マルドゥク

分 類メソポタミア神話
名 称 𒀭𒀫𒌓damar-utu〕(マルドゥク)《太陽の牛》【シュメル語】
※楔形文字の表示には対応フォント(Noto Sans Cuneiformなど)が必要です。
容 姿4つの目、4つの耳を持つ。鋤に似た武器を持つ。
特 徴バビロン市の守護神。バビロニアの国家神。女神ティアマトを退治して最高神になる。
出 典『エヌマ・エリシュ』(紀元前18世紀頃)ほか

バビロンのマイナな神からメソポタミアの最高神へ!?

マルドゥクはバビロン市(バビル)の守護神である。バビロン市の発展に伴ってバビロニアの国家神になり、メソポタミア神話の最高神の地位に昇格した。

マルドゥクはエア(エンキ)とダナキムの息子とされ、エンキ神の息子で呪術神のアサルルヒ神と同一視されて、呪術神として崇拝された。バビロニアの創世神話とされる『エヌマ・エリシュ』の中ではティアマト女神や彼女が生み出した11匹の魔物を退治し、この世界を創造した英雄神として描かれる。マルドゥクは神々の中で最も容姿がよく、背も高く、神性も他の神々の2倍持っていた。その表れとして4つの目と4つの耳を持ち、何事も見逃さず、聞き逃さないとされ、唇からは炎が噴き出したという。しかし、図像で描かれるマルドゥクは普通の人間の姿をしているので、目や耳が4つという表現はマルドゥクの凄さを演出する形容表現なのかもしれない。しばしば随獣としてムシュフシュ(蛇竜)を引き連れた姿で描かれる。

古き神々の軍勢を降して神々の王になる!?

『エヌマ・エリシュ』は、バビロンの祭司たちがバビロン市とマルドゥク神の正当性を主張するためだけに、マルドゥク神が神々の王としての地位を獲得するまでを描いた物語である。この神話の中では、世界はアプスー神(淡水)とティアマト女神(塩水)を原初神としている。そして、彼らからラフム神とラハム女神が生まれ、この夫婦からアンシャル神とキシャル女神が生まれ、そして、このアンシャルとキシャルから天空神アヌ(アン)が生まれたと説明されている。そしてアヌ神からエア(エンキ)を含めた若い神々が誕生した。若い神々が連日、バカ騒ぎをするため、アプスーは昼も落ち着けず、夜も眠れず、遂には腹を立てて、彼らを滅ぼしてしまおうと画策する。これを察知したエア神は得意の呪術でアプスーを眠らせて能力を奪い、彼を殺害する。アプスーの妻であったティアマトが若い神々を滅ぼそうとし、ティアマトは11匹の怪物を生み出し、自分の子供たちの中からキングーを選び出し、彼を自分の軍勢の司令官に指名して、運命のタブレットを与え、世界の王にする。若き神々が尻込みする中、マルドゥクは果敢にも彼らと対峙し、マルドゥクは11匹の怪物を倒し、キングーを殺して運命のタブレットを奪うと、ティアマト女神をも倒して、彼女の身体からこの世界を創造する。若き神々はマルドゥクに感謝して、マルドゥクを神々の王として選ぶ。

マルドゥク神は呪術神か、豊穣神か!?

マルドゥクの本来の機能はよく分からないが、古バビロニア期にはすでに呪術(そして医術)と結びつけられていて、シュメルの呪術神であるアサルルヒ神と同一視された。元々、マルドゥク神に呪術神としての性質があってアサルルヒ神と習合したのか、エリドゥ系統のエンキ神と強く結びつけるために、エンキ神の息子であるアサルルヒ神と習合したのか、その因果関係は分からない。いずれにしても、マルドゥクはアサルルヒ神と同一視され、エア(エンキ)とダナキム(ニンフルサグ)の子として、呪術神として信仰され、最高神とされた後でも、多くの呪術的なテキストの中で言及されている。

マルドゥクの楔形文字をシュメル語で解釈すると《太陽の牛》あるいは《太陽神の牛》という意味になる。また、彼は鋤に似た武器を持った姿で描かれる。このため、古い時代には植物神や豊穣神であった可能性もあるが、太陽神ウトゥと結びつくような神話は残存せず、むしろ水神エンキと結びつけられ、呪術神としての側面が強い。

エンリル神の王権授与も引き継ぐ!?

マルドゥクは「50の名を持つ神」とされ、『エヌマ・エリシュ』には実際に50個の名前が挙げられている。「50」というのは元々はメソポタミアの最高神エンリルを象徴する数字である。「50」と結びつけることで、エンリルと強く結び付けられている。こうして『エヌマ・エリシュ』の中で、エンリルは最高神の立場をマルドゥクに奪われた格好になっている。

マルドゥクとエンリルとの交代劇は、すでにバビロン第1王朝のハンムラビ王(紀元前18世紀)の『ハンムラビ法典』(「目には目を、歯には歯を」で有名)にも表れていて、ハンムラビ王は序文の中で「アヌとエンリルがマルドゥクに全人類のエンリル権を与えることを決めた」と言及している。

エンリルから最高神の座を奪ったマルドゥクは王権授与の権利を引き継いだ。バビロンの王は即位のときには、マルドゥクの神像の手を掴むことで王としての正当性を得た。また、毎年、バビロンでは新年祭が行われ、12日間の儀式の9日目に王はマルドゥク神像の手を掴んで、王権の正当性を主張した。

バベルの塔はマルドゥクの聖塔!?

信仰の場所は主にバビロン市で、マルドゥクの神殿は「エサギル(天井が上がる家)」と呼ばれた。また、神殿の脇には「エテメンアンキ(天と地の基礎の家)」と呼ばれるジッグラト(聖塔)が建てられた。この聖塔は『旧約聖書』の「バベルの塔」のモデルと考えられている。

息子と二頭体制で神々を統治!?

マルドゥクはボルシッパ市の守護神であったナブー神とも結びつけられた。初期にはナブー神はマルドゥクの宰相として活躍したが、やがてマルドゥクの息子であると考えられるようになり、後期には神々の王として、マルドゥクとナブーの二頭体制として信仰された。

Last update: 2019/07/12

サイト内検索