2020年5月21日 結局、余人をもって代えがたい人も、替わっちゃうという皮肉。

慶應義塾大学法学部の亀井教授の記事が面白かった。ボクの感覚はこれに近いかもしれない。

役職定年延長という「恩恵」が、検察官の「必要があれば政府・与党の有力者であっても捜査し訴追する」という決意にどの程度影響するであろうか。

少なくとも筆者には、その程度の「恩恵」が人をしてその信念を枉まげさせるとは思えない。はたして、職業人としての魂は、役職定年延長程度の「恩恵」で買えるのであろうか。その「恩恵」は「魂の値段」としては安すぎないだろうか。

ボクも、実は素直にそう思う。役職定年、あるいは定年が延長する。そういうエサを目の前にぶら下げられて、それでもって検察としての信念を曲げて、内閣の軍門に降るのなら、検察官なんて辞めてしまえ、と思う。

今回、何が何でも黒川さんを検事総長にしようという意志が、どこからか働いた。それは、もしかしたら、黒川さん本人の意志ではないかもしれない。でも、誰かがそう思った。そして、それを拒もうとする意志も働いた。ボクは、稲田さんの気持ちは分かる。勇退という慣例を拒んで居座る。それは、自分が後任を選ぶという慣例を否定した抵抗勢力に対する反骨精神みたいなものだと思う。でも、何だろう。ツイッターでのデマ拡散や賭けマージャンのリークなど、やっぱり、いろんな人々の思惑が透けて見える。ボクには、検察と内閣の折衝と、検察の内部抗争に見える。検事総長というポストを巡って、いろんな大人が暗躍した。そのこと自体が、検察の信用を落とした。勿論、黒川さんの定年延長の閣議決定をした内閣の信用も落ちた。権力にしがみつく大人って醜いよなあ。で、結局、黒川さんが辞任したら「余人をもって代えがたし」が崩れる。

前の記事にも書いた。結局、人間はいつか死ぬ。それは明日かもしれないし、明後日かもしれあい。だから組織としてひとりに負んぶに抱っこじゃダメだ。常に替えが利くようにしておかなきゃいけない。こうやってスキャンダルで外れざるを得なくなることだって、ある。「余人をもって代えがたし」はダメだ。だから、検察だけじゃなくって、あまねく国家公務員も「特例」が幅を利かせるようにしてはいけない。そこが、今回の大きな議題だと思う。