2016年8月25日 アステカ神話、始めました。

しばらくメソポタミア神話を続けていたんだけど、細々とアステカ神話の項目を始めてみた。興味があっちに飛んでこっちに飛んで、と散漫にやっているからダメなのは承知の上なのだけれど。

取り敢えず、3項目を更新。オメテオトルミシュコアトルウィツィロポチトリ

今回のシリーズは、少なくともテスカトリポカ、ケツァルコアトル、トラロック、チャルチウィトリクェ、トナティウの5項目をアップするまで続けてみようと思っている。何故アステカ神話なのかというと、Wikipediaの「神の一覧」の項目で最初がアステカ神話だったから、というだけの理由だ(笑)。この順番で行くので、次はアブラハムの宗教。ユダヤ教、キリスト教、イスラームなので、四大天使くらいは更新したいなあ。そんな感じで順繰りローラ作戦である。

2016年8月25日 まんがだからってバカにできないシリーズ

『死者の書 まんがで読破』が比較的、面白かった。主人公のトトがいきなり蛇に咬まれて死んでしまい、死者の書を片手に冥界に行き、苦難をくぐり抜け、オシリスの審判を受けて、イアルの野に行くという物語。オシリス神殿で暗闇を抜けたら、ずらり、と神さまが勢ぞろいして並んでいるシーンは非常に壮観で、感動した。マンガならではの演出だ。

実は同じシリーズの『日本書紀 まんがで読破』も、中身としてはかなり簡略化していて物足りない部分はあるが、絵が印象的で面白かった。ああ、神さまが動いている、という感じがした。『コーラン まんがで読破』もイスラームの思想や文化、歴史などを説明しながら、コーランに何が書いてあるかを簡単に学べて、なかなか興味深い。

このシリーズ、意外と調べて書いている印象があって、入門書としてはかなりオススメだと思う。神話だけじゃなくって、ドストエフスキーの『罪と罰』やゲーテの『ファウスト』みたいな文学作品やマクベスの『資本論』とかカントの『純粋理性批判』みたいな哲学書(?)もあったりするので、楽しいなあ、と思っている。

2016年8月26日 日本のSNS利用は特異!?

ソーシャル化とモバイル化でも、「日本の特異性」が一段と進む:http://blogos.com/article/188173/

世界平均では、インターネット利用者の93%がSNSアカウントを持っているらしい。でも、先進国であるはずの日本は70%と低い。また、世界平均では7種類のアカウントを持つらしいが、日本では2種類のみ。

ボクの場合、アクティヴなのはFacebook、Twitter、LINEだけだなあ。YoutubeとGoogle+は登録だけだし、mixiはほとんど死んでいる。LinkedInは海外の方々からコンタクトがあって怖くなって止めてしまった。Pinterestも使いにくいから止めた。PixivとInstagramは興味があるけど未着手。そんな状況。

この記事では、利用時間についても言及されていて、他の国が1時間以上の中、日本は18分と極端に低い。まあ、これは文化的なものもあるだろうな、と感じる。海外に行くと、仕事中でもFacebookをやっている人がたくさんいるし、業務連絡にSNSを使っている場合だってある。日本じゃ、考えられないこと。業務中はSNS禁止が一般的だろう。最近、社内連絡に公式にLINEを使っている会社の人を見かけたが、日本ももっと積極的に活用すべきなのかもしれないなあ、と思う。

大体、フィリピン人なんて、メールを開かない人が多くって、返信が返ってくることはほとんどないが、Facebookに連絡すると、すぐに回答が来る。そういう文化的な違いは大きいだろうなあ、と思ったら、案の定、利用時間ではフィリピン人がダントツの3.7時間。でも、実のところ、ナイジェリア人もかなりの部分、Facebookで連絡を取り合っているので、時代はそういうものなのかもしれない。

