流線型というフォルム

 神様は不公平だと思う。どうして特別な人間なんてものを作るんだろう。眼前にはまるでウルトラマンに登場するようなゴツゴツとして巨大な怪物がいて。眞田彩歌は宙を舞った。怪物の吐き出した光線に吹き飛ばされたのだ。くるくると風景が回る。着地に失敗してしたたか頭をぶつける。それでも彼は彼女を気遣う様子もなく光線を吐き出し続ける。後ろで何か建築物の崩れる大きな音がした。もはや辺りは瓦礫の山だった。
「何やってるんだ、彩歌。このままでは街は壊滅状態だぞ。これ以上、そいつをセントラルに侵入させてはダメだ!」
 耳元についたスピーカから権堂栄一の声が聞こえる。勝手なことを言ってくれる。安全な司令室で偉そうに踏ん反り返っている優男の姿を想像する。戦っているのは彩歌なのだ。そんな司令室の都合なんかを思いやれるだけの余裕なんてないのだ。
「うるさーい!! 大体、何なのよ、こいつ。今までのヤツと違って強すぎる」
 マイクに向かって大声で怒鳴る。
「敵だ」
 権堂が言い切った。
 敵。それはこの地球に襲いかかって来る正体不明の生命体であった。怪獣と呼ぶのが相応しい。大抵のヤツらは全長数10メートルほど。腕1つでビルディングを壊滅させてしまえる怪力の持ち主だ。目的も数も不明。もしヤツらの目的が分かれば解決方法も分かるだろう。もし敵の数が分かれば、この戦いの終わりも見えてくる。でも、何も分からない現状では、この戦いに一体どれだけの時間がかかるのか見当もつかなかった。途方もない話である。終わりのないマラソンを走っているのではないか。彩歌はときどき思う。このまま走り続けても、ゴールラインを定義する白いテープはないのではないか。そう思うたびに走るのを止めたくなる。このまま、棄権してしまおうかと思う。けれど世界はそれを許してはくれないのだった。
 彩歌は特異体質だった。変身すると手からビームが出せる。バカみたいな話だけれど、彼女はそういう体質の人間だった。変身方法はいたって簡単。ただ腕を胸の前でばってんにクロスさせて「変身!」と叫ぶだけだ。身も蓋もない科学者も真っ青なお話である。理論も理屈も通り越して、もはやギャグの世界。超絶的なまでにナンセンス。ナンセンスにしてシュールレアリスム。過去、幾人もの科学者が彼女の身体を研究したいと申し出てきた。でも、その度に人権団体が現れて「ダメだダメだ」を繰り返す。彼女自体、この体質を改善したいわけだから、むしろ研究してもらいたいぐらいなのに。
「そもそも質量保存が崩れ去るはずがないんだ」
 ある科学者は言った。
「何で彼女は変身すると10メートル級のサイズになれるんだ?」
 そうなのだ。彩歌は変身すると12メートル32センチ5ミリまで大きくなれる。ちゃんと測定済み。しかもウルトラマンみたいに銀ぴかで怪しげな服を着ているわけではない。外見はデフォルトの眞田彩歌の姿。そのままに等比拡大したような感じ。
「それよりも、どうして巨大化した際に洋服までもが一緒に大きくなってしまうのかを議論すべきだ」
 別の科学者が言った。
「そもそもどういうメカニズムで人間の腕からビームが出せるというんだ!」
 神様は不公平だ。彼女だけが特別なのだ。まるで彩歌は正義の「ヒーロー」として怪獣と戦うために生まれて来たようなものだ。そして、世界としては何とも都合のいい展開で、彩歌としては最悪の展開。まさに今、この時代に、怪獣たちがたくさん地球に攻めて来ていたのだった。
「君こそ救世主なんだ!」
 権堂司令官はそう言った。
「何という僥倖だろう。この世界は天に見放されてはいない! 君がその証拠だよ!!」
 彼は彩歌の腕を掴むと上に、下に、ぶんぶんと振って喜んだ。
 だけど、私は戦いたくないんだよ。何度心の中でそう思っただろう。今まで何度も戦って、その度に何とか勝ってきた。でも、いつだってギリギリだった。1つ間違えたら大怪我で、2つ間違えたらお陀仏。彩歌は何度恐怖で足が震えたことだろう。変身して、大きくなって、手からビームが出たって、恐怖心までなくなってしまうわけじゃない。彼女は彼女のまんま。痛みも苦しみも等身大の眞田彩歌17歳なのだ。
