2023年11月15日 コピーライト的なものから普遍的なものへ
息子のツクル氏が父の影響で「妖怪」に興味を持ち始めた。何しろ、ボクがスマホやパソコンに向かって何か描いているときは、常に「妖怪」なのだ。「パパの描く絵は首がなかったり、目がいっぱいあったり、手がいっぱい生えていたり、変な絵ばっかりだよね」と幼稚園の頃に言われた。教育的にどうなんだろうか……と真剣に悩んだのも、今となっては懐かしい思い出(笑)。そんなツクル氏も、ゲームや小説、漫画を読みながら、朧げに「幻想生物」という概念が分かるようになってきた。どうやらドラゴンやペガサス、ユニコーン、ゴーレム、ゾンビなどは、ピカチューやクッパとは毛色が違うようだと気づいてきたみたいだ。
ピカチューはポケモンの世界に存在し、クッパはマリオの世界に存在する。でも、「幻想生物」はいろんな作品で取り上げられるので、共通の概念やイメージが相互のメディアの中で共有されている。そんな事実が感覚として分かってきて、そういう存在をツクル氏は「妖怪」と称するようになってきた。「これはパパの好きな『妖怪』でしょ。この現実世界にはいない動物でしょ」などと言っている。かわいいやつめ。
この辺、実はすごく難しくて、いつも例に出すんだけど、ドラキュラはブラム・ストーカーの創作だし、フランケンはメアリー・シェリーの創作だ。エントはトルキーンの創作だ。ミミックは本来は「ダンジョンズ&ドラゴンズ」のオリジナル・モンスターだ。全部、コピーライトがある。でも、メディアの中で繰り返しモチーフとして使われていく中で、いつの間にか共通の概念として普及する。そうなると、いつの間にかコピーライト的なものがなくなって、普遍化されていく。作者とは離れて、独立していく。
大昔の神話の中の幻想生物だって、結局は全て、誰かが語ったものだ。最初に言及した「作者」に当たる人物がいるはずだ。それが分からなくなって、普遍化したら「妖怪」になる。その辺の不思議な線引きが、ツクル氏にも分かってきたみたいだ。
だから『ダンジョン飯』を父の本棚から解放してみた。このタイミングなら、きっと面白く読めるのではないだろうか。