2013年にミャンマーに行ったときに、停電ばっかりだし、水道インフラもない地域で、現地の人々がスマホを使っていて、ものすごく驚いたのを覚えている。当時はまだ日本でもスマホとガラケーが半々くらいだった頃だと思う。しかも事前に印刷した地図を示しながら、場所を探していたら、現地スタッフがスマホのgoogleマップで現在地を拾って、「今、ここだ!」と説明してくれた。電気も水もちゃんと整備されていないのに、ネットインフラだけは進んでいることにギャップを感じた。

でも、言い換えれば、まだまだ日本には潜在的なSNS利用者がいる、ということで、その辺にビジネス・チャンスが転がっている、ということでもある。SNSになびかないと見るか、これからSNSに引き込めると見るか。さてはて。

2016年8月27日 匿名性の弊害。

最近、ウェブのニュースを見ていて気になることがある。「ある業界関係者は」とか「元社員が」とか「身近な知人は」みたいな書き方で報じる記事だ。これって、メディアとしてのレベルを下げるのではないか、と思っている。

物を書く以上、情報源というのは大切で、可能な限り、いろんな文献を読んだり、一次資料を参照したりする。もちろん、記者からすれば「ある業界関係者」というのは匿名の誰かではなくって「取材した特定の人物」がいるのだろう。だけど、大切なことは、その「業界関係者」が本当はどういうポジションにいるのか、ということ。「ある業界関係者」という記述は、その辺が非常に曖昧になる。非常に身近にいて、日常的にその案件に接している人物なのか、ただ遠巻きに眺めていただけなのかによっても情報の質は異なる。

たとえば、あるプロジェクトに直接、従事していた人と、そのプロジェクトをやっている同じ部署の同僚がいて、たまに相談を受けていた人と、全然部署は違うけど、そのプロジェクトのことを噂で聞き齧っただけの人で、情報の質って、全然、異なる。「ああ、知ってる知ってる。あの件ね!」と語っても、それがどの程度、現場の状況を把握したコメントかは分からない。小さな会社でサラリーマンとして仕事をしていて思うのは、直属の上司だって、実のところ、本当に現場で起こっている問題を把握していないことが多いのであって、それを外から見ている隣の部署の人間に何が分かるものか、と思う。だから「ある業界関係者」も「身近な知人」も、匿名である以上、その情報の質は担保されない。

それに匿名性を秘めた記事は、捏造の可能性を孕んでいる。ライダーが嘘を書いたって、誰も検証できない。それっぽく記事が書けてしまう。だから、ちょっとオーバに書いたりする癖がついたら、ずるずると質の低い記事を書き続けるだろうな、と思う。あるいは都合のいいよく喋る「業界関係者」を捕まえて、それを真実っぽく書くことだって、出来てしまう。

そんなわけだから、匿名性を含んだ記事そのものは、信憑性を損ないかねない、と思う。でも、最近、そんな記事が蔓延していて、ちょっと愕然としている。そんな記事を大手のメディアまでが紹介してしまう時代である。

昔っから、ボクはウェブ・ニュースの記事の質を向上させるために提案していることがある。それは記事に対する評価を読者がするシステムを導入するということ。大仰な釣りタイトルや、信憑性の薄い記事、他のメディアをコピペしたような質の低い記事に対して、読者が「ノー」と言えるシステムを作れば、記事の質は向上する。ライターも少しは気を引き締めるだろう。ライターが囲い込まれた小さなウェブサイトだと、そういうのもあるけれど、もっと影響力のある大きなニュース・サイトに、そういう制度を導入してもらいたいなあ、と常々、思っている。