「医者は目の前に傷ついて苦しんでいる人間がいたら、治療しなければならない。そうだろう?」
 権堂は言った。
「私は世界を救うことができない。無力だからね。でも、君は世界を救えるんだ。救うだけの才能を持っている。それなのに嫌だ、なんて。そんな傲慢なことは言わないでくれ」
 権堂の言わんとしていることは頭ではよく分かる。でも、そんな理屈ってあるだろうか。半ば強制的に彼女は変身させられ、そして、怪物どもと対峙させられる。
 やっぱり神様は不公平だ。そもそも公平って何だろう。
 大体、怪獣だって、最期には悲鳴を上げる。逃げることで一生懸命なちっぽけなその他大勢の人間たちにも、司令室ででん、と構えている権堂にも聞こえないかも知れない。けれど、彼らだって死に際には一際大きな悲鳴を上げる。彼らの顔には恐怖さえ浮かぶのだ。彩歌はいつだって、そんな怪物どもの悲鳴を聞いてきた。彼らの命を絶ってきた。何が正しくて、何が間違っているのか。そんな感覚は最初の数匹と戦っているときだけ。今ではとうにどこかへ消えてしまった。感覚が麻痺しているのだ。37匹。彼女が殺してきた怪物の数だ。そして、彼が38匹目。
「ウギョギョギョギョーーーー!」
 岩みたいな彼は奇声を発する。彩歌の隣りで7階建てビルディングが粉砕した。
「彩歌!」
 権堂の声。
「うるさーい。分かってるからちょっと黙ってて!」
 彼女は両の手を突き出す。そして精神集中。手にエナジィが充填されていくのが分かる。彼女は「何ちゃらビーム!!」とか、そんな掛け声を上げたりはしない。そんな恥かしいこと、17歳にもなってできるわけがない。彼女はいつだって、黙ってビームを放つ。
 狙いを定めて、エナジィ放出。それは轟音とともに怪物に向かっていき、見事に怪物に命中した。岩みたいな彼は身体中から紫色の血を噴き出しながら30メートルぐらい吹っ飛んだ。そしてまっ逆さまに海に落っこちていく。彩歌はそのまま海に向かって両の手を突き出した。ダメだしのもう1発だ。再び、エナジィ充填。
「ピギャギャーーーー!!」
 岩みたいな彼は立ち上がる。目がギラギラと光った。怒りなのか、悲しみなのか、恐怖なのか。彩歌は一瞬、彼の感情をはかりかねて手を止める。
「ねぇ、君。君たちの目的は何? 何処からやってきて、どうして街を破壊するの?」
「ギュルギュギューーー!!!」
 聞いたところで詮無きこと。所詮、彼らは口を利けない。彩歌は下唇を噛んだ。
「ゴメンね……」
 黄色い光線が彩歌の両の手からほとばしり、海面がもみくちゃに揺れた。5メートルほどの水柱。きらきらと水飛沫が舞った。
 全てが一段落した頃には、そこに1つの死体が残された。海上で、岩みたいな彼はうつ伏せになって浮かんでいた。
 彩歌はそのまま1時間、ぼぅっと瓦礫の中に佇んでいた。何故なら一度変身してしまうと元に戻るまで1時間程度かかるのだ。彼女はそういう体質だから。海からの風が彼女の髪をさらさらと撫でていく。遠くでウミネコの声が聞こえた。
 これが、彼女の日常だった。神様は不公平だ。どうして私だけがこんな体質を持って生まれてしまったのか。雲がゆるゆると流れていく。
「ゴメンね……」
 空を見上げて彼女は呟いた。

 * * *

 そもそもの最初の動機は何だっただろう。彼は目を閉じる。そもそも、自分は何がしたかったのか。そう。多分、空に憧れたのだ、と思う。青い空に吸い込まれるような感覚。空が飛びたかったのかも知れない。昔の自分は純粋だ。そんな動機でがむしゃらになれてしまう。
 神様は不公平だ。どうして鳥は自由に空を飛べるのに、人間はこうやって地面を這いつくばって生きているのだろう。彼は大空を見上げる。白い雲がゆるゆると流れ、電線がぶらぶらと揺れ、鳥が隊列を組んで東に飛んでいった。
