2014年1月1日 今年の雑誌は名称を改めました!?

あけましておめでとうございます。今年もウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」をよろしくお願いします。相変わらず、ゆるゆるやっていきますよ(ペコリ)。

* * *

そんなわけで、実家にて恒例の御節を食べながらの年越し。12月に生まれた新参者のツクル君に妹夫妻も加わって、非常に賑やかな新年になった。

朝の御節
朝の御節

昼の御節
昼の御節

飽きもせず、今年も恒例の「雑誌」を発刊。友人知人の皆様には、無事に届いたかしら、と毎度ながらドキドキしている。昨年は郵便局に持ち込んで失敗した。定型外は「年賀」として認められなかったのだ。だから、郵便局さんはさようなら。今年は「年賀」にはこだわらず、安価なクロネコメール便にて発送だ。

「年賀」ではないので、クロネコさんの発送状況によっては、もしかしたら12月中に着いてしまっている人もいるかもしれない。でも、それはそれでいいと思う。何しろ、今年はタイトルを「謹賀新年の本」から「近況報告の本」に改めた。昨年はタイトルのせいで、何となく喪中の人に送ることが憚られて送ることが出来なかったし、「年賀」かどうかで郵便局と揉めた。だから、今回の雑誌からは「年賀」の要素を排除している。12月中に届いてしまっても、問題ない。とは言え、個人宛てのメッセージには「あけましておめでとうございます」と書いてしまっているのがご愛嬌(笑)。

いずれにしても、年末年始のお休みの間に届けば、ゆっくり読んでもらえる。そういうことを意図している。退屈な場合には、是非、お楽しみあれ。

近況報告の本(表紙)
近況報告の本(表紙)

近況報告の本(中身)
近況報告の本(中身)

今年の雑誌は、何度も書いているけれど、作業はほとんどちぃ子(妻だ!)がやってくれた。ボクは楽ちんだった。それでも、ボクとしては満足の行くクオリティに仕上がっている。素晴らしい。ちぃ子のクリエイタとしての才能が充分であることの証明だ、と思う。

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さてさて。毎年恒例ではあるけれど、守られない抱負をここに宣言しておこう。

今年のウェブサイト『ヘタっぴなアルコール蒸留』は無理をしない。無理はしないんだけど、でも、着実に更新する。そのためのシステムを構築する。

我ながら、いい目標設定だ。もしかしたら、今年は守られる抱負になるかもしれないな、という予感がする。するだけかもしれないけれど。

  

2014年1月2日 神さまがうそをつく。

あちこちの本屋さんを巡ってみたけど発見できなかった尾崎かおりの『神さまがうそをつく。』。年末にAmazonに発注していたが、早速、新年に届いた。読んだ瞬間に「ああ、これだ! この感覚だ!!」と思い出す。ヒリヒリと焼けつくような感覚。

『ピアノの上の天使』を読んで、大ファンになった尾崎かおり。短篇集『ナイフ』を読んで、さらに大好きになった。彼女の代表作と言えば『メテオ・メトセラ』なのかもしれない。絵に動きがあって、キャラクタもかわいくて、この漫画が大衆ウケするのは分かる。ボクも好きだ。夢があって、ワクワクして、楽しい。でも、ボクは彼女のヒリヒリと尖った感覚が大好きだ。『神さまがうそをつく。』は、改めて、この漫画家さんが好きだなあ、とボクに思い出させてくれた。


『神様がうそをつく。』(著:尾崎かおり,アフタヌーン,2013年)


『ナイフ 尾崎かおり短篇集』(著:尾崎かおり,ウィングス・コミックス,2002年)


『メテオ・メトセラ』(著:尾崎かおり,ウィングス・コミックス,1999年)

それにしても、新年から本が届くのだなあ、Amazon。自分で頼んでおいてあれだけど、ご苦労なことだ、と思う。

  

2014年1月3日 伽藍堂

ちぃ子が出産してから、ずっと実家に帰省していた。今日は久々に自分の家に戻る。年賀状が届いているかもしれない。それを回収しに来たのだ。

人が住まなくなると、家は伽藍堂。凍えるような寒さだ。暖房を入れて、換気して、ようやく人の住む家になった。

もうしばらくは実家暮らしが続く見込みだ。両親の世話になる。でも、そのうち、ちぃ子とツクル君、ボクの3人での共同生活に切り替えていかなきゃいけない。どういう人生設計をしようか。がらん、とした家の中で、そんなことを考えてみる。人生、不思議なものだ。このボクが父親なのだ。今でもやりたい放題やっているのに、父親になってしまった、としみじみ想う。

  

2014年1月4日 ありがとう、ツクル君!

