ムーサ

分 類ギリシア神話
名 称 Μοῦσα(ムーサ)【古代ギリシア語】
※ 複数形はΜοῦσαι(ムーサイ)【古代ギリシア語】
Muse(ミューズ)【英語】
容 姿翼をはやし、それぞれを象徴したアイテムを持った姿で描かれる。
特 徴芸術を司る九女神。
出 典ヘーシオドス『テオゴニアー』(前7世紀)ほか

学問と芸術を司る九女神!?

ムーサはギリシア・ローマ神話に登場する学問と芸術を司る女神集団。実のところ、人数や名前はさまざまで一致しない。しかし、古代ギリシアの詩人ヘーシオドスが『テオゴニアー(神統記)』(前7世紀)の中で、9柱の女神の名前を挙げたため、その後、ムーサは9柱の女神というのが最も一般的な形となった。

ヘーシオドスによれば、主神ゼウスはピーエリアの地で、記憶の女神ムネーモシュネーと九夜の間、続けて交わり、人々の苦しみを忘れさせるために、9人の女神たちを生んだという。それが次のような女神である。

名前意味専門分野持ち物
Καλλιόπη(カリオペー)《美声》叙事詩、弁舌書板と鉄筆
Κλειώ(クレイオー)《物語るもの》 歴史巻物、巻物入れ
Εὐτέρπη(エウテルペー)《喜ばすもの》抒情詩笛(アウロス)
Θάλεια(タレイア)《歓声》喜劇喜劇用の仮面、蔦の冠、羊飼いの杖
Μελπομένη(メルポメネー)《歌うこと》悲劇、挽歌悲劇用の仮面、葡萄の冠、靴
Τερψιχόρα(テルプシコラー)《踊りの楽しみ》合唱、舞踊竪琴
Ἐρατώ(エラトー)《愛らしい》独唱歌(独吟叙事詩)竪琴
Πολυμνία(ポリュムニアー)
Πολυυμνία(ポリュヒュムニアー)
《多くの歌》讃歌、雄弁
Οὐρανία(ウーラニアー)《天空の女》天文、占星術杖、コンパス、天球儀、六分儀

カリオペーはムーサの筆頭女神で、神話の中では一番、出番が多い。音楽の神アポッローンとの間に音楽英雄オルペウスをもうけている。メルポメネーは河神アケローオスとの間にセイレーンを生んだとされる。

ムーサ崇拝の一大宗教センターとなっていたのは2か所で、ひとつはトラーキアのピーエリア、もうひとつはボイオーティアのヘリコーン山である。ヘーシオドス『テオゴニアー(神統記)』ではヘリコーン山のムーサたちを讃えるところから叙事詩は始まっている。一方、『仕事と日々』ではピーエリアのムーサたちを讃えるところから叙事詩は始められている。ムーサを崇拝する団体が学校にあったことから、ムーサの神殿であるムーセイオンは教育機関、研究機関の名前となった。これが現在のmuseum(ミュージアム)《美術館、博物館》の語源になっているまた、music(ミュージック)《音楽》もムーサに起源を持つ。

ムーサ、ヘーシオドスに歌を教える!?

詩人のヘーシオドスは『テオゴニアー』の冒頭をムーサたちの呼びかけから始めている。

Μουσάων Ἑλικωνιάδων ἀρχώμεθ᾽ ἀείδειν,
αἵθ᾽ Ἑλικῶνος ἔχουσιν ὄρος μέγα τε ζάθεόν τε,
καί τε περὶ κρήνην ἰοειδέα πόσσ᾽ ἁπαλοῖσιν
ὀρχεῦνται καὶ βωμὸν ἐρισθενέος Κρονίωνος.
καί τε λοεσσάμεναι τέρενα χρόα Περμησσοῖο
ἢ Ἵππου κρήνης ἢ Ὀλμειοῦ ζαθέοιο
ἀκροτάτῳ Ἑλικῶνι χοροὺς ἐνεποιήσαντο,
καλούς, ἱμερόεντας, ἐπερρώσαντο δὲ ποσσίν.

まずはヘリコーン山のムーサたちのことから歌い始めよう、
(彼女たちは)高く聖なるヘリコーン山を支配しており、
穏やかな足取りで、スミレ色の泉や
クロノスの偉大なる息子(ゼウス)の祭壇の周りを踊る。
柔らかな肌をペルメーッソス川や
ウマの泉(ヒッポクレーネー)、聖なるオルメイオス川で洗い清め
ヘリコーン山の頂きで優雅に愛らしく、
それでいて力を込めた足取りで踊るのである。

(ヘーシオドス『テオゴニアー』より1-4行目)

物語の始まりをムーサから始めるのは当時の詩人たちの常套手段で、ヘーシオドスの『テオゴニアー』だけではなく、ホメーロスの『イーリアス』や『オデュッセイア』でも、同様に冒頭はムーサを讃えて物語を始めている。ヘリコーン山はボイオーティアにある標高1,749メートルの山で、アガニッペーとヒッポクレーネーという2つの泉がムーサたちのために祀られていた。ペルメーッソス川とオルメイオス川はヘリコーン山に水源を持つ河川である。

その後、『テオゴニアー』では、ムーサたちはゼウスやヘーラー、アテーナーなどの神々を讃えながら夜の山道を降り、山麓でヒツジの世話をしていたヘーシオドスの前に現れる。

αἵ νύ ποθ᾽ Ἡσίοδον καλὴν ἐδίδαξαν ἀοιδήν,
ἄρνας ποιμαίνονθ᾽ Ἑλικῶνος ὕπο ζαθέοιο.

まさにそのとき、彼女(ムーサ)たちがこの私、ヘーシオドスに美しい歌を教えたのだ
聖なるヘリコーン山の麓でヒツジの世話をしていた私に。

(ヘーシオドス『テオゴニアー』より22-23行目)

ヘーシオドスによれば、ムーサたちは直接、詩人ヘーシオドスに歌を教えたようだ。興味深いのは、次のムーサたちの台詞である。

"ἴδμεν ψεύδεα πολλὰ λέγειν ἐτύμοισιν ὁμοῖα,
ἴδμεν δ᾽ εὖτ᾽ ἐθέλωμεν ἀληθέα γηρύσασθαι."

「私たちはたくさんの正しく見える偽りを話すことができるが、
その気になれば、私たちは真実を述べることもできるのです」

(ヘーシオドス『テオゴニアー』より27-28行目)

ムーサたちは『正しく見える偽り』と『真実』を明確に区別している。そして、若い月桂樹の枝を折ってヘーシオドスに杖として授け、神の声を吹き込む。こうして、ヘーシオドスは「過去に起こった出来事」や「これから起こる出来事」を歌う役割をムーサたちから与えられた存在として、神話を語り始めるのである。

ちなみに、ここで言う『真実』は、その後のギリシア哲学でも重要になるἀλήθεια(アレーテイア)である。ヘーシオドスは「他の人が何を言おうが、『正しく見える偽り』で、ムーサに歌を教わった自分の言っていることが『真実』だ」と主張しているのである。

《参考文献》

Last update: 2023/08/20

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