2016年8月27日 玉石混交。

下の記事に関連して、最近、ファンタジィ事典の記事を書きながら感じていることでも書いてみよう。

ファンタジィ事典の記事も、実は匿名性という意味では同じことが言える。たとえば「○○という説がある」とか「○○と解釈されている」とか「○○と考えられている」という記述は、書き手として非常に楽チンだ。でも「説」と書く以上、その「説」を提唱している専門家がいるはずだ。「解釈」している専門家、「考え」を持っている専門家がいるはずなのである。ところが、よくよく調べていくと、その「説」を唱えている人は学者でも専門家でもない、素人の場合もある。あるいは胡散臭い専門家だったり、偏った過激な学者の場合もあって、その「説」の信憑性が疑わしいこともある。明らかに牽強付会だろう、という説だってあるわけだ。そういうのを無視して、ただただ漫然と「○○という説がある」と書くのは、実のところ、とっても楽チンなんだけど、とっても無責任だし、とても怖いことである。

失われてしまった神話というのは、かなりの部分、学説によって支えられている。掘り起こされた文字資料や絵、創作物、その他の遺物から、かなりの部分、仮説を積み上げて、解釈を加えて、再構築されている。あんなに文学作品が残されているギリシア神話ですら、想像で補完すべき部分がたくさんある。そういう意味では、書籍に「○○という説がある」と書いてあって、それを鵜呑みにするのも怖いことで、その根拠となる学説のロジックや信憑性、提唱者の立ち位置を探っていかないと、本当のところは分からないし、そもそも「本当」ってものがあるのかどうかも分からない。

どうもアステカ神話は胡散臭いな、と感じている。いろんな間違った学説や怪しい学説が入り混じっていて、市販の本も玉石混交の印象。そういう解釈も含めて楽しむのがファンタジィだ、というのも「あり」なんだけど(たとえば、シュメルの神さまが宇宙から来たというシッチン説も丸ごと取り込んで楽しんでしまうとか!!)、でも、大昔に本気でその神さまを信仰していた人々に失礼な気がして、もう少し、ちゃんと調べないと、と思ってしまうのがボクの正直な気持ちである。メソアメリカに暮らしてテスカトリポカやケツァルコアトル、ウィツィロポチトリを信じていた人々が、スペイン人が侵入して、文字を手に入れた後に、少しでも文字資料として神話を残そうとした気持ちを、大事にしたいなあ、と思う。

で、本当は、そういう一次文献に当たりたいんだけど、日本語になっているものはほとんどないのが現状だ。英語になっているものもあんまりなくって、スペイン語が一次文献になってしまうものが多そうだ。そういう状況だからこそ、胡散臭い学説がまかり通って、訂正されずに残り続けているのかもしれない。

とは言え、結局、ボクはスペイン語が出来ないので、ただただ悩ましいなあ、と愚痴るだけで、ならばどうする、というソリューションは、今のところ、持ち合わせていない。問題提起だけして、今後、考えていこうかな、という感じ。そんなことを考えている今日この頃である、という告白。

2016年8月27日 実は個人情報なんてダダ漏れである!!

昨夜、イースト・プレスの『死者の書(まんがで読破)』のレビューをウェブサイトに書こうと思って、Amazonで検索した。

今日、昼休みに職場でFacebookを開いたら、イースト・プレスの「まんがで読破」シリーズの広告が並んでビックリした。

我が家のPCを使ってAmazon内で検索したのであって、会社のPCで検索したわけじゃない。それなのにFacebook氏はちゃんとボクの検索情報を追いかけている。

昔、Facebook氏はマイク機能をオンにしていると音声情報を収集して広告を出してくるという報告がなされていたが、ホント、Facebookにログインしたまま検索した情報が、そのまんま筒抜けらしい。すごい機能だが、怖い機能だなあ、と思う。

Google検索、Googleマップ、Google翻訳、Google+、Youtube、Gmail、Google Chromeなど、Googleもいろんなサービスを展開していて、正直、ボクの一挙手一投足はGoogle氏には監視されている。ボクが何を検索して、どこにいて、何を翻訳して、何を書いて、何を視聴して、誰にメールを送って、どんなウェブサイトを見ている。これらを分析することは、技術的にもプログラム的にも可能である。

Facebook氏も同様で、ログインしている間は、いろんな情報を掠め取っていくらしい。

常に監視されている。そういう自覚を持って生きないと、やられるゾ!!