久々によく寝た。ツクル君がよく寝てくれるので、ボクもちぃ子も一緒になって眠る。

想っていた以上に子育ては大変だ。今はお正月休みだからいい。でも、仕事が始まれば、ボクは仕事に行かなきゃいけない。必然的に、ちぃ子が育児を頑張ることになる。我が家は昔から分業制を敷いている。子育てと仕事の両立は大変だ。みんな、よくやっているな、と感じる。

今になって思えば、ツクル君が12月に生まれてくれたのは、非常にラッキィというか、いいタイミングだった。12月14日に誕生して、退院が18日。それから1週間も働けば、お正月休みに突入だ。このタイミングだったから、うまくやって来られたように思う。普通だったら、こんな風にお休みにはならないので、ちぃ子と赤ん坊のツクル君を抱えて、ひぃひぃ言いながら働いていただろう。それはきっとしんどかっただろうなあ、と想像する。

本当に、ツクル君には感謝である。

  

2014年1月5日 検索は、想像力と思い遣りが試されている!?

インターネット検索は人によって検索結果に差が出る。同じgoogleというツールを使って、同じ内容について検索して、それでも、人によってアウトプットが違うのだから不思議だ。

後輩T野嬢の検索結果は比較的、妥当である。つまり、求めている解に近い検索結果を出す。それに対して、後輩S頭氏の検索結果はあんまり的を射ていないことが多い。きっと、検索の思想に大きな違いがあるのだろう、と想像する。

こちらが望んでいる検索ワードに対して、単純に言葉で検索してくるS頭氏に対して、T野嬢は一工夫する。例えば回答に専門性を求められているのならば、専門家が使いそうなワードを添えて検索する。そうすると、専門性の高いサイトが引っ掛かりやすくなる。その中から、「○○研究所によれば……」とか「○○メーカの見解では……」みたいな出典を添えた回答を用意してくれる。出典が分かれば、安心してデータを眺められる。

S頭氏は「そんなページ、引っ掛かりました?」などと首を傾げている。検索ワードを捻らないのがいけない。でも、こういうのは個人のノウハウなので、企業秘密である。

つまり、検索する際には「意図」なり「思想」を入れないと、情報の海に埋もれてしまうよ、ということが言いたいわけ。そういう一工夫が出来るか出来ないか。それって、多分、想像力の世界だ。想像力と思い遣り。そんなところで、人間の能力が試されているのである。後輩S頭氏よ。少なくとも、ボクはそういう視点の有無を試しているぞ。ふふふ。

  

2014年1月6日 戦国武将を学ぶことは日本史の王道じゃない!

Livedoorニュースで知ったが、「日本史を必修に」という動きがあるらしい。ボクとしては、うーん、という感じ。

そりゃー、もちろん、日本史は大事だ、と思う。自分たちの過去を知らずして未来は語れない。この考え方はボク自身、仕事をすればするほど、年を取れば取るほど、確信になっていく。「今」が、どうしてこういう形になっているのか。そりゃー、理想どおりの世の中じゃないかもしれない。でも、先人たちが築いてきた「歴史」があって、「今」に繋がっている。何事にも理由があって、理屈があって、失敗や過ちがあって、「今」、こうなっている。そういう「歴史」を知るということは、単なる現状把握よりもずぅっと奥深くて、真っ直ぐに未来に繋がっていける。だから「日本史を必修に」という動きのコンセプトそのものについて、ボクはアグリーなのだ。

でも、実は歴史理解のベースには「地理」があるし、日本史と同じくらい「世界史」が大事だったりする。「哲学・思想」も大事だし、文化史がとても大事だったりもする。そういういろんな社会科の要素を包括的に学ぶことが本当はとっても大事で、「日本史」だけが取り立てて重要なわけではない。

