべきだ。

それよりもボクが気にしているのは、経済だ。イベントが中止になると、それに付随する産業がダメージを受けて、経済は大ダメージだ。一説によると、今回のコロナ騒動で、東日本大震災以上に経済に悪影響が出ているらしい。それによって職を失う人や廃業に追い込まれる人が出る。そちらの方にも目を向けるべきでないのか。人間の命をコスト換算するな、と怒られそうだけれども、新型コロナで入院したり、死亡することの経済損失と、イベントを軒並み中止することの経済損失を考えたときに、果たしてどちらの方が大きいのか。そして、失われた経済の失速感は、取り戻すのに何年かかるのか。

イベントを中止することはたやすい。特にそれで収益をあげようとしていない会議や式典、報告会、研修みたいなものは、容易に中止できる。でも、そういう小さなイベントが次々と開催の中止を決めてしまうと、より大きなイベントは、それに引きずられるように中止に追い込まれていく。中止することで大損害を被るイベントは最後まで粘るかもしれないが、それでも、イベント中止が正義みたいな大きな世論の流れの中で、煩悶するだろう。そのうちに、イベント開催を強行する団体を叩いて喜ぶ輩が出現して、社会全体、お祭り状態になる。もう、ワンパターンの既定路線だ。

新型コロナと一緒に、日本人は緩やかに経済的に自殺しようとしているように見える。もうちょっと冷静に、科学的・定量的に議論して、方針を出せる社会を望む。

2020年2月27日 天才的切り返し!!

最近、息子のツクル氏がダジャレにハマっている。ボクがダジャレを言うたびに「パパー、またダジャレだー」とケラケラと笑っているものだから、ボクもついつい調子に乗ってダジャレを連発している。最近、息子が気に入っているのが「カッターを買ったー。安かったー!」というヤツで「ダジャレが3つもある!!」と喜んでいる。3つで凄いと思っているなら、もっともっと父の凄みを見せつけてやるぞ、と思ったボクは……

「カッターを買ったー。君より安かったー! 勝ったー!!」

と言ってみた。「うわー、4つだー。大変ー!!」と大盛り上がり。それならば、とボクは調子に乗ってカッターを使って紙を切るジェスチャーをしながら……

「カッターを買ったー。君より安かったー! 勝ったー!! んー、硬(かった)ー!!!」

と言ったみた。「うわー、5つだー!!!」と盛りあがるかと思ったら、ツクル氏は即座に、

「パパ、それはきっと安かったからだよ。安いカッターだからうまく切れないんだよね?」

と切り返されてしまった。5歳児にして安かろう悪かろうの理屈が分かっているというのか!! さすが!! やるなッ!!