2020年3月4日 緩やかな他殺

椎名林檎がライブを敢行してバッシングされている。25日の雑記に書いたとおり、ドミノ倒し的に社会全体がイベント強行をバッシングする流れになった。まあ、予想どおり。そして、何故だかYOSHIKIがイベント団体にイベント中止を呼び掛けるという慈善事業に精を出している。この活動で特段、彼の株が上がるわけではないので、自己犠牲の精神だろう。ボクはどちらもファンなので、少々、複雑で、ざわざわした波紋を投げかけている。椎名林檎かYOSHIKIかという取捨選択のゲームに身を投じてしまっている点で、やっぱり彼にとってはあんまり得はないのに、と感じる。それでも、わざわざツイートしたかったのだろう。

ただ、ボクはひとつだけ、投げかけをしたい。誰しもが社会に貢献すべきだけれど、でも、損得勘定を度外視して実施することではない、という点だ。椎名林檎がどうしてライブを敢行したのかは分からない。「この流れに身を任せてはいけない」という彼女の信念に基づくものなのかもしれないし、炎上商法であるかもしれない。でも、一番あり得るのは、彼女が会社の経営者として損得勘定を計算して判断したというところだ。もしそうだとしたら、ライブイベントで生計を立てる多くの関係者を抱えているし、会社の経営状況だって考える必要がある。赤字覚悟で社会貢献をしろ、とボクたちが彼女に自己犠牲を強いるのは間違っている。

彼女に自己犠牲を強いて彼女のライブの強行をバッシングする人間は、自分の生活と仕事を放棄するだけの覚悟が必要だ。自分だけはちゃんと会社に通って、ちゃんとお給料をもらっていて、安全な立場に立ったまんまで、外野として彼女をバッシングすることは許されない。1万人が参加するほどの規模の大きいイベントだから、確かに影響は大きい。でも、だからと言って彼女の会社が赤字になってもよいということではないし、それで彼女が路頭に迷ってもよいということではない。それをフォローするシステムの構築が先だ。クラウドファンディングで顧客にヘルプを求めればよいという意見もあるけれど、全てのアーティストが同じ手を使ったら、結局、ファンは全てのアーティストを救えないわけで、そんなのは理想論だ。うまく立ち回って助かるアーティストが出るというだけの話で、根本的な解決にはならない。ディズニーランドが閉園しているじゃないかとか、スポーツジムが休館しているじゃないかという意見もある。でも、赤字で倒産するという事態になっても、それでも彼らが閉園のまま、休館のままでいることを強いることはできない。終わりが見えない中で、いつか疲弊して、倒産するか、開業するかの選択肢を強いられる。結局、事態は同じだ。大手だけは多少、体力があるから、従える。中小企業は先に悲鳴を上げて、動き出す。タイミングを逸したら倒産する。そういう議論をしなきゃいけない。「無責任」と彼女を責めるなら、満員電車での濃厚接触を避けるためにあなたの会社の社員全てが出勤を禁止すべきだ、という世論に晒されることを想像すればよい。それで会社が倒産しても、誰もあなたを守ってはくれない。そこまで想像した上で、それでもよい、社会のためだ、と腹を括れる人間だけが、彼女をバッシングできる。少なくとも、ボクはそう思う。

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さて、真面目な記事は疲れるので、たまには昔みたいにギャグでも。「せ」で始まるギャグを考えてみるというお題を自分に課してみる。

「羨望の眼差しで通せんぼう」

「センセーショナルな先生」

「洗濯をしないという選択」

「セミダブルで寝るセミだ」

「政府の発表はアウト!」

……うーん、最後のはちょっと難しいか!? そして、ちょっとエスプリが効きすぎている!?