だから、それぞれの学生が興味を持った社会科の科目を選ばせて学ばせることって大事で、それって、必ずしも「日本史」に限定する話ではない。

「日本史」を必須にしてしまった場合、もしかしたら、「地理」や「哲学」、「世界史」を選択できなくなってしまうかもしれない。特にボクは理系だったので、そういう怖さが人一倍ある。「日本史」か「世界史」かいずれかの選択を迫られて、非常に悩んだ記憶があって、ボクは結果として「世界史」を選択した。何故って、日本の歴史よりも、日本に影響を与えたであろうヨーロッパや中国の歴史や思想に主眼を置きたかったのだ。そういう選択があってもいいんじゃないか。そんな風に思っている。

極論を恐れて言うけれど、少なくとも、戦国武将の歴史なんか、ボクからすれば、学習するには楽しいんだけど、歴史理解という意味じゃ、糞喰らえみたいな感じがしていて、戦国武将こそが「ザ・日本史」みたいな切り取られ方をすると、違う、と思う。それよりも、神さまを発明したシュメル人の発想とか、万物の根源は何か、と考え続けた古代ギリシアの哲学者たちの着眼点とか、仏教やキリスト教がこの世界に誕生した時代背景とか社会的要請だとか、自らの権利を戦って勝ち取った欧米の革命家たちの考え方とかの方が、日本の「今」だったり、世界の「今」だったりを学ぶための礎になる。

日本人が政治に無関心なのは、自分たちで参政権を獲得したり、憲法を作ったりしていないからだ、という指摘は、あながち間違っていないんだろう、と思う。奴隷という身分から解放されるために、従属的な労働者階級から脱するために、女性の参政権を得るために、各国はいろいろな戦いをしてきた。そういう戦いの末に、近代社会がある。どうして今の日本って、こんな法律があって、こんな社会制度になっていて、こういうシステムなんだろう。そういうことを学ぶには、多分、日本史だけじゃ不十分で、日本史を勉強する若者ばかりになっちゃ、ダメなのだ。そんな感じがする。

  

2014年1月7日 ♪((〃´Д`人´Д`〃))

ビジネス・メールに顔文字は「あり」か「なし」か、という論争があって、「なし」派が多かった。でも、ボクはビジネス・メールがどうこうという話ではない、と思う。相手との距離感というか、親しさが肝要なのであって、たとえそれがビジネス・シーンであっても、プライベート・シーンであっても、使っていい距離感、ダメな距離感がある。年齢もあるし、性別もある。

男子が絵文字を多用するとドン引きする、という女性が多いらしいし、馴れ馴れしいと感じるらしい。その辺の感覚がルーズになっちゃうのが若者かもしれなくって、そういう文化を知らない大人に対して、唐突に絵文字やら顔文字やらを送り込むのは、やっぱり配慮に欠ける。

絵文字や顔文字を理解しない大人たちに対して、もっと寛容になってもいいじゃん、とはボクも思う。でも、文化の違いを想像できないアンポンタンな若者は、そういうお固い大人たちよりも、ずぅっと頭が悪いな、と思う。結局、コミュニケーションって、想像力と思い遣りの世界なのである。自分の文化を押し付けるのではなくって、相手の文化を尊重して、相手に配慮して行動する。ビジネス・メールに顔文字を使うかどうかが重要なのではない、と思う。

  

2014年1月8日 あと一歩だけ、前に 進もう

プロフェッショナルとは何か。最近、そんなことを考えるようになったボクは、きっと、大人になったのだ。うひひ。

美容院に行ったときに、美容師の鉄砲玉嬢がボクの髪をいじりながら、ボクの体調に言及する。どうやら、髪の毛から、ボクの疲労とか生活習慣が分かるのである。今日の髪はダメダメだったらしい。うまく眠れていないことを指摘されてしまった。そりゃー、ね。ツクルくんが毎日、夜泣きするので。最近のボクはほとんど眠れていない。その疲労が頭皮に表れているとのこと。こういうのも、プロフェッショナルだなあ、と思う。

