2020年9月13日 大麻はドーピングなのか!?

当然のことだけれど、ボクは大麻を経験したことがないので、大麻を摂取して創作したときに、結果がよい方向に行くのか悪い方向に行くのかは分からない。それって未知の世界だ。

伊勢谷氏の件で「作品に罪はない」という論調に松本人志が異を唱えていた。「俺が例えば、シャブをガンガンきめて、コント10本ぐらい撮ったら何本かすごい名作生まれると思うんやけど、それで作品の罪はないのか?」とのこと。松ちゃんはピエール瀧のときにも「ドーピング」という言葉を使っている。ボクは、そもそも、この論点が間違っていると思う。つまり「薬物の使用=ドーピング」ということは、薬物が潜在的な能力を引き出すということを大前提としている。でも、本当にそうなのか。薬物に才能を引き出す力があるのなら、大麻を使用する人はなくならないだろう。そうじゃない。メディアは「大麻を摂取したらすごい作品がつくれるかも」という幻想を視聴者に抱かせたらいけない。

たとえば、アルコールを摂取して閃いたアイディアなんか、酔いが醒めたら使えないものが多い。そりゃあ、発想が自由になるとか思うのかもしれないけれど、ボクはそうは思わない。創作は感性と理性の狭間でつくるものだ。理性をふっ飛ばしてしまったら、いいものなんかつくれない。だから、薬物を使ったって、ものすごいものなんかつくれない。そういうことにしておいてくれないと、メディアとしては失格だ、と思う。変に薬物を神格化したり、美化したりしてはいけない。本当のところは摂取したことないから知らない。でも、事実よりも報道の在り方として、そういうことにしておいてくれないと、ダメだ。だから、「薬物を摂取してドーピングしたからいいものがつくれた」なんて報じてはいけない。

ここからは、ボクがアルコールを飲んだ経験からの想像だけど、多分、薬物は一瞬だけ、恐怖とかストレスをなくしてくれるんじゃないかな、と思う。心が弱ったときに、幻想でも、一時的に復活させてくれるんじゃないかな、と。そういう意味じゃ、心のドーピングではあるのかもしれない。でも、それでインスピレーションが湧いて、天才になれるようなものではないのだ、と思う。芸の卓越した人たちは、かなりロジカルに考えて生きているとボクは信じている。試行錯誤して、分析して、成功者になっている。決して、感覚だけを頼りに成功しているわけじゃない。そういうのは、たとえばカジサックにゲストとして呼ばれるお笑い芸人の話を聞けば分かる。みんな、研究している。訓練を積んでいる。そういう結果が、成功に繋がる。そういうことにしておかないと、ダメだ。