2021年3月19日 日本では3月11日に赤飯を炊いてはいけないのだそうな!?

3月11日の給食に赤飯は不適切だとの教員からの声があって、横浜市がメニュー変更したことがニュースになっていた。うーん。いいじゃんね、赤飯。そんなこと、気にする必要はない。

3月11日に地震があって、たくさんの人が死んだかもしれない。でも、3月12日が家族の命日の人もいるし、逆に3月11日にめでたいことがある人もいる。それをお祝いしたって、別にいい。大体、3月11日以外の日に不幸がある人もたくさんいるのであって、3月11日だけを特別扱いしたらダメだと思う。喪に服すのは、遺族がすればいいことで、我々は、あの地震に想いを馳せつつ、地震や津波への備えについて考えればよい。

実は3月11日の当日、職場で「黙祷」のアナウンスがあった。これについても、本当はボクは疑問を感じている。黙祷は毎年、やっているんだけど、正直、どうして3月11日だけを特別視するんだろう、という感情がある。世界各地、実はたくさんの災害に見舞われている。直近だと、北海道胆振東部地震で40名ちょっとが亡くなっている。熊本地震では270名近くが亡くなられている。東日本大震災は、勿論、2万2000人近くの方が亡くなられていて、規模は大きい。でも、死者数が多いから黙祷を捧げるというのは、死者を「数」で評価しているようで、ちょっと個々人を蔑ろにしているような感じがする。それに、数だけで見れば、たとえば、2010年のハイチ地震では22万人以上が亡くなっている。死者数の桁が違う。我々は日本人だから、黙祷は日本で起こった地震に限定されるべきだ、ということでもないだろう。惑星地球号の一員として、世界を捉えていく必要がある。

フランスでテロルがあったときに、facebookのプロフィール写真を「トリコロール」で飾る行為が流行ったときにも書いたが、テロルはフランスだけで起こったわけではない。そもそも、あのときはイスラームと西欧近代化が衝突して、あちこちでテロルが起こっていた。イスラーム世界の中でも、たくさんのテロルがあったし、先進国の爆撃でシリアでは毎日、ものすごい数の人が死んでいた。そういうたくさんの死者に想いを馳せずに、よく知った先進国のフランスにだけ想いを馳せるのはおかしい。だから、ボクは「トリコロール運動」には賛同しなかったし、「トリコロール運動」をした人とは距離をとった。

他人を思い遣るのはとても素敵なことだ。死者を偲ぶのも大事なこと。でも、実は不幸なんてものは数えきれないほどあって、そこに優劣も大小もない。3月12日に赤飯を移動させて、3月11日の死者には配慮できた形になるのかもしれないけれど、それでは3月12日の死者は配慮されない。89校もあれば、3月12日に祖父母や両親が亡くなっている児童だっているはずだ。その個人の死に対しては「配慮が足りなかった」とはならないのか? そんな風に感じる。