基本的に彼女は、プロフェッショナルだ。髪を切る前に雑談の中で、これからの予定をさらり、と訊き出す。そして、終わる頃には、「今日はこれで帰って寝るだけみたいだから、ワックスはつけないで終わりますね」とか「これから横浜に行くなら、風が強いから、ちょっと強めのワックスにしておきましたよ」とか言ってくるのだ。旅行の時期とか、結婚式の時期みたいなものも、こっそりとヒアリングしていて、その時期に調度になるような長さで切る。

ボクはプロフェッショナルだろうか。あんまり意識してこなかったなあ、というのが本音の部分。だから、ちょっと考えてみよう、と思っている。少なくとも、ウェブサイト運営についてプロフェッショナルだったことはないよなあ。うーん。反省(笑)。

  

2014年1月9日 抽象画にはあんまりピンと来ませんが

最近の「日々の雑記」を読んで反省していることがひとつある(本当はひとつだけじゃないけど!)。昔のボクの文章って、もっとずぅっと抽象的だった、と思う。一方で、最近のボクの文章はそうなっていない。もっともっと抽象化すべきだ。そんな反省。

抽象化するというのは具体化しないということ。例えば「何月何日に誰々と一緒にどこそこの某というお店に行ったらそこの店員がこういう対応をしたので非常に不満だった」ということを書けば、これは非常に具体的である。そのお店あるいは店員に対する不平不満をぶつけるという意味では非常に有意義である。あるいはそのお店のネガティヴ・キャンペーンとしても、大方、焼け石に水的ではあっても、もしかしたら、有効な場合があるかもしれない。でも、同じ出来事を、「こういうお店の対応はお客さんにこういう不快な感情を与えるのでもっとこういう対応をすべきだったのではないか」みたいに書くと、少しは抽象化される。まるで評論家になったのではないか、と錯覚できるかもしれない。あるいはもっとボク個人に潜り込んで行って「ボクという人間はどういうときに不快を感じるのか」ということを論じてみると、これもひとつの抽象化だろう。あるいは「最近、こういう対応をするお店が増えているが、どうしてか」と分析的に書いてみてもいいかもしれない。こういうのも抽象化と言えるかもしれない。

個別・具体的に書くことと、そういう個別・具体的な出来事を踏まえた上で抽象化して書くこと。どっちが優れているというわけでも、どっちが偉いということでもない。それぞれ一長一短だ。想定される読み手に左右されるだろう。たとえば、より身近で、ボクのことを知っている人からしたら、具体的なことも面白いかもしれない。facebookで内輪向けに書くときには、抽象化されたものよりも共感を呼べるし、楽しんでもらえる可能性も高いだろうな、と感じる。一方、ボクに興味のない人、ボクと親しくない人は、ボクの個別・具体的な出来事なんて読んでもちっとも面白くない。でも、もしかしたら、抽象化することで、そういう人たちにとっても、多少なりとも価値があるもの(あるいは価値があると錯覚させられるもの)になる可能性はある。抽象化すれば、少しは高尚だと思ってもらえるかもしれない。

そんなわけで(どんなわけ?)、ボクとしては、後者を目指したいな、と思うのである。SNS的な仲良しこよしの雑記を目指すか、もっと幅広い人(場合によっては通りすがりの人)を想定して書くか、という違いで、ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」の中でボクが目指すのは後者だ、という認識なのである。

  

2014年1月10日 天上天下唯我独尊

出産報告のためにデザインしたハガキは、退院のときに、ちぃ子とツクルくん、ボクの3人で、助産婦さんにロビーで撮影してもらった写真をあしらってデザインしている。その写真には吹き出しがついていて、ツクル君がこう叫んでいる。

「天上天下唯我独尊」

ボクとしては結構、イケてるジョークだ、と思っていたんだけど、どうもこのジョーク、みんなには理解されていないようだ。挙句の果てには、「天上天下唯我独尊って何?」と訊かれる始末だから手に負えない。