 彼は鳥が好きだ。飛行機も好きだ。いつまでだって、空を見上げて飛ぶ鳥や飛行機を眺められる。でも昆虫は嫌いだった。ヘリコプターも嫌いだ。どうしてだろう。きっと、せわしなく飛ぶイメーヂは彼の望むものではないのだ。滑空こそが、彼の求めるイメーヂだったのかも知れない。
 最初はオモチャの飛行機だった。母親が買ってくれたのだろうか。そういう些細な部分は覚えていない。プロペラのついた真っ赤なペイントの飛行機だった。アルミ製で、まだ幼かった彼にとって、それはかなりの重量だった。何故か手に残る重さだけははっきりと覚えている。彼はオモチャの飛行機を手にした瞬間、何てキレイな形だろう、と思った。彼はその流線型のフォルムを指で何度も何度もなぞった。すごく自然な流れだと思った。彼はそれをオモチャ箱の中に大事にしまっておくことにした。
 でも、ある日、とうとうそれを持ち出して、外に出た。彼はそれを空に翳してみる。青い空に、真っ赤なフォルムが妙に映えた。急に、大空に向かって放ってみたい欲求にかられた。彼は思い切り、それを空に向かって放つ。それは彼の手を離れるとまっ逆さま。地面に向かって墜落して、アスファルトに激突してプロペラはぐにゃりと曲がった。キレイなフォルムは失われ、変形した金属はどうやっても元には戻らなかった。
 次は模型飛行機だった。バルサ材を加工して、本に書いてある通りに作ってみたのだ。今度は比較的うまく行った。彼の手を離れたバルサの模型飛行機は風に乗ってゆるゆると10メートル飛んだ。オモチャの飛行機のようなキレイなフォルムを再現することは難しかったけれど。彼の指の感覚はそのフォルムを確かに覚えていて、何度も何度も削って作ったのだ。けれど、何度目かのフライトの末、それは強風に煽られて木の上に引っ掛かった。そして、二度と彼の手元には戻って来なかった。
 ある日、彼はパイロットになろう、と思った。パイロットになれば空を飛べる。彼はそう思ってがむしゃらに勉強した。でも、視力検査で引っ掛かって、結局、彼はパイロットにはなれなかったのだ。神様は不公平だ。どうして僕に充分な視力を与えてくれなかったんだろう。彼はまた空を見上げた。ジャンボ・ジェットが大空をまっすぐに突っ切っていった。
 そうだ。飛行機を作ろう。本物の飛行機だ。彼はエンジニアになることを決めた。彼の作った飛行機が、いつか自由に大空を飛ぶ日が来る。それで僕は満足だ。僕は満足するんだ。
 今の自分はそうやって形作られたのだ。彼は飛行機の図面を見て微笑んだ。今度、彼が設計した飛行機が空を飛ぶ。これはその設計図である。小型機である。彼が最初に手にした赤いプロペラ機とは違う。バルサで作った二枚翼の戦闘機でもない。真っ白い色をしたセスナ機だ。でも、彼は満足気に図面を眺めていた。図面に描かれた機体の流線型を、指の先でそっとなぞる。キレイなフォルム。このフォルムが合理的な式計算によって求められるのだ、と知った瞬間の電流のような感覚を思い出す。幸せだ、と彼は思った。
 ふ、とテレビに目を転じた。音量はゼロだ。彼は雑音が嫌いだから。でも、彼の目はテレビに釘付けになる。画面に吸い寄せられる。そこには巨大な少女が映っていた。巨大な少女は空を飛んでいた。一見すると気持ち良さそうな映像。けれども、何故か少女の顔は青褪めていた。
 変な番組だな、戦隊ものだろうか。そう思って時計を見て、彼はそれが昼のニュースであることに気づく。レポーターが現れて、慌てて彼女を追いかけていた。映像はぐらぐらと揺れて焦点が合わなくなる。胸がどきどきして、彼は急いでリモコンを探す。机の上。そして彼は思い切り、テレビのヴォリュームを上げた。
「…んです。か、彼女は巨大化できるだけでなく、そ、そ、空までも飛べるようです。い、今、街中はパニックです。た、大変な騒ぎになってます!!」
 ナンダコレハ?
