2026年3月27日 転換と挫折:集合知の台頭と一度目の幕引き

  

この記事は黎明と黄金期:ハイパーリンクの熱気と個人サイトの黄金時代の続き。

そんなわけで、個人ホームページの黄金期であった2003年1月19日、ウェブサイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」は誕生した。時代は3G。1999年にi-modeが出来て、人々はガラケーでもインターネットにアクセスするようになった。ボクたちはガラケーに対応するウェブサイトを作らなければいけなくなる。一時期はキャリアごとにページを作る必要があって、パソコン用に加えてi-mode用、EZweb用、Vodafone用のページを作っていた時代もあった。

1999年にはすでにHTML 4.01が標準化されていて、文書構造(HTML)と見た目(CSS)を分離させるように提唱されていたが、日本への本格導入はかなり遅れて2000年代中頃だった。ボクはこれにも対応しなければいけなかった。ガラガラとウェブサイトを再構築した記憶がある。

さらには1999年に登場したブログが日本にも到来し、眞鍋かをり(2004-2006年)や中川翔子(2007-2009年)がブログの女王として大活躍した。ブログにはトラックバック機能がついていた。自分の発信した情報が参照される等の反応があって、当時は非常に画期的だった。ボク自身も、実は2005年に「飛べない試作品第7号」という名称でブログを試行していた時期もある。結局、HTMLのウェブサイトとの統一感を担保できなくて、このアプローチはすぐに諦めてしまった。

その後、2004年にmixi、Facebook、2005年にYouTube、2006年にTwitterが産声を上げ、次第にウェブサイトの重心が個人サイトからプラットフォームに移っていった。目に見えて、掲示板でのコミュニケーションが減って、SNS上でのやり取りが中心になっていく。SNSの囲い込みで顧客が奪われていく感覚を実感したのは2000年代後半かもしれない。

2001年に運営を開始したWikipediaが普及したのもこの時期で、2007年に40万項目を達成して、Google検索でもWikipediaがトップに来るようになった。まさに「出典はWikipedia」という時代が到来した。

2007年12月に、ボクは一旦、ウェブサイトを全て閉鎖する決断をした。モチベーションが続かなくなったのだ。特にウェブサイト「ファンタジィ事典」の編纂作業は難しかった。どう頑張っても、個人の事典では集合知には勝てない。それでも、必死で抗って、Wikipedia的な網羅性を追求してしまった。それで限界を迎えたのだと思う。だから、閉鎖することにした。

「まあ、ボクは気まぐれですから。ひょい、とまた始めちゃうかもしれません。でも、まあ、それはそれ。とにかく今は一度、閉鎖してみようと思います。みんな、みんな、ありがとう。またお会いする日まで」