そんな中、有難いことに、本日になって、事務職のY本嬢に「この台詞、面白いですね。釈迦ですね!」とコメントをいただいた。S木さんにも「お前の息子、ふてぶてしいな。仏教徒に怒られても知らないぞ!」と笑われた。そんなわけで、ああ、ちゃんと分かる人もいるのだ、と少し安心した次第である。無知蒙昧なる諸君よ、さらば!! と叫びだしたくなる(こらこら!)。

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職場で新年会があって、子供ができたボクは、みんなからお祝いにRalph Lauren(ラルフ・ローレン)の母子手帳入れを貰ってしまった。予期せぬ展開に思わず涙腺が……。いやー、そんな素振り、全ッ然、見せていなかったのになあ。後輩氏も、さらり、と上手に演出する。

そんなことで気をよくしたボクは、ついついいい気分になって、妖怪論について熱く語ってしまった。かなりの大暴走だ。みんな、理解してくれただろうか、という点については心配が残るよね。うはははは(こらこら!)。

  

2014年1月11日 大黒さまと恵比寿さまの親子属性!

ツクルくんが誕生してほぼ1か月。本日、無事に1か月検診が終わって、これで晴れて通院から解放された。思えば、最初は大変だった。慣れない赤ん坊を片手に病院と実家との往復1時間ちょっとのドライブ。途中、どこでどうやってオムツ替えすればいいんだ、と大きなショッピングモールを探してうろうろしたり、車内で泣き出してしまって、どうやってあやせばいいんだ、途方に暮れたり。何度も通院するうちに、もう、慣れてしまって、多少のことでは動じない。こうやって、ボクたちは「親」になっていくのだな、と感じる。

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病院からの帰りに、我が家へ立ち寄った。ものすごく寒い。寒波の影響もあるのかもしれない。でも、改めて、人が住まない家って寒いんだなあ、と思った。設計師であるちぃ子のパパン曰く、新築の家は、木材が冷え冷えしているので、暖房を入れても、なかなか部屋が暖まらないらしい。人が住むようになって、生活していくと、段々と木材も暖かくなって、それに従って家も暖かくなってくる。確かに、そういうものなのかもしれないなあ。

そんなことを考えながら、家中の暖房をつけて、各部屋をぐるぐると回って、これからの生活をイメージしてみる。それだけのことで、何だか部屋が暖かくなってくる錯覚。

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最近、七福神の羊羹なんてものを食べた。黒糖や抹茶、柿、塩などの7種類の味が食べられるステキ羊羹! そんなことから、七福神に興味を持って、いろいろと調べている。

花園万頭の「花園七福神めぐり」
花園万頭の「花園七福神めぐり」

昔っから思ってはいるんだけど、「七福神」って謎だ。全ッ然、この集団の意味が分からない。民間伝承って、どういう経緯で成立していったのかがうまく把握しにくい。いろんなアイディアがごちゃまぜになっていて、何でもありありで、正体不明すぎる。

たとえば大黒さま。大黒さまって、赤い帽子を被って、福袋を背負って、打出の小槌を持って、米俵に乗っかって、にこにこ笑っているイメージだ。でも、本来、大黒天というのはヒンドゥー教のシヴァ神の別名、あるいは化身で、महत्काल(マハーカーラ)《大いなる暗黒》に由来する。「大いなる暗黒」という意味から「大黒天」として密教に取り込まれた。憤怒の形相で、力づくで人々を救済していく存在だ。

これが魔除けとして各家庭で飾られるようになる。南インドなんかでは台所の神としての側面も持つようになる。台所に入ってくる邪悪を追い払うという性格を持っていたわけである。

「台所の神」としてのマハーカーラを大黒天として日本に持ち込んだのは、天台宗の最澄である。寺の台所に安置されるようになった。この信仰が庶民にも広がって、大黒天を祀れば食べ物に困らない、と信じられるようになったわけである。こうして、家の守護者になり、「大黒柱」という言葉に繋がっていく。

その後、因幡の白兎で有名な(あるいは国譲りで有名な)あのオオクニヌシと習合する。「大黒(だいこく)」が「大国(だいこく)」に通じる、ということらしい。何だそりゃ。こうして、大黒天にオオクニヌシの属性が入り込む。大黒さまの今の姿は、このオオクニヌシのイメージに近づいている。

