2020年5月16日 芸能人は政治的発言をしてはいけないのか!?

芸能人は政治的発言をしてはいけないのかと今回、ツイートした芸能人が騒いでいる。ボクは、それこそ論点ずらしだと思う。誰が政治的発言をしようと、それは自由だ。ただ、政治的発言はときに右だ左だと振れる。だから、政治的発言は敵をつくるし、批判を受けることもある。その覚悟が必要だ。

たとえば、今回の「#検察庁法改正に抗議します」というハッシュタグは、厳密には「法改正に反対」という非常に狭い領域での抗議だけれど、法案の中身をつぶさに見ながら、この点のこの部分が反対で、こうすべきだ、という議論であれば、それは右だ左だの議論にはならない。ただ「内閣が検察の人事に関与したら日本がおしまいだ」みたいなトーンでツイートしたら、それって、政権批判だと判断されても仕方ない。政権寄りの立場の人には非難される。その中で「もっと勉強しろ」と批判されても仕方がないし、それも含めて「言論の自由」だ。

気を付けなきゃいけないのは、「#検察庁法改正に抗議します」は全ッ然、ポップでも、ライトでもない。でも、何となくTwitterで気軽に発信できて、ポップにライトにつぶやいている印象がある。勿論、主義主張は自由だ。発言も自由。だけど、こういうのは、批判されることも覚悟しなきゃいけない。だからこそ、勉強をするし、真摯に向き合う。そういうものだ。

よく霞ヶ関に行くと、いろんなデモをわーわーとやっている。基本的には、ボクはあんまり関わり合いになりたくないな、と思う。Twitterで政治的発言を繰り広げるというのは、基本的にはそれと同じだ。友人にもTwitterで政治的な発言を好んでする人がいるが、ボクは、ちょっと距離を置いてしまう。特に政権批判の色合いが強い偏った発言の人や、陰謀論、中国・韓国のヘイトなどが相俟ってくると、ちょっと、さようなら、だ。こういうのは、芸能人に限ったことではない。右でも左でも、偏っている発言は煙たがられる。

一時期、facebook上で、自分のアイコンをトリコロールに染めていた人たちがいたのを覚えているだろうか。フランスでテロがあって、これに端を発した出来事だ。でも、シリアやイラクでは無差別に米軍によって市民が殺されていて、そっちの悲惨さをそっちのけ。しかも、欧米グローバリズムとイスラム原理主義の対立構造になっている中で、ほいほいと欧米に加担する姿勢に、ボクはちょっと引いてしまった。そういう「お友達」とはさよならした。そのちょっと後に、LGBTの七色が流行ったときもある。アイコンを七色に染めて「わたし、LGBTへの理解者です!」とPRしていて、それも、ボクとしては気持ちが悪くて「お友達」をさよならした。本当にLGBTと触れ合って、よき理解者として振る舞えるのか。それって、なってみなきゃ分からない。もちろん、LGBTを理解してあげたいと思うし、LGBTを否定するつもりもないんだけど、でも、実際にゲイの人に好奇の目で見られて、居心地が悪くなったりしないのか。

若い頃のボクはひょろっとして髪も長く、中性的な顔立ちだったので、おそらくゲイの人に好かれていたのだと自覚している。mixiで足跡がついていて、飛んだ先は「ゲイ」を自称する人ばかりだった。見知らぬ足跡の3分の1くらいがプロフィール欄でゲイだとカミングアウトしていた。これ、気持ちはよく分かるんだよね。たとえば、ボクもかわいいアイコンの女性を見かけると、クリックしたくなる。お友達になれないかな、と思う。多分、それと同じことだ。でも、当然、ボクは男性から性の対象として見られることには不慣れなわけで、いや、仮に女性からでも、性の対象として見られていると意識してしまったら、それだって好ましいとは感じなくって居心地が悪いんだけど、ボクをクリックした人の大半がゲイだとなると、これはちょっとビビるというか、そういう顔なのかな、と気になるし、あてられた。別に、いいんだ。ボクも美女をクリックする。女性Youtuberだってかわいい人の方がいいし、女性からしたら男性Youtuberだって格好いい人がいい。同じこと。でも、そういう場面で「私はLGBTのよき理解者です! 大賛成!!」とボクは胸を張って言える自信がない。だから、ね。「LGBTの理解者です」というPRは、決して、非難されるものではないんだけれど、「流行」で自分の立ち位置を決めるもんじゃないだろう、と思ってしまう。常に当事者意識を持って、想像して、触れ合って、その中で考えることが必要で、「流行」の中で安易に自分の立ち位置を明確にしてはいけない。Twitterって、そういう要素があるから、ちょっと注意が必要だ。

大体、ボクは意見を述べることは自由だと思うけれど、間違った中身を拡散することは、やっぱり「悪」だと思う。勿論、ボクだって間違う。ファンタジィ事典の内容だって、よくよく精査しているつもりだけど、間違っていることがあるわけで、誰もが完璧なわけではない。だけど、間違わないように慎重であろうとは思うし、そのために確認したり、勉強したり、最低限の努力をする。法改正の賛否の立場はともかく、今回の大部分の芸能人の発言は間違っている。それについては、別途、いつか書こうと思う。反対の立場でも、賛成の立場でもいいけれど、発言には責任を持たなきゃいけない。それは言論の自由とか、職業差別では誤魔化せない。間違ったことは、間違ったと認めて、批判を受けなきゃいけないと思う。