セテク(セト)

分 類エジプト神話
名 称 𓋴𓏏𓄡𓀭 〔stḥ〕(セテク)【古代エジプト語】
𓃩𓃫𓁣
容 姿ジャッカルに似た謎の動物の頭部を持った男神。
特 徴砂漠の神。軍神。ウシルを殺害し、王権を簒奪し、ヘルの宿敵とされた。
出 典

不毛の砂漠を司る神!?

セテク、あるいはセウテクはエジプト神話の不毛の砂漠を司る神。古代ギリシア語の「セト」という名称がよく知られる。セテクは砂漠や嵐、戦争、異邦などを司る。ジャッカルあるいはそれに似た架空の動物の頭部を持った姿で描かれる。この動物が何なのかは謎で、しばしば「セテクの動物」と呼ばれる。王権の象徴であるウアス杖を持つ。

「セテクの動物」って何!?

「セテクの動物」の正体についてはいろいろと議論されている。その特徴的な耳と尖った鼻から、フェネックやオカピ、バクなどが候補に挙げられる。また、近年ではツチブタなども挙がっている。頭部だけ見ると、いずれの動物も「セテクの動物」に似ている。けれども、ヒエログリフに描かれた「セテクの動物」の全体像を見ると、明らかに身体の構造は犬の仲間である。「セテクの動物」はさまざまな動物を組み合わせた架空の動物と考えるのが妥当である。

セテクは戦争を勝利に導く軍神!?

セテクは二面性を持つ複雑な神である。元々は上エジプトのネベトの神で、砂漠の交易ルートの拠点であることから、隊商(キャラバン)を守護し、交易を司る神だった。しかし、砂漠には不毛さと砂嵐の恐ろしさがつきものだ。破壊と暴力の神であり、それと同時に軍神でもあり、軍隊を守護する神でもあった。

この軍神としての側面から、セテクは太陽神ラーが航海するときには船の先頭に立ち、邪悪な大蛇アーペプ(アポピス)と戦い、打ち破った。セテク信仰は次第に勢力を増し、戦争勝利を祈願する王権と結びついていった。

エジプト初期王朝の第2王朝の時代には、上下エジプトで内乱があったとされる。第1王朝では、王は天空神ヘル(ホルス)の化身として、王の名前を記した王名枠(セレク)にヘルを表わすハヤブサが掲げられていた。しかし、ヘルを信仰する下エジプト(ナイル川下流)の勢力と、セテクを信仰する上エジプト(ナイル川上流)の勢力とが争い、ペルイブセン王の時代には、セテク神の勢力が勝ち、王名枠の上には「セテクの動物」が描かれた。続くカセケムイ王の時代に、ヘルが復活したが、セテクの勢力に対する妥協から、王名枠の上には2神が掲げられた。以降、新王国時代まで、王が2神から王権を授与される壁画が多数、残されている。特に第18王朝のトトメス3世などは積極的に海外遠征を行って成功し、これはセテク神の加護があったと信じられた。第19王朝のカデシュの戦いでも、セテク神官団が戦争で大活躍した。第19王朝や第20王朝には、セテクの名を冠した王が現れるほどの人気を誇った。

セテク、ウシルを殺害する!?

死と再生のウシル(オシリス)信仰が台頭してくると、植物の成長を司るウシルと対比され、不毛な砂漠の王とされるようになる。そして、遂にはウシル殺害の神話まで生まれ、ヘルの宿敵とされてしまう。セテクはイウヌゥ(ヘリオポリス)の創世神話に取り込まれると、ウシル、アセト(イシス)ネベトフゥト(ネフティス)とともに、ゲブ(大地)とヌゥト(天空)の子とされた。そして、ネベトフゥトを妻にした。長男のウシルがエジプトの王として君臨すると、セテクは策を巡らしてウシルを殺害し、王権を簒奪した。その後、ウシルの息子のヘルと王位を巡って争い、最終的にヘルに敗れた。このセテクとヘルの戦いは第2王朝時代の勢力争いが反映されたものなのかもしれない。

セテクはヌゥトの脇腹から生まれたとする神話もある。これは、王権を獲得するため、兄ウシルよりも先に生まれようと、ヌゥトの産道を通らずに子宮をつき破ったためである。しかし、それでもウシルより先には生まれることができなかった。

第3中間期にはセテクの悪神としての側面だけが強調されるようになり、像やレリーフなどが破壊された。そして、現在では、すっかり悪神としてのイメージが定着している。

《参考文献》

Last update: 2020/04/25

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