恵比寿さまも、正体は不明だ。七福神の中で唯一、日本由来の神さまとされていて、海の向こうからやって来る「漂着神」だという。漁業の神さまで、大漁を約束する。クジラやイルカなどが海に漂着すると、大漁になると信じられていて、こういう漂着物そのもののことを「えびす」と呼んだりもするらしい。

「えびす」という神さまは『古事記』などの記紀神話には登場しないため、鎌倉時代頃から、頻りに記紀神話の神々と結びつけようとする動きが出て来る。まず、「蛭子神」が挙げられた。「ヒルコ」はイザナギとイザナミが最初に産んだ失敗作の神さまで、五体満足でなかったために海に捨てられた。この「ヒルコ」が再び漂着して「えびす」になったのだ、と考えられるようになったのである。「蛭子」が「えびす」と読むこともこの考え方を支えていた。

コトシロヌシ(事代主神)と結びつける説も生まれた。国譲りのときにコトシロヌシが釣りをしていたことから、次第に海神になっていたのである。実は恵比寿さまが鯛を釣っているのは、このコトシロヌシの姿に由来する。

ちなみにオオクニヌシとコトシロヌシは親子なので、大黒さまと恵比寿さまは親子である、という裏設定もあったりして、対になって祀られていることも多い。

このように、民間伝承は複雑怪奇なのであって、解き解していくのは容易ではないのだ。そんなわけで、七福神だけでも本が1冊くらい書けるくらいで、いろんな研究本が出ていたりするので、ボクとしては極力、手を出さないようにしていたんだけど、段々、こういうところにも手を入れたくなってきたなあ。やあ。

  

2014年1月12日 イサキ、おでん、つくねバーグ!!

戸塚にてTOEICを受験。リスニングはまあまあ。でも、リーディングは相変わらず無理だなあ。結局、単語や文法を覚えるという学習の習慣がなかったのがいけない。「英語なんて言語だから、みんな、感覚で喋っている。日本語を喋るのに単語や文法なんて覚えた記憶がないぜ」なんて思っていた中学生のボクだ。でも、日常で使わない以上、単語や文法を覚える方法論が大切なのだなあ。中学生のボクに、そうやって教育してくれればよかったのに。

* * *

ちぃ子のご両親が実家へやってきて、ママンは張り切っている。イサキという九州の魚の丸焼きとか、つくねのハンバーグなんかをせっせと作っている。ちぃ子のお義母さんの買ってきたツクルくんの洋服がかわいくって素敵だ。そして、期せずしてちぃ子とお揃いになっている。クッソゥ、裏山シイタケ!!

ママンの張り切り料理!
ママンの張り切り料理!

ちぃ子とツクルくんのお揃い服
ちぃ子とツクルくんのお揃い服

  

2014年1月13日 無自覚に歪んでいくボクとちぃ子とツクルくんの関係性。

最近、ちぃ子のことを、無意識に「お母さん」と呼んでいる。一方のちぃ子も、しばしばボクのことを「パパ」などと呼ぶ。由々しき事態である。どうやら、ツクルくんが我が家の新メンバになってから、立ち位置が緩やかに、しかも自覚なしにブレているらしい。これって、全ッ然、ボクにとって理想的な状態ではない。ボクは「パパ」ではないし、当然、ちぃ子も「お母さん」ではない。そりゃー、ツクルくんにとってはそうかもしれない。でも、ボクとちぃ子は、一個人だ。

ボクは結構、呼称って大切だ、と思っていて、上司のことを「係長」とか「課長」などと役職で呼ぶことは少ない。かなり意図的に、限定的に使っている。例えば、「係長に確認してもらってね」と言う場合には、その人個人ではなくって、ポジションとしての係長職を通してから外に資料を出してね、ということだし、「係長が説明しますか?」というときには、平社員のボクが説明すべき内容か、係長級が説明すべき内容かの確認を問うている。そういうものだ、と思う。それ以外のときには「○○係長~」などと呼んだりはしない。あくまでも「○○さん」だ。これは、ボクの信念だ。

そんなボクなのに、家の中では、無自覚に、父・母という役職で呼ぼうとしていて、とても怖いことだな、と思う。気をつけなければいけない。

  

2014年1月14日 ビッグ・フット・ハンタ!?

