2014年6月24日 知らないということ。
「若手」という理由で、たまたま会社のウェブサイトのリニューアル業務に参加しているボク。窓口は別の人がやっているので、ボク自身は直接、ウェブ・デザインの会社の人と接触することはない。でも、どうも、話を聞いていると、WordPressを導入したリニューアルになるらしい。会社がいくら支出しているのか分からないし、どういう契約をしたのか分からないけど、htmlファイルだけ数えたって、10本の指で足りてしまうような、そんな薄っぺらいウェブサイトだ(こらこら!)。わざわざWordPressを使う必要があるのか、と疑問に思わないでもない。でも、よくよく話を聞くと、CMSの構築を依頼したらしいので、その結果、WordPressでのリニューアルになったのかもしれない。それとも、最近のウェブ・デザイン業界は、WordPressでのウェブサイト構築が普通になっているのかもしれない。
ちょうど、タイミングとしては、ボク自身が、自分のウェブサイトをWordPressでリニューアルした矢先だったので、結構、興味津々だ。そうしたら、会社の担当者が「申込用のメール・フォームをお願いすると高くなっちゃうらしいので、今回は諦めました」などと言っている。えええッ、と思ってしまう。ボクだったら、WordPressのplug-inをぶっ込んで、10分くらいで作ってあげちゃう。そもそも、大昔だって、cgiでちゃちゃちゃっとメール・フォームくらい作成できた。今回のウェブ・デザインの会社は、メール・フォームひとつつくるのに、一体、いくらを要求したのだろうか。
知らないって恐ろしいことだ。Excelでランダム・リンクを吐き出すプログラムが、月額1,000円でクラウド上に上げられていたこともあったらしい。おいおい、と思うけど、結構、ありがたがって使っているユーザもいたそうだ。もともとExcelにはrand関数があるのにね! そのくらい、Excel上で手作業でも出来るのに、自動化だ、と勘違いしているのだから恐ろしい。知らない、というのは、そういうことだ。
2014年6月26日 写真撮影からの買い物行動!?
Amazonがスマホ市場に参入するらしい。まあ、なかなか大変だろうなあ、とは思うけど、そんなことよりも、そのファイアフォンの特徴が興味深い。3D認識技術で、カメラで撮影した画像(書籍が中心だけど)が、商品と紐づくらしい。つまり、何気なくいいな、と思って撮影した画像(書籍が中心だけど)が、Amazonの商品とリンクできちゃうわけ。同様に、商品にくっついているバーコードや文字も認識して、商品と紐づいちゃうらしい。その他にも、流れている音楽を拾って、商品と紐づける、なんてこともできるらしい。そういう商品との紐づけに特化したスマホだ。
これって、すごいことだ。街をぶらぶらと歩いているだけで、興味のある対象がその場でそのまんま商品に早変わりする。従来なら、「買うぞ!」とお店(本屋さんとか)に入ったり、「買うぞ!」とネットサーフ(Amazonとか)したりする買い物行動じゃなくって、「をッ、これいいね!」という衝動が、そのまんま買い物行動に繋がっちゃう。
確かに、その昔、ネット通販が普及して、買い物の空間的な制約と時間的な制約がなくなった。既存の店舗には大打撃を与えただろうし、物流システムにも大きな影響を与えただろう。でも、この商品紐づけシステムは、それ以上に、買い物の「質」が変わっちゃうくらいの革命だ。
何しろ、「買うぞ!」という気構えがないのに、買い物に繋がっちゃうのだ。偶然ネットサーフしていたらポップアップされたアフィリ広告に魅せられて、思わずクリックして買っちゃう、みたいな偶発的な買い物が、今後はもっと増えちゃうかもしれないということ。そこには売主や広告主が不在かもしれない。ホントに偶然の出会いで買い物が成立しちゃう可能性もある。「あ、何それ、かわいいじゃん。ちょっと撮影させて」という会話からの買い物、というパターンもあるだろう。うっかり「あ、それ欲しい!」などと同調したら「写真に撮っていいよ」などと言われたりもする。盛り上がって買ったけど、結果的に、後から考えたら欲しくもなかった、というケースも増えるだろう。多数か少数かは別にして、そういう買い物行動をとる人たちが出て来るわけだ。
ボクとしては、Amazonが独自のスマホを作っていないで、既存のスマホにそういう機能を付加していくようなシステムやアプリを構築する方が早道だ、と思う。わざわざ購買欲を助長させるようなスマホを「そりゃー、便利だね!」などとみんなが喜んで買ってくれる、とは思えない。どうだろか。
いずれにしても、このファイアフォンで培った技術がどんどん普及していけば、買い物行動が変質する。そこには新しいビジネスが生まれるかもしれない。ボクたちの買い物の中身も、無意識に変わっちゃうかもしれない。注視していきたい。
2014年6月26日 カウンタって何だったのだろう!?