「は、はい、スタジオです。森脇さん、これは一体……」
「と、と、突然変異ですよ。彼女は突然変異体なんです。何てことだ。人類も、このままではいられない。おそらく突然変異。そ、それしか考えられない。でも……」
「あ、あまりの出来事にスタジオもこ、混乱していますが…」
「あ、情報が入って来ました。彼女は……14歳? ちゅ、中学生?」
「は、浜田さん、浜田さん。そちらの状況を……」
 映像が切り替わって、カメラが少女を大映しにする。
 ナンナンダコレハ?
「しょ、少女は現在、文京区の上空を飛んでおります。きょ、巨大です! 10メートルほどでしょうか」
 彼は設計図に目を落とす。真っ白いセスナ機の設計図。キレイな流線型。テレビに目を移すと、ブラウン管の向こう、少女が空を飛んでいる。両手を広げて、ふらふらと空を飛んでいる。何てグロテスクなフォルムだ、と思った。空を飛ぶに相応しいキレイなフォルムではない。
 神様は不公平だ。どこまでも、どこまでも、神様は不公平だ。彼は唇を噛んだ。設計図に目を落とす。急に、設計図のフォルムが乱れて見えて、彼は設計図を破り捨てた。

 * * *

 雑踏。スクランブル交差点。高層ビル。
 彼女は音楽を聴いていた。
『GOD SAVE THE QUEEN』
 それはどこまでも鋭利なナイフ。狂おしいほどに純粋なビート。
 ときどき、街角で無性に大声をあげたくなる。溜め込んでいた感情を、想いを、一気に放出したくなる。泣いてしまったら、どんなに楽になるだろうと思う。人間は何て不自由なんだろう。大人になって、泣き方も怒り方も忘れてしまった。大声の出し方すら忘れてしまったんじゃないだろうか。ときどき、ほんのときどきだけれど、眞田彩歌は街の雑踏の中で、耳から流れ込む音楽に吸い込まれそうになる。きっと、それはものすごくプリミティヴな感情。
 ポケットでケータイがバイブして、彼女は一気に現実に引き戻される。
「彩歌、敵だ!」
 権堂の声。全く、感傷の1つにも浸れない。彩歌は舌を鳴らす。それから、ゆっくりと立ち上がる。
「今度はどこよ!」
「上だ。見上げろ。空からの登場だ」
 言われて空を見上げる。彼はそこにいた。ゲゲゲの鬼太郎に登場する一反木綿みたいなヤツ。それが宙に浮遊していた。
「うげげ」
 あまりのグロテスクさに思わず叫ぶ。布みたいな薄っぺらに目が2つ、ちゃんとついているのだから、それはものすごくグロテスクだ。
「気持ち悪っ!」
 彼は赤い両の目から光線を出す。バカみたいなド派手な音で、背の高いビルが1つ吹き飛ぶ。
「彩歌!」
「分かってるから黙ってて!」
 怒鳴りつけてやる。マイクがハウリングを起こす。彼女は両腕をクロスさせ、そして叫ぶ。
「変身!」
 家屋が見る見るうちに小さくなって、彩歌は今や身長12メートル32センチ5ミリの正義の味方だ。
「神様って不公平よね」
 彩歌は髪を後ろに掻き上げると、ゴムでしばる。
「一体、君の目的は何なのさ?」
 イヤホンからはヘタクソなロック。
「君は何をしにこの世界へ降り立つの?」
―― No Future No Future No Future for You♪
「どうして私は正義の味方なのかなぁ?」