巷では「ビッグフット・ハンタ」が話題になっているらしい。まだいるんだねえ、そういう人が。そしてそういう職業が。素敵なことだ。

それにしても、ビッグフットを銃で仕留めたらしい。すごいな。「写真に収めた」とか「動画を撮った」とかじゃなくって「仕留めた」。そして、仕留めたビッグフットの「写真」を公開している。まあ、リアルだよね、という感じ。でも、ここでトーンが「写真」にグレード・ダウンしてしまうのが何だかなあ、な感じで、しょんぼりだ。本当だったら、その仕留めた死体を公開するのが順当だ。

大抵の場合、未確認動物の死体は捕獲しても盗まれる。ビバ、未確認動物あるある、というやつだ(こらこら!)。

  

2014年1月14日 スコアが見えるような演奏

最近、カルロス・クライバーの指揮したベートーヴェンを聴いている。小学館が「CLASSIC PREMIUM」を発売していて、その第1号がカルロス・クライバーだったのだ。普段、あんまりクラシックなんて聴かないボクだけど、この隔週の雑誌のデザインと企画に惹かれて衝動買いしてしまった。

実家でガンガンに流していたら、「彼の指揮は、スコアが見えるような演奏だね」と父上様。ああ、確かにそうだなあ。的確なコメントだ。こういうコメントが言えることが素敵だな、と思うし、常々、見習いたいな、と思っている。


『隔週刊 クラシックプレミアム ベートーヴェン1』

  

2014年1月14日 たまに、こういうご褒美があって、ボクは生きている。

昔の上司から、ツクルくんへのお祝いをいただいた。ちょうど同じ職場だったときに結婚されて、職場総出でお祝いをした記憶がある。そのときにボクがウェルカムボードをつくった。貸し切りのレストランのワンルームの入り口に飾ったのだけれど、あれがすごく嬉しかったのだ、とのこと。そんな経緯で、奥さまがツクルくんにお祝いをあげよう、と言っておもちゃを買って準備してくれたのだそうだ。

凝ったウェルカムボードを作ったのは事実。だけど、そんなことで、こうやって喜んでもらえていたというのが、とても嬉しい。創作をやっていて、褒められることも貶されることもあるし、いろいろと面倒くさい注文をつけられることもある。でも、こうやって単純に喜んでもらえたら、それって、作り手冥利ではないか。

たまに、こういうご褒美があって、ボクは生きている。

当時作成のウェルカムボード
当時作成のウェルカムボード

  

2014年1月15日 報道は正しく伝えなきゃいけない

軍の船と民間の船が衝突したらしい。平成2年にも軍の船が事故を起こしているらしいけど、NHKのニュースで「頻繁」という言葉を使っていた。こういう事故が「頻繁」に起こる、という論調。でも、平成2年から今まで20年以上も、事故は起こっていない。これを踏まえた上で「頻繁」という言葉を使うことに、ボクは疑問を感じる。報道は正しく伝えなきゃいけない。「頻繁」に発生すると捉えるかどうか。これって、ものすごく主観的な捉え方で、しかも軍を悪者にしようとする偏向報道ではないか。

  

2014年1月15日 0歳児にして5年間有効なパスポート!?

本日、ツクルくんのパスポートを申請した。23日に引き渡しらしい。結構、スピーディに作ってくれるんだなあ、パスポート。でも、引き渡しの際にはツクルくん本人をパスポートセンタまで連れて行かなきゃいけないので、なかなか大変だ。

昨日は必死になってパスポート申請用の写真を撮るボクたちだ。まだ生誕1か月のツクルくん。今度、義妹の結婚式でグアムに行かなきゃいけない。パスポートを取得しなきゃいけない。でも、ツクルくんは当然、こちらの意図を全ッ然、分かってくれないので、キャメラを向けてもこっちを向かない。首をくるくると動かすし、ギャアギャアと騒ぐし、写真1枚に大仕事だ。抱っこしていれば、多少は、静かにしてくれるんだけど、真っ白いシーツの上に寝かせての撮影。なかなか大変である。

それにしても、0歳児にして5年のパスポートが取得できてしまうのだから、ツクルくん、5年後にこのパスポートを使ったら、どうなるんだろう。0歳のときに撮影した写真でも、ちゃんと本人確認できるのだろうか。まあ、単年度更新にされてしまうと面倒くさいので、5年のパスポートでちょうどいいんだけれど、パスポートとしての本来の役目を適切に果たすのかどうかは甚だ疑問だ。

  

2014年1月16日 個人的な発信を掻き集めた「それ」ってニュースか!?

