2020年11月29日 猫も杓子も謝罪会見!?

最近では、よく芸能人が謝罪会見をしている。YouTuberもする。もう、猫も杓子も謝罪会見の世の中だ。で、それを拒んでいる珍しい芸人がいる。年末の「ガキ使」で復帰すると噂されている彼だ。

彼の復帰に葉賛否両論あるらしい。むしろ、否の方が多いという印象で報じられている。「彼が出演しても笑えない」という声がある。まあ、笑いの感性は個々で違うので、笑えない人は笑えないし、笑える人は笑える。「彼が出演するなら見ない」という声もある。見るも見ないも個人の勝手。見たくない人は見なければいいし、見たい人は見ればいい。テレビは義務教育のような類いではないので、みんなが見なければならないものではない。見たくなければ見なければいい。少しだけ気になるのは「彼を出演させるべきではない」というコメントか。出演させるさせないは事務所とテレビ局、スポンサーが判断するもので、ちゃんと議論して決めたことだろうから、その「べき論」は視聴者が論じることではない。彼の出演に違法性がなくて、視聴率がとれると判断されれば、出演する。それだけだ。「見ない」という形で抗議をするのは自由だから、是非、そうすればよいと思う。

でも、何よりも違和感を覚えるのは「会見が先だ!」というコメント。謝罪会見って、そもそも必要なのだろうか。前例踏襲でみんな、謝罪会見をするけれど、謝罪は、謝罪すべき対象に向かってするものだ。たとえば、商品の不具合があった場合などはお客さまに謝罪する必要がある。会社に損失を出したときや不正があったときには、もしかしたら会社は株主に向かって謝罪をするのかもしれない。でも、不倫は、配偶者への裏切りであり、配偶者に謝罪すべきだ。番組降板によってスタッフやスポンサーに迷惑を掛けたなら、スタッフやスポンサーに謝罪すべきだ。謝罪会見をすべきだと言う声は、ボクには違和感しかない。謝罪は関係者に対してすべきであって、謝罪をどこまで公開すべきかは本人が決めればよい。配偶者に対して謝罪し、スタッフやスポンサーに対して謝罪すれば、その形は問われるべきものではない。それが不特定多数のお客さまであったり、株主みたいな場合には、公の場で謝罪することが有効なだけで、芸能人であるから駆らなず公の場で謝罪しなければならないわけではない。公の場で謝罪をすることで初めて許されるとか、マスコミの前でボコボコにされてから再出発みたいな発想は、陰湿なイジメ的な発想で、何となく、芸人仲間がそんな論調になっていることが、すでにズレた議論のような気がする。

彼が謝罪会見しないままリスタートしてどうなっていくのかはよく分からないが、謝罪会見をしないというのも、ひとつの選択肢だという世界であって欲しいな、と思う。それこそがダイバーシティを認めることだと思う。