2020年5月12日 #検察庁法改正案に抗議します

検察庁法改正が話題になっている。それ以上にこれに関する芸能人のツイートが話題になっている。そして、その延長線上で「芸能人は無知だ」という差別に対して芸能人が怒っている。

ボクは必ずしも「芸能人が無知だ」とは思わない。ただ、今回、どうして切り口が「検察庁法改正」だったのだろうか、という点だけはちょっと疑問だ。いろいろと賛成・反対の意見を表明する機会は過去にモあった。もっともっと、自分の生活に密着した分かりやすい論点もあった。それなのに、この難解な法案に噛み付くのは、一体、何故なんだろう。多分、その違和感が根底にあって「芸能人のクセに」的な雰囲気になっている。

ボクは、正直、ここまで話題になるまで「検察庁法改正」がよく分からなかった。もしかしたら、今でも分かっていない。そもそも、内閣と検察が仲良しこよしで「あいつ、気に入らない! とっ捕まえろ!」という世界を想定すればいいのか、はたまた、検察の権力が強過ぎて内閣ですらコントロールできない世界を想定すればいいのか。この匙加減が分からないから、どちらの議論に与すればいいのかが分からない。多分、一般人の普通の感覚って、そんなもんだ。それなのに「検察庁法改正案に抗議!」というハッシュタグで、政府と対峙する芸能人に対して、ボクたちはどのように取り扱っていいのか分からないのだ。

ボクは、実は「ステイホーム」の運動に与していない。勿論、緊急事態宣言下だから、不要不急の外出はせず、家には留まっている。でも声高に「ステイホーム!」と声をあげていない。だって「ステイホーム」によって困る業界がいることも理解しているからだ。外に出張ってきてくれないと商売がなり立たない業種の人たちはたくさんいる。「ステイホーム」の掛け声は、そういう業種の人々を無視し、蔑ろにする。たとえば、Yoshikiが椎名林檎をバッシングしたときも、一部ではYoshikiが称賛されていたが、ボクはYoshikiの発言には批判的だった。独善的で、ホリエモンの言うとおり「弱いものいじめ」に見えた。あのときは緊急事態宣言も出されていなくて、あくまでもお願いベースの自粛だった。各人に判断が委ねられていた。椎名林檎の事務所が小さいかどうかは知らないが、もっとずぅっと小さな弱小事務所は苦しかったはずだ。力のある人間がああやって発言して、弱小事務所を追い詰めたはずだ。強い人間が、弱い人間を無視して理想を唱えても、それが飲める人と飲めない人がいる。

物事はそんなに単純じゃない。それが分かっている人は、おいそれと自分の立場を明確にはしない。怖くてそんなに簡単には自分の立ち位置を表明できない。そりゃあ、政治家とか物書きは、自分の立場や考えを明確にすることがお仕事だから、どちらかに立つ覚悟を決めて立つ。責任も背負う。だからこそ政治家なのであり、物書きなのだ。芸能人は、必ずしもそういう職業ではない。もちろん、反骨精神溢れて、政権に石を投げつける素敵な芸能人がいてもいい。でも、仮にそうであるなら、立ち位置を明確にする覚悟が必要だし、発言の先にあるリスクも把握するべきだ。

ボクも、たまにこういう難しい記事を書く。書くときには、批判されることも覚悟する。それに、本当に自分の意見が正しいのか、常に迷っている。覚悟なき発言は無責任だし、やっぱり頭が悪いと思われても致し方ない。ボクは、検察庁法改正については、ちょっと立ち位置を表明できる状況にない。勉強が足りない。よく分からない。だから、これから勉強しようと思う。でも、現時点では、よく分からない。