本日からツクルくんを含めて3人での生活が始まる。実家暮らしは楽チンだけど、両親との距離の取り方とか、個人の時間の作り方とか、非常に難しかった。3人での生活になれば、今後はある程度、自分の好きなペェスでやれる。コントロールできる。でも、育児を助けてくれる手はないので、ちぃ子とボクと、2人で頑張っていかなきゃいけない。気を引き締めて頑張ろう。バンガロー!!

* * *

最近、2ちゃんねるやTwitter、個人blogなんかの書き込みを拾ってきて、それを平然とニュースとして記事にする風潮があって、ちょっとおかしい。大体、個人的な書き込みを拾ってきて、世論だよ、とばかりに上段に振り翳すやり方が、ボクは気に食わない。これこれこういう書き込みがあった、というのは事実かもしれない。でも、それは匿名希望の誰かさんの一個人の意見。そういうのをいくつか拾ってきて、世の中、こういう意見だ、みたいなまとめ方をされると、気持ち悪さを覚える。少なくとも、2ちゃんねるの書き込みで、母数何件に対してこういう意見が何件あった、と書けば、まだ少しは客観的かもしれない。そのくらいの気概を見せろよ、と言いたい。少しだけ許せるのは、中国や韓国の掲示板からの情報を日本語に翻訳して紹介するニュース。それであれば、ああ、中国や韓国って、こういう雰囲気なのかなあ、とまだ考えさせられる。

もうひとつ、気になっているのが、ラジオ番組とかテレビ番組での芸能人の発言を、そのまんま、彼らの公式見解のような体裁で「誰某がこう発言した」みたいに書いていること。番組の途中の発言なんて、前後の文脈とか流れを受けての発言だし、多少、演出めいたものも含まれる。視聴率を意識したコメントに偏る可能性だってある。そういうのを、さも誰某の意見とか主義主張みたいに喧伝して回るのは、ちょっとおかしい。

それよりもさらに最悪なパターンとしては、放送されたドラマやバラエティのダイジェストを記事にして紹介しているパターン。こういうのは、ビックリしてしまう。特にバラエティなんて、見てナンボのものなのに、ダイジェストで記事にするか!? 個人の趣味のウェブサイトとかファンサイトじゃないのに、よくやるなあ、という感じ。

ニュース・サイトも、質の向上が必要だ。ライタさんに点数をつけられるようなシステムに出来ないかなあ。点数の低いライタさんを排除できるようなシステムにしたい。そうすれば、もう少しまともになるよなあ。

  

2014年1月17日 イントラネットって、本当に強靭なの!?

アイアンメイデンのギターってうまいよなあ。と、今頃になって思う今日この頃。格好いいなあ。切れがある。音がスッキリしていて、綺麗だ。うーん。イイ。

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東日本大震災のときにいろんな図面とかデータを、電子情報にしておけばよかったね、みたいな話があった。津波で図面とかデータが流されてしまって、復旧に相当の時間が掛かったのだとか。そんなわけで、我が社でもイントラネットに図面やデータをどんどん保存している。でも、イントラネットって、あくまでもイントラネットだ。イントラネットの回線がダメになったときには、どうやってアクセスするのだろうか。うーん。何だか片手落ちな気がする。本当の意味でどこからでもアクセスできるクラウドの方が、セキュリティに課題はあるけれど、いざというときに使えるよなあ。イントラネットって、それ自体の強靭さってどんなもんだろうか。

そんなわけで、ボクは我が社のイントラネットを信用していないので、スタンドアローンとかCD-Rみたいな媒体の方がいいんじゃないか、と本気で思い始めている。