2014年4月6日 「バナナ」を選んじゃ、ダメ!?

不細工なイワナガ姫と美人のコノハナサクヤ姫。ニニギはコノハナサクヤ姫だけを選んで、イワナガ姫は突き帰す。ニニギって、初代天皇(とされる人物)の神武天皇のお父さんだ。このお父さんの選択の結果、代々の天皇さまは、花が咲くように繁栄するけれど、岩のようには永遠に生きられなくなってしまった。

この神話のモティーフは東南アジアに伝わる「バナナ型神話」に起源があるらしい。神さまから「バナナ」か「岩」かの選択を迫られて「バナナ」を選んだために、死ぬべき運命を背負い込んだ、というストーリィだ。

このモティーフの派生系は古代ギリシアにもあって、「骨」か「肉」かの選択をゼウスがしている。この結果、神々は「骨」を選択し、腐る「肉」が人間のものになる。こうして人間は死すべき運命を押し付けられる。この神話では、選択したのは神さまであって、人間ではない。

旧約聖書の「知恵の樹」と「生命の樹」も、実はこのモティーフが背景にある、という学説もある。「知恵の樹」は通常、林檎だとされるけれど、実はバナナだったのではないか。そんな学説まであるらしいけれど、ボクはその学説に賛同することに、あんまり気乗りはしない。だって、東南アジアから比較的近い日本神話ですら「花」と「岩」の二者択一に挿げ変わっている。遥かイスラエルの地まで、「バナナ」という形のまんま、伝わっていく必然性はない。でも、まあ、ヨーロッパの方では、「林檎」は大昔には「果物」を指す語だったようなので、現在の「林檎」ではない可能性は、確かに、ないわけではない。ギリシア・ローマ神話に登場する「黄金の林檎」が、実は「オレンジ」だ、という学説があって、こっちなら、ボクは賛同できるなあ、と思っている。もしもヘスペリア(夕日の国)が日の沈むスペインを指すのなら、「黄金の林檎」のイメージは「オレンジ」に相応しい。

それにしても、「知恵の樹」がバナナなら、「生命の樹」は岩がぶら下がっているのだろうか。岩がすずなりの樹。そういうアイディアで創作してみても面白いなあ(遠望)。