2021年10月8日 fantasyはファンタシィ!?

ボクがウェブサイト運営を始めたのは2003年。大学生活の傍らで創作サイト「ヘタっぴなアルコール蒸留」を立ち上げた。元々、大学の授業の一環でhtmlを学ぶ機会があり、そのまま、ウェブサイトの作成に没頭した。当時の日本では、まだ大手のウェブサイトは少なくて、大学に行けば「昨日の侍魂の記事、見た?」みたいに、ある程度、みんなの中で共通認識になるようなウェブサイトがあった。その後、2004年にサイト内のコンテンツのひとつとして「ファンタジィ事典」の構築に着手した。創作は時間が掛かる。ボクは音楽や絵は量産できないタイプなので、どうしても小説を書く方面に力を入れていたが、それだって、月に1本。それだけではウェブサイトとして成立しないので、日々の雑記で更新頻度を上げつつ、その傍らで、次第に創作活動から神話・伝承に軸足を移していった。そして、2009年に「ファンタジィ事典」を「ヘタっぴなアルコール蒸留」から分離した。2017年に大幅リニューアルを敢行して、現在に至る。

というわけで、実のところ、2004年からウェブサイト「ファンタジィ事典」をやっている。「ファンタジー」ではなく「ファンタジィ」なのは、「y」をカタカナ化するときに何となく「ィ」にすると格好いいと思ったからで、大学生の頃の若気の至りではある。でも、今でもそのまま「ファンタジィ」の表記でやっている。まあ、「ファンタジー事典」では、あまりにも一般名詞っぽいので、「ファンタジィ事典」にすることで、ちょっとした固有名詞感が出てよいかな、とも思っているんだけど、でも、最近のGoogleは賢いので、「ファンタジィ」でも「ファンタジー」でも、ほぼ同じものとして認識しているようで、「ファンタジィ」という表記で差異化を図っても、検索上、何も有利に働かないらしく、ちょっと頭の痛い問題ではある。

さて、本日の本題である。タイトルのとおりだが、英語のfantasyは、実は【ˈfæntəsi】と発音するらしい。つまり、ファンタシである。「ファンタジィ」でも「ファンタジー」でもなく「ファンタシ」だ。そりゃあ、そうか。「s」だもんね。たまたま、ファンタジィという概念について整理していて、本日、発見した。いやはや。ファンタシィか。でも、もはや日本語としては「ファンタジィ」の方が定着してしまっている。

2021年10月21日 牛牛バイトテロについて想いを馳せる

久々のバイトテロに、インターネットは沸いている。それがヒカルご用達の高級焼肉店「牛牛」なのだから、尚更だ。被写体となった女性と撮影した女性の氏名や大学が特定されて掲載されてしまっている(その信憑性は分からない)。その上、撮影した女性の父親の会社まで晒され、被害は拡大している模様だ。

バイトテロはバイトテロとして考えることはたくさんあるし、彼女たちも迂闊だったし、リスク管理ができていなかった。でも、ちょっと気になっていることが2つある。

1つ目は、果たして、被写体となった女性はこの動画がSNSにアップされることを了承していたのだろうか。勿論、仕事中だから、当然、ふざけちゃいけない。でも、たまには羽目を外して仲間内でふざけることもあるし、それを面白がって私的に撮影することを許してしまうことはあり得る。撮影者はその動画をSNSにアップしたが、被写体となった彼女は、どこまでそれを了解していたのだろう。

昨今、我々はSNSにいろんな写真や動画を載せる。被写体が自分だけならば問題ない。でも、当然、そこに居合わせる人々がいる。その掲載許可を、どこまで考えているだろう。ここはよくよく考えなきゃいけない。もしも彼女が何も了解していなければ、完全なる被害者だ。その辺、どうなっているのかがとても気になる。

2つ目は「流出」という表現が使われている点。いつも思うのは「承認済みのフォロワーのみに公開」という設定になっている記事や写真、動画を外部に「流出」させてよいのか、という問題だ。公開している動画に問題があったとしても、「流出」させなければ大事件にはならない。大事件は常に「流出」が引き金になる。「流出」することも想定してリスク管理しておくことは重要だが、「流出」させることも問題だ、という認識が必要だ。コレコレの配信にタレこんだ人物がいるわけだが、その行為も、実は問題じゃないか、と思う。つまり、狭いコミュニティだから安心して公開できることもあって、それは仲間内の井戸端会議から一般公開の記事に至るまで、グラデーションになっている。

世の中、狭いコミュニティだから開示できることもある。たとえば、社内の給湯室に盗聴器をおいておいて「お前、会社の悪口を言っていただろう!」と詰問されると、それはちょっとどうなのかな、と思うように、狭いコミュニティでの発言を「流出」させてバイトテロに仕立て上げてしまうのは、ちょっと違う。つまり、仮に内容に問題があったとしても、これは彼女たちの意図した公開範囲ではないのだ。

そんなわけで、2つの問題に無自覚になってはいけないような気がする。肖像権の問題と、公開範囲外への流出の問題だ。インターネットが普及して、一億総発信時代になった今だからこそ、改めて、情報管理について考えなければいけない。

2021年10月23日 「通知」って、実は「読め!」と同義じゃない!?

SNSを更新しなくなって久しい。facebookだけじゃなくて、インスタもTwitterも、みんな止めてしまった。

基本的には自己開示が好きな性質(たち)なので、頻繁に更新していた時期もあった。自分のウェブサイトで日記を書いていたときには、365日、毎日、何かを発信していたときもあった。記事を書くことそのものは、全然、苦じゃないし、日常で、何か面白いネタを探すことも苦ではない。でも、たとえばfacebookだと、記事をアップすると「友達」にそれが通知される。自分の発信を「読め!」とばかりに押し付けるのは何だか違うよなあ、と思って煩悶する。

そりゃあ、反応があると嬉しい。「いいね!」が押されるだけでも、読んでもらっているという実感が湧く。そういう意味では、SNSは楽チンだ。昔は、読みたい人だけがウェブサイトやblogにアクセスしてくれて、読んでくれていた。だから、工夫しないと人が訪れないし、読んでもらえない。面白いコンテンツをつくらなければいけない。だから必死になって頑張る。多分、そういう発信をしている方が、健全じゃないか、と思う。書けば見てもらえて、反応がある、というのは、楽チンだけど、ちょっと横着だよな、と思う。

それに、わざわざ訪ねてくれた人が好きで見るものだと思えば、気兼ねすることなく書ける。基本的に、読みたいものを読みたい人が読む。それが自然な形だ。だから、こうして、のんびりと書いている。