青空の極限

「少年」
 突然、悠季先輩が口を開いた。
「昨日の女の子、あれってキミの彼女?」
「な、何言ってるんすか」
 ボクは慌てて首を横に振った。
「アハハ。そんなにテレなくても良いゾ」
 先輩は笑った。悠季先輩とボクは、よくこうして屋上で時間を潰す。
「本当に違いますって。ボクが好きなのは悠季先輩なんですから……」
「なかなかかわいい娘(こ)だったじゃないの」
 先輩は胸ポケットからマイルドセブンを取り出して、そいつを咥えた。
「ボクは先輩のこと、マジで好きです」
「ふぅん」
 風が屋上を通り過ぎ、煙草の匂いが空に拡散していった。
「キミさぁ、憧れと恋愛感情を一緒にしたらダメだよ」
 先輩は素っ気なく言った。
「憧れ?」
 ボクは繰り返す。
「キミみたいな少年にとって、私みたいのはカッコいいお姉さんかもしれない。でも、それってただの憧れだよ、きっと」
 先輩はそう言うと、立ち上がって屋上のフェンスを跳び越えた。
「少年、キミは授業出なくていいの?」
「ボクにも煙草、下さい」
「ダーメ」
 先輩は手をひらひらと振って、屋上の端っこを歩いていった。慌ててボクもフェンスによじのぼって屋上の端に降りる。思わず下を見て、足がすくんだ。
「アハハ」
 先輩は笑いながら両手でバランスをとって歩いていく。ボクも後を追った。
「あっぶないゾー、少年」
 先輩が笑った。ボクは少し深呼吸する。もう怖くはない。ボクは前に歩き出す。
「先輩っ!」
 先輩がすぐそこを歩いている。
「ボクのこと、少年って呼ぶの、止めてもらえませんか?」
 ボクは真っ直ぐ先輩を見た。先輩は空を見上げていた。一歩でも足を踏み外したら真っ逆さまに落っこちて死ぬ。そこはそういう場所だった。
 ボクは一歩前に足を踏み出した。手を伸ばしたら、もう先輩に手が届く距離だった。
「もし、ボクの手が先輩を押したら、先輩、どうします?」
 ボクは訊いた。何故か、時の流れが緩慢になった気がした。
「ん?」
 先輩が振り返った。立場は完全に逆転していた。
「もし、ボクが先輩のことを……」
「押さないよ。キミは押さない」
 先輩がはっきりと言った。ボクは先輩を見た。二人とも動かなかった。先輩のスカートが風になびく。そのとき、ボクはやっと自分が息をするのを忘れていたことに気がついた。