2016年1月21日 メディアのリテラシ
改めて思うのだが、ベッキーと絵音氏の騒動、いろんな意味で、メディア、問題じゃないのかしら。
そもそも、LINEでのやり取りをゲットして文春に売った第三者の行動に問題がある。どうやって入手したのだろう。それって合法?
そういう大前提はさておき、その第三者から情報を購入して、明らかに「外部への公開」を意図していないプライベートなLINEのやりとりを、そのまんま掲載してしまう文春には大きな問題がある。手紙にしろ、メールにしろ、電話音声にしろ、LINEにしろ、他人に公開されることを前提にしていないものを勝手に大衆の目に晒すのは、やっぱり大問題で、決して、芸能人だからいいだろう、と許される問題ではない。
ただし、文春の場合、お金を出して雑誌を購入した読者に向けて公表している。問題になった場合には、おそらく編集長が責任を取ることになるだろう。公開に踏み切った文春は、ある程度、情報の取捨選択をして、覚悟をもってやっているだろうな、と想像する。訴えられれば、それなりの責めを負う。そういう覚悟は持っているだろうと思う。
ところが、文春の記事をテレビやネットのニュースは当たり前のように取り上げている。これってどうなのだろうか。メディア自体が、各々、ちゃんと「外部への公開」を意図していないプライベートなものだ、ということを、ちゃんと意識して、判断して情報発信しているだろうか? 文春がオープンにしたからいいじゃないか、と安易にネタを取り上げていないだろうか。各自、ちゃんと責任はとれるのだろうか。
大体、文春が雑誌の読者に向けて発信している情報を、さらっと取り上げてニュースに仕立ててしまうメディアの在り方が、ボクには問題だ、と感じる。書かれた記事は、本来、書いた記者と掲載した雑誌の財産である。勝手にニュースに取り上げていいものなのだろうか。
そもそも、公共の電波で、こんなくだらないことを大々的に取り上げるなよ。もっと大事なことがあるじゃん、と思う。