2014年5月1日 M浦さんの話

フィリピンは本日はメーデーなので、現地の人々はみんなお休み。だから、我々は移動日だ。ニイノ・アキノ国際空港(NAIA)からカガヤン・デ・オロに向かう。

カガヤン・デ・オロと言えば、M浦さんの奥さんの故郷だ。そして、M浦さんと言えば、ボクを国際協力の道に引き込んだ諸悪の根源だ。新入社員だったボクは、M浦さんに誘われるままに国際協力の部会に参加するようになった。当時はまだ仕事は人に張り付いた時代で、海外から研修員が来るたびに、M浦さんが受け入れを引き受け、ボクらの職場が研修の舞台になっていた。M浦さんは結構、無茶をする人で、当時の課長や係長に英語で挨拶させたり、親方の設計現場に行って、親方に設計思想を説明させたり、いい意味でも悪い意味でも、職場全体での受け入れを実践していた。ボクもそれに巻き込まれながら、当日の英語資料や課長、係長の読み原稿なんかを作ったりしていたわけだ。

当時はD田さんが人材開発課にいて、結構、無茶な仕事を振って来る。一番、記憶に残っているのは、2月の終わりに海外研修員が訪日していて、D田さんから彼らを現場に連れて行って欲しい、と頼まれたこと。2月の終わりなんて、大抵、工事はほとんど終わっている。いろんな工事部隊の現場を当たったけれど、案の定、全部、工事は終わっている。仕方ないので、M浦さんとボクは勝手に図面管理の講義に切り替えて、竣工図を片手に竣工現場に行くことにした。実際の工事写真や図面を見ながら、設計から完成までの流れを説明して、完成品がどういう風に図面になって管理されているかを説明した。ベトナム人がしきりに感心していたのを、今でも覚えている。そういう小さなことが、きっと、ボクをフィリピンの地に立たせているのだ。

で、そのM浦さん。あるとき、ボクが趣味で雑誌を作るのを見て、自分も作ってみたいと相談を受けたことがある。結婚報告の雑誌を自分もつくるのだ、と言うのである。だから、印刷業者を紹介して、作り方、紙の選び方、注文方法なんかを教えたことがある。そうやって出来上がった雑誌の中に、奥さんとの結婚までのエピソードが入っていて、そこにカガヤン・デ・オロという地名が登場した。カガヤン・デ・オロは、まさにM浦さんの奥さんの故郷で、M浦さんがフィリピンで結婚式を挙げた場所なのだ。何の因果だろうなあ、と思っている。

ああ、全然、話が脱線している。まあ、いいか。

閑話休題。

そんなわけで、本日はフィリピンはメーデーなので、ボクたちはマニラからカガヤン・デ・オロに大移動。

カガヤン・デ・オロの風景
カガヤン・デ・オロの風景

写真はカガヤン・デ・オロ。ホテルの近く。タイのトゥクトゥクみたいなのが走っていて、結構、田舎だ。