2016年4月18日 日本の言葉は何種類あるか。

変なタイトルをつけたが、日本の言葉は何種類あるか、というお話。たとえば「ドイツの言葉は?」と問われたら「ドイツ語」と答えるだろうし、「フランスの言葉は?」と訊かれたら「フランス語」と答えるだろう。同様に「日本の言葉は?」と問われたら「そりゃー、日本語だ」と答える。でも、ちょっと賢い人なら、「待てよ。アイヌ語もあるな」とか「沖縄の言葉って、あれは方言だろうか」と立ち止まって考えるかもしれない。

実は国際SILという少数言語の研究団体のウェブサイトエスノローグには、日本の「生きた言語」として15語が挙げられている。掲載順(アルファベット順)に並べると、

アイヌ語/北奄美大島語/南奄美大島語/日本語/日本手話/喜界語/朝鮮語/国頭語/宮古語/沖永良部語/中部沖縄語/徳之島語/八重山語/与那国語/与論語

となる。15語もあるのか、とビックリする。

「日本手話」という部分は「なるほど、手話も言語なのだな」と改めて考えさせられる。実際、30万人近くが日本手話の話者らしいので、それなりだ。でも、結局、それって「日本語」の延長ではないのか、という疑問もある。「朝鮮語」というのは京都・大阪、東京、山口などの一部で話されている在日朝鮮人の言葉だが、これも果たして日本の言語だろうか。でも、90万人近くがこの「朝鮮語」の話者らしいので、決して少数派とは言えない。そのうち、外国人が増えていけば「英語」話者とか「中国語」話者が増えていくので、そういうのも一大勢力になるのではないか。

一方で、このエスノローグの分類は「アイヌ語」「日本語」「日本手話」「朝鮮語」以外は鹿児島・沖縄の言語じゃないか、とも思う。南方の島々には、島によってそれぞれ独自の言語があるという解釈らしい。でも、こういう鹿児島や沖縄の言葉を方言とするかどうかで学者の見解は分かれていて、日本語の沖縄方言と定義する人もいるし、独立した言語として琉球諸語と定義する人もいる。

エスノローグの分類に対する批判的な意見は多いが、日本の言語を15語とする考え方がある、ということは日本人として留意しておくべきことかもしれない。

ちなみにユネスコの「消滅危機言語」のリストには、日本の言語として8言語がリストアップされている。極めて深刻には「アイヌ語」が、重大な危機には「八重山語」と「与那国語」が、危険には「八丈語」、「奄美語」、「国頭語」、「沖縄語」、「宮古語」がリストアップされていて、一応、ここでも琉球諸語はそれぞれ別々の言語として位置付けられている。

ちなみにここで4番目に言及されている「八丈語」というのは伊豆諸島の八丈島や青ヶ島などで話される言葉で、現地で島言葉と呼ばれるもの。これも「八丈方言」とされることが多い。本島との交流が少なかったため、非常に古い日本語表現が保存されているが、これも一方言とすべきものかもしれない。でも、ユネスコは独立した言語と定義している。

ボクの母は会津の生まれで、田舎に帰るとバリバリの会津方言を喋る。ボクは幼い頃に母に連れられて頻繁に会津に里帰りしていたが、実のところ、会津の祖父とは一切、会話が出来ない。こちらの言っていることは伝わっているのだろうが、向こうが何を言っているのか、ボクにはまるで分からない。だから、ボクの認識としては、会津方言は方言というよりも、まるで外国語だ。だから、沖縄諸語の中での言語的な開きと、本島の内部の方言の開きと、どちらが言語的に離れているのか、ボクには正直、よく分からない。

でも、日本語と沖縄諸語は同じ系統に属する。単語も日本語と比較的、対応している。例えば、幽霊はユーリーだし、木の精はキーヌシーだ。アヒルの魔物はアフィラーマジムンだし、火の神さまはヒヌカンだ。だから、ボクは沖縄諸語は広義の「日本語」に含まれると思うし、一方言なのだろうな、と感じている。琉球民族が大和民族とは別の民族だ、という民族主義は分かるが、言語は国境や文化とは必ずしも合致しないので、表現としての「日本語」という定義が適切かどうかは別にして、同じ言語系統にある、とは言えると思う。

一方のアイヌ語は明らかに日本語の系統とは異なるので、やはり別の言語である。例えば、アペ・フチが《火・老婆》とかコタン・コロ・カムイが《村・持つ・神》だなんて、想像できない。文法だって、全ッ然、違う。これは日本語とは別物だ。

だから、ボクの中では、日本の言葉は何種類か、と問われたら、大枠で2種類だろう、と考えている。つまるところ、「日本語」と「アイヌ語」の2つだ。

最近、ファンタジィ事典で「沖縄の妖怪」を更新していないが、もしかしたら、原語のところを「沖縄方言」に修正すべきだろうか、と考えて始めている。うーん。学問は学べば学ぶほど、厳密になればなるほど、難しいなあ。