2019年8月3日 南米の妖怪の本が出た!!

久々に時間に余裕ができたので本屋に行く。たまたま児童書コーナに足を向けたら、『南米妖怪図鑑』が平積みになっている。引き寄せられるように手に取る。7月20日出版だったらしい。まさに出版されたばかり。そのままの勢いで購入した。

中南米の妖怪なんて、あんまり紹介してくれる本がない。著者はアルゼンチンの人らしいから、それなりに情報は信用できるのだろうか。アルゼンチンの作家と言えば、『幻獣辞典』のホルヘ・ルイス・ボルヘスを思い出す。小学校のときに図書館で見つけて、それから新書を本屋で購入した。ちょっと前に文庫本になっていて驚いたけれど、この本には彼が創作した妖怪が混ざっていて、見事、騙された。

いずれにせよ、中南米の妖怪について、こうやって紹介してくれる本は少ない。それを日本人が企画して、日本に在留のアルゼンチン人が書いたというのが面白い。知らない妖怪も多かったので、これから勉強していこうと思う。

2019年8月10日 時代は変わる……恐竜も変わる……

5歳の息子のツクル氏。マクドナルドのハッピーセットが大好物なわけだけれど、最近のハッピーセットは小学館と組んでハッピーセットオリジナルの「小学館の図鑑NEO」のミニ図鑑を出している。単なるオモチャではなくって、こういう教育的なオマケというのは悪くない。そんなわけで、息子がここ最近、恐竜に超ハマっている。奇しくも横須賀で「ヨコスカ恐竜パーク」がやっているので、そのうち連れて行こうと思っていた矢先だったので、その予習としてはちょうどよい感じ。勢いに任せて「小学館の図鑑NEO」も購入して息子に与えた。それを黙々と読んでいてくれるので、楽チンだ。

それにしても、ボクが子供の頃に説明されていた中身とは全ッ然違うことに驚かされた。「恐竜」と言えば、ティラノサウルス、ステゴサウルス、トリケラトプス、プテラノドン、フタバスズキリュウ、イクチオサウルス……と思っていたら、最近の定義では、プテラノドンのような「翼竜」やフタバスズキリュウのような「首長竜」、そしてイクチオサウルスのような「魚竜」は「恐竜」とは別の爬虫類にされている。また、「恐竜」の枠の中に「鳥類」が定義されていて、鳥類は恐竜の生き残り的な位置付けにされている。

研究が進んで、いろいろと分類も変わっていくらしい。しかも、かなり生態も判明しているらしく、恐竜の暮らしぶりが分かってきていることにも驚いた。

子供の本を介して、いろいろなことを学ぶ今日この頃である。

2019年8月11日 LGBTQIA+

言葉は日々、変化していく。知らない間に「ディスる」とか「エモい」という言葉が浸透して、普通に使われるようになった。「GAFA」という語もビジネスシーンで見かける。新しい概念が生まれるたびに、言葉は変化していく。「LGBT」という言葉があったが、今ではその4つの枠にハマらない性も意識されて、もっともっと多様になっているらしい。最終的にどういう言葉に落ち着くのかは分からないけれど、「LGBTQ」とか「LGBTQIA」、あるいは「LGBTQIA+」という語になってきている。カナダでは「LGBTTIQQ2SA」と呼んでいる事例もあるらしい。でも、そういうのは、正直、覚えにくいし、定着しないと思う。

そもそも、それぞれの事象に次々に名前をつけて細分化していったら、微に入り細に行って非常に難解になるような気がする。「LGBTの4つです」という定義の仕方そのものが誤りのような気がする。多様な性を認めよう、という広い定義にしておけばよかったのかもしれない。人はそれぞれで、多様なのだから、多様だ、というだけの定義でよかったのだ。

時代が変わって、新しい概念が生まれれば、新しい言葉が生まれる。でも、無理矢理に捻り出した言葉は、多分、定着しないのではないか、と思う。「LGBT」は語呂がいい。「LGBTQ」も、まあ、悪くはない。でも、それ以上に長くなると、何だかちょっと違うような気もする。その言葉の意味する多様性は否定しないが、言葉としての在り方に対しては、ボクは懐疑的だ。

2019年8月12日 N国党が暴れている……

政治的な発言をする意図はないが、ここのところ、N国党が大暴れだ。「NHKをぶっ壊す!」をスローガンにしていたが、今度は「マツコをぶっ壊す!」に切り替えて、メディアを駆使してマツコ・デラックスを口撃している。「ふざけて(票を)入れている人も相当数いる」という一部分を切り取って、「有権者をバカにした」と煽情的に叩かれ、一部では、多少、マツコ・デラックスの印象が悪くなったのではないか、と思うから、彼の口撃は成功しているのではないか。

正直、立花さんって政見放送にしても、今回の動き方にしても、メディア戦略がうまい。視聴者を盛り上げていく。悪い言い方をすれば、厚顔無恥で、手段を選ばないからこそ出来る戦略とも言える。こういうのと戦っていかなきゃいけない他の政党やメディアも、大変だなあ、と思う。インターネットが生まれ、SNS、YouTubeが生まれて、みんなが発信者になった。これまでみたいに紳士協定的にやってくれるわけではなく、こういうあざといこともやってくる発信者も登場する。そして、その方が面白く見えるときだってあるだろう。

ある意味では、NGT48の事件でも、吉本騒動でも同じで、メディアの中で大衆の心を捕まえ損なうとダメージを負う。我々は、まさにメディアを使った弱肉強食の世界にいる。そう割り切って、メディアをガンガン活用しながら、視聴者を煽りながらひた走るN国党のやり方は、まさに現代の政党なのだなあ、と思う。いい悪いではなくって、そういう時代だからこそ、我々は気を引き締め、メディアに踊らされないようにしなきゃいけないな、と思う。

ちなみに、ボク個人的には、NHKの教育チャンネルは大好きだし、このまま視聴率を気にせずにクオリティの高いものを作ってもらえればいいなあ、と思っている。一方で、大河ドラマにしろ朝ドラにしろ紅白歌合戦にしろ、ちょっと視聴率に振り回さ過ぎじゃないか、と思う。今回の大河ドラマの視聴率が振るわないという点で、いろいろと叩かれているが、本来、スポンサーがいるわけじゃないので、視聴率なんてどうでもいいはずだ。それに、有名人を駆使して、民放でも視聴率が取れそうな番組をつくって、それって民業圧迫じゃないか、とも思ったりする。民放がやって採算がとれるだろう分野はNHKがやる必要はない。そして、これだけネットやメディアが発達してきて、各人がいろいろな手段で情報を得られるようになった今、実は公共放送って何なのかという点を改めて議論すべきだろう、と思う。

総務大臣が「政見放送」と「災害情報」を挙げて公共放送の必要性を訴えていたが、どちらも、ちょっと考えれば代替手段がたくさん出てきそうだから、NHKだけの専売特許ではないし、NHKが担保しなくちゃ成り立たないものでもないような気がする。もっともっとNHKは公共放送とは何か、という議論をして、民放とのデマケーション、他のメディアとのデマケーションを考える。そういう時期に来ているのだろうな、とは思っている。