 一反木綿がふわふわ、と上昇する。赤い光線が降り注ぐ。悲鳴。逃げ惑う人々。
「私は本当は……」
 彩歌は両手を高く突き出す。エナジィ充填。彼はさらに高度を上げる。ふわふわと揺れて、狙いが定まらない。
「本当は……」
 本当は何がしたいんだろう。太陽光線に目が眩んで目を閉じる。その瞬間、
……ボ…ク…タチ…ハ……
 不意に頭の中に声が響いた。
 誰?
 あぁ、そうか。一反木綿。君なのか。彼女は微笑む。これはテレパシーなんだ。不思議と納得する。
……アナ…タ…ヲ…タオ…スタメ…ニ……
 私を倒すために?
……ソノ…タ…メニ…ウマレ…タ……
 私を倒すために生まれた?
 彼女は思わず腕を下ろす。一瞬で、集中していたエナジィが霧散した。
「私を倒すために生まれたですって?」
「彩歌? どうした?」
 スピーカから権堂の声がした。
……ボ…ク…タチハ…ジッケン…ドウブツ…ダ…カラ……
「彩歌? 何があった?」
 ぐるぐると、空が回ったように思った。
――No Future No Future No Future for You♪
 一反木綿の思考回路が、極彩色の固まりでもって彩歌の思考回路の奥へ、奥へと侵入してくる。彼の出生の理由、意味、動機……全てが彼女の脳髄に入り込んでくる。それは……
「彩歌?」
 権堂の声が遠い。
「ねぇ、権堂。鶏と卵、どちらが先に存在したんだと思う?」
「何を……何を言っているんだ?」
「正義と悪、どっちが先に存在したのかな?」
「……彩歌?」
「ねぇ、権堂」
 空は突き抜けるように青い。どこまでも、青くて、高くて。
「彼らはついに言葉を持ったのよ」
「彼ら?」
「彼が私に教えてくれるの」
 ヘタくそなパンクが残響として、まだ耳に残っている。
……ボク…タチハ……
「最初から」
……ゴンドウ…ノ……
「最初から、あなたが仕組んだことだったのね?」
……ジッケン…ドウブツ…ダ…カラ……
「彩歌、彩歌?」
「あははははは」
 彼女は壊れたように笑った。可笑しくて、可笑しくて堪らない。
「彩歌。まさか、お前、ヤツとコミュニケーションしてるのか?」
 電話越しに、権堂の声が震えた。
「彩歌。奇跡だよ、彩歌。奇跡だ!」
 権堂の上げた歓喜の声が、ノイズとともに聞こえてきた。

 * * *

「つまりね」
 権堂は言った。そこは司令室である。
「僕は君が憎かったんだよ」
 権堂は椅子に座っていて、可笑しそうに彩歌を見上げている。彼の後ろには巨大なモニタがあって、そこには一反木綿の亡骸が映し出されていた。
「君が憎かったから、生命を作り出した」
「生命?」
「そう。だけど、とんだ出来損ないばかりだったよ。何もできない、クズみたいなうすのろ」
 うすのろでも出来損ないでも命を持って誕生したなら、それはちゃんとした生命ではないのか。彼女はモニタを見る。くしゃくしゃに折れ曲がった一反木綿の亡骸。
「進化しろ、成長しろ、強くなれ! 彼らにそうプログラムしたんだ。君を倒すように、遺伝子にプログラムしたんだ」
 彩歌の喉の奥から、感情が溢れそうになる。彼女は歯を噛み締めた。そうしないと、感情を押さえられなくなりそうだったから。泣いてしまいそうだったから。何で自分は泣くのを我慢するのだろうか。分からなかった。