この時代に、ウェブサイトのカウンタって必要なのだろうか。ふと、そんなことを悩んでしまった。というのも、Wordpressでウェブサイトを再構築する都合で、いったん、カウンタを外してしまったのだ。当初は、後からカウンタを再度つけ直そうと思っていた。でも、実際にカウンタを再設置しようという段階になって、ふと、カウンタって何だろうか、と考え込んでしまった。
ボクは2003年にウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」を立ち上げた。思えば、もう、11年もウェブサイトを運営しているのだなあ。当時は、ウェブサイトのトップページといえば、必ずカウンタがついていて、キリ番リクエストとか、キリ番達成イベント(10000HITとか?)みたいなイベントが開催されていた。そんな時代だったので、ボクも疑問も持たずにカウンタを設置した。カウンタが1000になったとか、5000になったとかで大喜びして、そのタイミングで思い切ってサイトのリニューアルを敢行したりもしていた。でも、最近は、カウンタをつけているウェブサイトはほとんどなくなっていて、あっても昔ながらのページだ。そもそもhtmlの個人ページが減った、とも言える。
カウンタの役割って、何だったのだろうか。ボクとしては、何となくお遊び感覚だったよなあ、と思っている。キリ番をひとつのコミュニケーション・ツールにしていた。「10000HITおめでとう」とか「50000HITおめでとう」とか互いに言い合っていた。今はfacebookやtwitter、blog……。人が集まる場所が分散して、いわゆるウェブサイトの常連さんがいなくなった。通りすがりの人があまりに多すぎて、カウンタなんか誰も見なくなっている。
今でもキリ番イベントをやっている古参のウェブサイトを見かける。キリリクとか受け付けている。相変わらずの懐かしい雰囲気にほろり、としてしまう。でも、正直、うまく機能しているとは思えない。
それ以外にも、自分の原動力にもなっていたのかなあ、という気がしないでもない。どのくらい自分のウェブサイトにアクセスがあるのか、ウェブマスタなら、みんな気になるところで、それが可視化されて、ウェブサイトが動いている感じがしていた。今日は何人来たぞ、と確認できたし、いつかボクも10000HITを達成するのだ、と目標にもなっていた。そういう意味じゃ、自分自身を奮い立たせる役には立っていた。でも、閑散として、カウンタが回らないのを確認するだけの現状じゃ、あんまり意味はないかもしれない。
そんなわけで、もう、カウンタは要らないかなあ、とボクは個人的には思っている。もう、カウンタの役目は終わった。多分、必要なのは外向きのカウンタではなくって、内向きのアクセス解析だ。カウンタという看板を掲げてコミュニケーションする時代は終わったのだ、と思う。
2014年6月29日 情報発信と責任
最近、Facebook上で児童虐待の動画を何度も見る機会があった。何しろ、みんながシェアして拡散しているのだ。そして、どうやらその動画に映っている母親が特定され、警察と児童相談所が介入したらしい。一見するとめでたしめでたしなのかもしれない。虐待されていた児童に救いの手が入ったと言える。でも、ボクは一連の動きについて、ちょっと、気持ちの悪さを覚えている。それが何か分からなくって、ずぅっと考えていた。そして、ようやく、答えが分かったような気がするので、ここに書いておこうと思う。
