2023年1月31日 ハイエナのように群がる人々

三浦瑠麗氏が絶賛大炎上中だ。そりゃあ、もう、ものすごい攻撃だ。彼女にはどこか胡散臭さはあった。痛々しさもあった。危うさもあった。でも、それは今に始まったことじゃない。ずぅっと彼女はそうだった。それなのに、今まで何も言わずに彼女を受容してきたはずの人々が、手の平を返して一気に総攻撃。恐ろしい世の中だ。

ボクは、彼女はエンターテイナだと認識している。そういう芸風であり、テレビの中で求められる役割をきちんと果たしてきた。そういうお仕事だと認識しているので、メディアが彼女を論客として登壇させてきたことに、特に違和感を覚えない。テレビなんて大体そんなものだし、タレントもそんなものだ。ニーズがあって、それに応えるタレントが生まれる。

ところが、ここに来て、今まで批判してこなかった人が、一気に牙を剥いて、三浦瑠麗氏を登用したメディアの責任を問うような議論をしていて、とても不思議だな、と感じる。視聴率を取ることがテレビのひとつの目標であって、彼女が出演することで、あるいは彼女の発言することで、各方面でそれが話題になるのだから、テレビとしては十分に成功していた。その意味で彼女も成功していた。だから、それでいいじゃないか、と思う。

勿論、ここから先は別だ。テレビと彼女はウィンウィンの関係を構築できなくなった。だから、テレビ側は彼女を使おうとしないだろう。彼女は失脚するのかもしれない。その是非はあるかもしれないが、今、そんなに目くじらを立てて、弱った彼女に群がって、過去も含めて、ああでもないこうでもないと彼女をいじめなくてもよいのにな、と思う。「彼女をテレビに出すことに違和感があった」とか「間違っていた」とか、今更、そんなことを後出しジャンケンのように言うのは格好悪いし、あまりにも感情的だ。事件でもあるのだから、もう少しいろいろなことが明らかになってから、事実に立脚して批判すべきだ。

……と、また、あまり神話・伝承に関係のない記事を投稿してみた。でも、いつだって、寛容な世の中を望むボクなのであることよ。