2015年7月15日 一切、他人を信じないボクは、でも、究極的には人間の可能性を信じている。

ただいま、会社では一大イベントを開催中だ。ところが、方々から散々な評判が舞い込んでくる。やれ、彼女は原稿を棒読みだったとか、やれ彼は淡々としていて冗長だったとか、彼は工夫がなかったとか、まあ、いろいろ。どうせなら、みんなもっと面白おかしくやって、楽しめばいいのに、それって難しいのだろうか? ボクは何でも楽しくやろうと思っているので、それなりに一所懸命だ。基本的にサービス精神が旺盛なのだ。だから、結果的にはそれなりの成果を出す。自信がある。でも、他人が頑張っている事柄に関してはどうしたらいいだろう。ボクにできることって何だろう。……最近、そんなことを考える。準備段階でのアプローチか? 仕掛けづくりか? 意識づけ? 動機づけ? 昨日と今日、イベントへの参加を方々に依頼している。彼らの反応はイマイチで、実のところ、不安要素がたくさんある。電話越しに、全ッ然、楽しくやってくれそうな気配を感じられないのだ。片手間に引き受けている感じ。それに「ボクたちは初心者だから仕方がないよね」と最初から自分にエクスキューズしている。

ボクは基本的に他人を信用していない。過度な期待もしていない。それでも、ボクは究極的には「できる!」と信じている。相手の能力を信じているのだ。相手が勝手にうまくやってくることなんか端から期待しちゃいない。でも、やればできるはずだ、と相手の能力を信じている。できるはずだから頑張ってくれ、と願っている。頑張れるか否かで、結果として「できる」と「できない」が変わる。だから、こちら側のアプローチによっては、もしかしたら「できる」の側に連れていけるかもしれない。そう信じている。その意味じゃ、ボクは最終的には他人を信じているのかもしれない。