2023年1月10日 一人称問題と「ボク」

YouTube「しらスタ」のおしらさんが先日、「一人称」について語っていた。彼の一人称が動画の中でしばしば「わたし」や「俺」で揺らいでいることから、しばしば「ビジネスおかま」を疑われるらしい。先日、知人から悪意なく丁寧に一人称の揺らぎについて質問され、改めて「一人称」について考えて、発信するに至ったらしい。

彼は動画の中で、学生時代、自分にしっくり来る「一人称」が見つからず、「一人称」を避けて会話をしていたと告白していた。実は、ここはものすごく共感するところだ。ボクも学生時代、一人称問題はすごく悩んでいた。「俺」みたいなたくましいキャラクタじゃないし、「僕」というのも子供っぽく感じる。「私」というのも女々しくて気恥ずかしかった。だから、ボクは会話の中で意識的に「一人称」を避けていた。日本語は英語とは違って、主語を省略しても文が成立しやすいので、誤解が生じない限り、一人称は使わずに会話をしていた。

英語だと単純に「I(アイ)」だけだ。そこには「性」のニュアンスはない。「役割語」もない。みんなが平等な「I(アイ)」だ。でも、日本語は主語にまつわるさまざまなニュアンスがついてまわる。「わし」と言えば老人っぽさ、「うち」と言えば女子高生っぽさ、「僕」と言えば幼児っぽさ、「俺」と言えばたくましさ……いろんなニュアンスがあって、おしらさん同様、ボクも自分にしっくり来る一人称を見つけられなかった。

大学生のときにウェブサイトを始めることになるが、そのときにオンライン上で「ボク」を使った。中性っぽくもあるし、カタカナにすることで、ちょっと架空っぽい印象もあって、初めてしっくり来る一人称を獲得したボクは、そのまま、大人になった今でも、この電脳空間の中では「ボク」を使っている。

ボクはおしらさんとは違う。おかまではない。ゲイでもない。恋愛対象は間違いなく女性だし、アイドルは大好きだし、深夜番組の性的な描写にも一丁前にドキドキする。でも、どちらかと言えば、中性的な性格なのだと思う。学生時代、多くの男子が好む球技にもヤンキー漫画にもプラモデルにもはまらなかった。ガンダムにもウルトラマンにも戦隊モノにも仮面ライダーにもはまらなかった。うちに引きこもる文学少年であり、華奢な自分が好きだった。多分、ボクは中性的でありたかったのだろうな、と想像する。だから、「俺」とか「僕」がしっくりこなくて、それでも、「私」とも言えなくて、その狭間で、「ボク」に至ったのだと思う。

正直、社会人になって、すごく楽になった。大人の社会においては、「私」は一番、ニュートラルな一人称だ。そんなことを、おしらさんのYouTubeを見ながら考えて、自分自身を振り返ってみた。