「驚くほどの速さだったよ。最初に彼らは巨大化した」
 彩歌は記憶の底から、怪物たちの記憶を捻り出そうとする。最初の彼。二番目の彼。ダメだ。ほとんど思い出せない。人間の記憶力なんて、全然、ちっぽけで曖昧だ。
「彼らの手からは光線がほとばしるようになった」
 最初に光線を放ったのは誰だったか。覚えていない。ちっとも、覚えていないよ。
「彼らは海を泳ぎ、それから空を飛んだんだ!」
 ねぇ、ゴメンね。私は君たちのこと、ほとんど覚えてないんだ。
「そして、ほら。ついに彼らは言葉を知ったんだよ」
 私が、彼らを殺したんじゃないか。ほら。やっぱり彼らは泣いていたんじゃないか。
「素晴らしいじゃないか。僕の子供たちが言葉を覚えた。まさに奇跡だよ!」
「ねぇ、権堂……」
 涙が頬を伝って、口の中に塩辛い味が広がる。涙が、溢れて止まらなかった。
「権堂。あなたを殺してやりたいわ」
 権堂が笑った。
「まだまだ彼らは進化を続けるよ。そしていつか、この世界を飲み込んでしまうだろう。すでに彼らは人間なんかよりもずっと強大だ。君も、いつかは彼らに倒される日が来るんだ」
 彩歌は目を閉じると、両手を前に突き出す。
「僕を殺すのかい?」
 全身のエナジィが、両の手に集まっていくのが分かった。
「もう、彼らの進化は止まらない。予想以上に早いんだ。僕も、彼らを止められない。このまんま、僕たちは彼らに滅ぼされるのを待つしかないんだ」
 ゆっくりと目を開ける。両手の向こう側に、ちっぽけな一人の男が見えた。
「こんなはずじゃなかったんだ」
 権堂栄一は泣いていた。

 * * *

「彩歌、敵だ!」
 スピーカから男の声が響く。
「うるさーい!! 今から変身するから待て!」
 彩歌は腕をクロスする。
 空はどこまでも青い。突き抜けるように青く、高い。
「敵は全部で3匹だ。気をつけろ」
 その宣言の瞬間、彼の説明の通り、目の前に3匹の怪物が現れる。背中には巨大な翼。まるでドラゴンさながらだ。彼らの進化の速度は確かに上がっている。加速度的な速さだ。
 怪物が口から炎を吐いた。
「彩歌、囲まれたら負けだ!」
 怪物たちに囲まれないように、彩歌は少し後退して体勢を立て直す。
「ねぇ、権堂。いつか、終わりが来るかな?」
 マイクに問い掛ける。
「さぁ。彼らの進化の方が先に君を超えてしまうかも知れない」
 落ち着いた声がスピーカから聞こえてきた。
「あんたが全て悪いんだからね」
「君が勝てばいいんだ」
「それってすっごくシンドイ」
 権堂がスピーカの向こう側で笑った。
「彼らを止められるのは君だけなんだ。世界を救えるのも君だけ。そういう仕掛けになってるんだから」
「全てが終わったら、私はあんたを殺すわ」
 少しだけ、沈黙があった。それから、
「ご自由に。でも、その前に彼らを殲滅しなければならない」
 彩歌は目を閉じる。やるのだ。やらなければならない。絶対に、やりとげてみせる。
 目を開けると、怪物が目の前にいた。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
 眞田彩歌と権堂栄一は今日も彼らと戦う。やっぱり神様は不公平なのだ。