2016年8月28日 無花果(イチジク)の話。

イチジクは漢字では「無花果」と書いて、花がない果物だというのは知っていたけれど、果実だと思って食べていた部分が果実ではなくって「花」だったということを、この記事で初めて知った。

やー、世の中、知らないことばかりである。


いちじくは、果物でも野菜でもありません。じゃあ何?
いちじくには、想像を超えるようなストーリがある。
HUFFINGTONPOST.JP

2016年8月28日 鳥の妖怪はたくさんいるんだけど……

来月からパキスタンに行く。9月16日から11月14日までの予定で、ちょうど60日間の渡航だ。新しい国に行くときには、やっぱりそれなりに不安だし、緊張している。

そんなわけで(どんな訳で?)、そろそろ年賀雑誌の構想を練らねばと思っていて、すでにいくつか素材集めとデザインを開始した。意外と時間がないのである。

ちぃ子(妻)はすでに見開き1ページをほぼ完成させている。ボクも2ページくらいは7割方出来上がっていて、今、表紙のデザインに着手している。

毎年、神話・伝承を題材にしている。酉年なので「鳥」関連で攻めたいところで、実のところ、いろんなアイディアがあったのだが、今年も変なものをチョイスしてみた。ラフ・スケッチは完了。このイメージのまんま、完成まで持っていければいいなあ。

2016年8月29日 「貧困」って何だ!?

最近「貧困JK」が特集され、NHKが炎上してあっちこっちで話題になっている。

彼女が本当に「貧困JK」なのかそうでないのかは分からないが、少なくとも、ボクは多くの人が「貧困」のイメージを取り違えていると感じている。

ナマポ問題のときにも話題になったが、生活保護を受けている人は贅沢をしてはいけないというのは間違っていて、受け取ったお金でどういう風に生活を切り回していくかは、彼らの生き方に関わる問題だ。生活必需品だけで「楽しみ」も「生きがい」も何もなく生きていける人間はいない。それに、大体、人間、常に清廉潔白かつ理性的な意思決定をしているわけではないし、人は積極的に何かを選択している場合と、結果として選択せざるを得ない消極的な選択の場合とがある。

たとえば、ケータイが導入されたとき、旅行会社が大きなダメージを受けた。今までOLが仲間うちで旅行していたお金がケータイ代に回った格好だ。何事もそうだけど、何かを選択したときには、その一方で何かを失う。当時、彼らが旅行を積極的に放棄したわけではない。ケータイを選択した結果として、旅行の分が切り詰められただけである。消極的な選択である。

今の若者が過去と比較してリッチなのかプアーなのかは分からないが、でも、明らかに「旅行」はしなくなった。「お酒」も飲まなくなった。「車」も持たなくなった。「子供」を持たない選択をしたり、「一人っ子」を選択している家庭も、実のところ、経済的な理由であることが少なくないだろう。目に見える形でのみ貧困が表れるわけではない。スマホやパソコンを持っていて、アニメ関連グッズを大量に買っていて、アニメフェスに興じているからと言って、それが裕福の理由にはならない。物の価値なんか大幅に下がっていて、生活必需品なんか簡単に手に入る時代だ。「物」の代償として、何かが失われている可能性があって、それが消極的な選択から来る「生活スタイル」や「文化」かもしれないし、そこで切り捨てられるものが「教育」であったら大問題だ。そして、それこそがNHKがテーマにしようとしていた「貧困JK」だったのではないか。

何かを購入しようとするときには、それは積極的な選択かもしれない。でも、何かを諦めるときには、それは消極的な選択である場合が多い。積極的な選択を積み重ねていった先に、消極的な選択を強いられたときに、それを意志薄弱と罵れるほど、人間は強くないし、それをバッシングできるほど、ボク自身も聖人君子ではない。

