貓鬼(マオグゥイ)

分 類中国伝承
名 称 貓鬼〔māoguǐ〕(マオグゥイ)【中国語】
猫鬼(ビョウキ)【日本語】
容 姿猫の霊。
特 徴貓鬼を祀る術者によって使役される。人にとり憑いて殺し、その財産を奪う。
出 典『隋書』(7世紀),『北史』(7世紀)ほか

人を呪うための恐ろしき蠱術!?

古代中国には、蠱毒という、虫を用いた呪術があった。この呪術を使う術者は蠱主と呼ばれ、人を呪い殺すために、イナゴなどの昆虫や蜘蛛、ムカデ、サソリ、蛇、トカゲ、カエルなどを特殊な環境下で育てた。広義の意味では、猫や犬、狐などの小動物も蠱毒に含まれる。一説によれば、これらの虫(小動物)をひとつの器の中に放り込んで殺し合いをさせ、そして最後まで生き残った生命力の強いものが蠱毒になるのだという。そして蠱主はこの蠱毒を使役し、人にとり憑かせて呪い殺すのである。蠱毒の中でも最も恐ろしいとされたのが猫を使役するものだったという。

古代中国では、死後の人間の幽霊のことを鬼(グゥイ)に呼んだが、猫も、死ぬと猫の鬼(グゥイ)になる。それが貓鬼(マオグゥイ)である。蠱主は貓鬼を使役するため、わざわざ猫を殺して貓鬼にしたという。貓鬼は人にとり憑いて殺す。しかも殺した人の家から財産を密かに盗んでくる。従って、貓鬼を祀る家は、徐々に裕福になっていくのである。貓鬼は内臓を喰い破るため、貓鬼に憑かれた人は腹が切り裂かれるように痛むという。

隋王朝時代に流行した貓鬼!?

貓鬼の使役は6世紀から7世紀の隋王朝の時代に大流行したといい、独孤陀という人物が貓鬼を使役して皇后らを呪った事件は『隋書』や『北史』にも記述されている。

隋王朝の初代皇帝である楊堅には、独孤伽羅という皇后がいたが、独孤陀はその異母弟で延州刺史だった。彼は蠱毒などの邪悪な妖術を好む人物だったようだ。陀の母方の家系は貓鬼を祀る家系で、これまでも貓鬼によって多くの人が呪い殺されたという噂は流れており、訴えも出ていた。しかし、皇帝は信じていなかった。しかし、あるとき、独孤皇后と楊素(皇帝の家臣)の妻の鄭氏が病気にかかった。診断した医者は、貓鬼の病だとした。陀は皇后の異母弟であり、陀の妻は鄭氏の異母妹だったので、皇帝は怪しみ、高潁に調べさせた。すると、陀の家が貓鬼を祀っていたことが分かったのである。

これを受けて、楊堅は貓鬼や蠱毒、厭魅(藁人形に代表されるようなヒトガタを用いた呪術)の類いを厳しく禁じ、それらを使う一族は四代まで投獄するとの命令を下している。それ以降も、貓鬼を使役する人間は絶たず、後の隋の皇帝たちも貓鬼を祀る家を何度も摘発し、一説では数千家族が投獄されたという。それだけ、貓鬼の呪いは効果覿面(こうかてきめん)だったのである。

《参考文献》

Last update: 2011/05/23

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