2021年1月17日 日記はコラム的な発想で!?
昔から、ウェブサイト『ヘタっぴなアルコール蒸留』では「日々の雑記」として『日記』を書き綴っている。当初は創作サイトだったので、小説を書いたり、絵を描いたり、作曲したりするたびに、ウェブサイトが更新されていた。でも、当然、それでは更新頻度が低いので、ウェブサイトを動かす仕組みが欲しくて『日記』というスタイルを選択した。大学生の頃は、本当に『日記』だった。毎日、欠かさずに更新をしていた。最近は頻度が落ちている。サボっている。あるいは『日記』というスタイルに意義を見出していないとも言える。
『日記』というスタイルを選択したのは、当時、レンタル日記ツールがあって、Web日記が一般的だったからだ。みんながレンタルCGIで日記ツールをレンタルして、それに日記を書いていた時代だった。だから、アメリカからblogが日本に入って来たときにも、日本ではblog本来の使い方をされずに、Web日記の代替手段みたいになってしまった。そして、SNSが当たり前になって、今となっては日記はSNSで書く時代だ。htmlで日記を書くことに、あまり意味がなくなってしまった。
でも、実はボクはSNSで日記を書くことに少しだけ、抵抗がある。だから、こうして細々とhtmlで日記を書いている。SNSは「友達」のところに書いた記事が載る。読んでもらうという意味ではとても素敵な機能だけれど、一方で、とても押しつけがましいな、とも感じる。自分の近況報告みたいなものを「読め」とばかりに通知する。退屈な日常を下手くそな文章で綴って「読め」とばかりに相手の眼前に突きつけるような不躾さがあるように感じる。勿論、ちゃんと読んでもらうことを前提に遂行して、楽しんでもらえるような部分を用意した文章だったらそれでもいい。でも、書き殴りだったり、とりとめがなかったり、感情的だったりする文章を「えいや!」と投げることもある。そういうのをSNSに載せて、当たり前のように読ませてしまう恐ろしさが、実はSNSにはある。ボクは、読みたい人が読めばいいというスタンスなので、今まで、こうやって本当の意味での『日記』はウェブサイト『ヘタっぴなアルコール蒸留』の方に載せてきた。
でも、この『日記』というスタイルに限界があるかなあ、と感じている。もう、日記的なものは完全にSNSに囲い込まれてしまった。人々の生活スタイルがSNSを軸に回って、相手の近況はSNSで把握することが当たり前になった。場末のhtmlの記事で近況報告を知ることなんてなくなってしまった。最近では芸能人もSNSになってしまった。
そういう意味では、htmlの役割は、当初のblogのコンセプトと同じで『日記』ではなくって『コラム』の集積みたいな形にするのが望ましいのだろうな、と感じる。検索で飛んできた人が必要な『コラム』を読む。そういう形だったら、『日記』よりも価値があるかもしれない。勿論、ボクは『コラム』的な日記を書くことが多い。でも、タグをつけているとは言え、『コラム』として一覧を確認できるようなスタイルにはなっていない。
2021年は「日々の雑記」の在り方を模索する年にしようかな、と思っている。「日々の雑記」は『日記』的な「雑記」だ。でも、それなりに書くときには時間を要する。投資した時間がウェブサイトに形として積み上がっていく在り方が理想だろうな、と思う。