そんなことに思いを馳せられるような人間にボクはなりたいし、そういう人間が増えればいいなあ、と思っている。

2016年8月30日 メールの添付ファイルとパスワード

今、お付き合いしている会社は、添付ファイルがあると常にパスワードを自動生成して「パスワードは別のメールで送ります」方式だ。別にこの会社をdisるわけではないが、もう少し何とかならないの? と思う。毎回、毎回、添付ファイルを開くためにパスワードをコピペしなきゃいけないし、デスクトップなりどこかに解凍したフォルダが生成されてしまうので、毎回、空フォルダをゴミ箱に棄てなきゃいけない。面倒臭いのである。

実際問題、セキュリティにはランクがあって然るべきで、どうでもいいファイルにまでご丁寧にセキュリティをかける必要はないし、本当に大事なファイルをこれで守れていると思っているようなら甘いわけで、適宜、その必要性を判断する必要がある。自動生成のパスワードなんて、何も考えていないわけで、ホント、バカバカしいと思う。

この「パスワードは別のメールで送ります」方式のメリット(とされているもの)は、

(1)1通目が誤送信した場合でも、2通目を送るときに気がつく!
(2)ウィルス感染したときのメールの流出時も安心!
(3)タッピング(盗聴)されても本文にパスワードがないから大丈夫!

とされていて、その一方でデメリットとして、

(ア)とっても面倒臭い(←これ、とても大事!!)
(イ)暗号化されたファイルは逆にウィルスチェックができない!!

というのがあるわけだけど、(1)について言えば、メールなんて返信と転送で送る人が大半だし、メアドをコピペして対応しているわけだから、1通目に誤送信したら2通目も必然的に誤送信になるパターンが多い。そんなものよりも、送信ボタンを押した後に1分間送信されずに送信フォルダに留まり続けるように設定をした方が効果的だ。1分間は「あ、しまった!」と思っても取り消すことができる。(2)についてはウィルス対策はウィルスソフトでやることであって、日常的な面倒臭さを押してメール操作でやることじゃないと思うし、送り先に送ってしまったものを心配しているとすれば、先方に失礼である。それにデメリットの(イ)にもあるとおり、受け取る側からすれば暗号化されたファイルはウィルスチェックができないので、まずはダウンロードしてパスワードを解除する必要がある。(3)については、悪意ある人間に1通目が抜き取られたら、間違いなく2通目も抜き取られるので、そもそも別メールでパスワードを送る意味はない。

それにそもそも論として、ZIPのパスワードなんてすぐに解析されてしまうので、これで守れているなんて思い上がりも甚だしいので、本当に大事なファイルはこの送り方ではダメ。「パスワードは別のメールで送ります」方式は、一見、ちゃんと手続きを踏んでいるので、セキュリティ上、安心だと思わせている。実のところ、このことが大問題である。

大体、ボクはZIPのパスワードではなくって、WordやExcelのファイルそのものにパスワードをつけた方が安心だと思っている。毎回、そのファイルを開くたびにパスワードを入力するのは面倒臭いが、実はZIPよりも複雑で解析が難しいし、受け取った人がぽい、と会社の共有フォルダに入れた場合でも、ファイルそのものにパスワードが掛かっているので、他の人が簡単には開けない。ZIPファイルで送付されたファイルは通常、メールの受信者がパスワードを解除する。そうなったら、その後、ファイルそのものは丸腰になるのである。

などといろいろと理屈っぽく書いているが、何よりも「面倒臭い」というのが一番の欠点だ。こういう変なセキュリティにこだわっている会社の人が、だんだん嫌いになりそうだ。

ところで、実はここからが本日の主題なんだけど、セキュリティ上、どうでもいいようなファイルが、自動生成されたパスワードを付されて「パスワードは別のメールで送ります」方式で添付されて送られてきて、「添付ファイルにデータを記入の上、返送してください!」と依頼された場合、やっぱりこっちもパスワードをつけて返送する必要があるのだろうか。こういうのって、マナーとしてどう考えたらいいのか。うーん。悩ましいぜ。