動画を公開するということは、それ自体が、ひとつの社会的制裁だ、とボクは思う。母親は、もちろん、子供を蹴り飛ばしているのだから、その点においては「悪いヤツ」なんだけど、でも、動画を公開することで、その母親の悪い行いは、白日の下に晒されて、不特定多数の人が閲覧できてしまう。彼女は、渋谷駅という公共の場で虐待をやっているわけだけど、でも、知人に見せたいなんて気持ちはこれっぽちもないだろう。隠しておきたいことだろうと思う。それを大っぴらにされちゃう。これって、社会的制裁だ。この母親は刑事責任を問われるかもしれない。民事責任も問われるだろうか。もしかしたら、行政的な措置もとられるのかもしれない。それらに加えて、社会的制裁も受けるわけだ。でも、それって、一体、誰が決めたのだろう。何の権限だろう。そういう社会的制裁を、素人の第三者が取り扱うことについて、ボクたちはどう考えるべきだろうか。
昔から、ボクは疑問を抱いている。バッシング報道とか、掲示板上での炎上とか、正義感の塊みたいな顔をしているけれど、社会的制裁ほど、正体不明で怖いものはない、といつも思っている。何の権限の元に、彼らは社会的制裁を受けるのか。本当に刑事・民事・行政だけじゃ足りないのか。
誰もが情報発信者になれる時代だ。だけど、発信した情報について、ボクたちはどこまで責任を持てるだろうか。そして、どんな権限が、ボクたちにあるのだろうか。
多分、そういう気持ちの悪さなのだと思う。動画を公開したことが一部では評価されている。最初にも書いたとおり、もしかしたら、虐待されていた子供には救いの手が差し伸べられたのかもしれない。それはそれで結果としてはハッピィエンドだ。でも、この方法論が正しいのかどうか。それはボクには分からない。無責任にシェアして拡散して、社会的制裁を加える。少なくとも、ボクはそこまでの権限は持っていないと思っているし、その責任も取れないなあ、と思っている。
2014年6月30日 蕎麦屋で英会話
フィリピンから友人が来日していて、一緒に横浜を巡っている。蕎麦屋にておもてなし。それにしても、ついつい、熱中して英語で会話していると、注文を取りに来た店員さんに英語で注文をしてしまう。完全に英語脳になっている。すると、蕎麦屋の店員さん。「あ、うちは蕎麦屋ですので、日本語でも注文できますけど、いかがですか?」。なかなかウィットに富んでいる。素敵な対応だ。

2014年6月30日 新しい時代の新しい妖怪
福岡の高校で集団パニックがあったらしい。どうも、霊感の強い女子が引き金になったとか、山登りをして幽霊を連れてきてしまったとか、いろいろな噂が駆け巡っている。まあ、真実はよく分からないし、ボクとしてはどうでもいいのだけど、今でも、こういうことが起こるのだなあ、と感慨深くなる。
オカルトがブームになった80年代の後、子供たちはあんまりオカルトとかに興味ないのかなあ、と思っていた。何しろ、本屋さんの児童書コーナから、そういう類いの本がなくなってしまったなあ、と思っていたのだ。ボクは80年代を生きた子供ではない。でも、学校の図書館には、その時代の名残みたいな感じで、おどろおどろしい本がたくさん残っていたし、本屋さんにも在庫がたくさんあった。ボクはそういう時代を生きてきた。
実は、最近、未確認動物とか宇宙人、妖怪、都市伝説、幽霊、占いみたいな看板を背負った本がたくさん児童書コーナに並んでいるなあ、と思っている。もしかしたら、また、そういうブームが起こっているのかもしれない。ボクは密かに期待しているのだ。新しい未確認動物とか、新しい都市伝説とか、今の社会に相応しい新しい妖怪が誕生するのを、心待ちにしている。今のところ、80年代の焼き直しみたいなものが多い。ファッションみたいに、巡り巡って元に戻った、みたいな感じ。今更、フラットウッズ・モンスターとかモケーレ・ムベンベとか紹介されても、何だかなあ、という感じ。だから、頑張れ、若者。





