2014年1月6日 戦国武将を学ぶことは日本史の王道じゃない!

Livedoorニュースで知ったが、「日本史を必修に」という動きがあるらしい。ボクとしては、うーん、という感じ。

そりゃー、もちろん、日本史は大事だ、と思う。自分たちの過去を知らずして未来は語れない。この考え方はボク自身、仕事をすればするほど、年を取れば取るほど、確信になっていく。「今」が、どうしてこういう形になっているのか。そりゃー、理想どおりの世の中じゃないかもしれない。でも、先人たちが築いてきた「歴史」があって、「今」に繋がっている。何事にも理由があって、理屈があって、失敗や過ちがあって、「今」、こうなっている。そういう「歴史」を知るということは、単なる現状把握よりもずぅっと奥深くて、真っ直ぐに未来に繋がっていける。だから「日本史を必修に」という動きのコンセプトそのものについて、ボクはアグリーなのだ。

でも、実は歴史理解のベースには「地理」があるし、日本史と同じくらい「世界史」が大事だったりする。「哲学・思想」も大事だし、文化史がとても大事だったりもする。そういういろんな社会科の要素を包括的に学ぶことが本当はとっても大事で、「日本史」だけが取り立てて重要なわけではない。

だから、それぞれの学生が興味を持った社会科の科目を選ばせて学ばせることって大事で、それって、必ずしも「日本史」に限定する話ではない。

「日本史」を必須にしてしまった場合、もしかしたら、「地理」や「哲学」、「世界史」を選択できなくなってしまうかもしれない。特にボクは理系だったので、そういう怖さが人一倍ある。「日本史」か「世界史」かいずれかの選択を迫られて、非常に悩んだ記憶があって、ボクは結果として「世界史」を選択した。何故って、日本の歴史よりも、日本に影響を与えたであろうヨーロッパや中国の歴史や思想に主眼を置きたかったのだ。そういう選択があってもいいんじゃないか。そんな風に思っている。

極論を恐れて言うけれど、少なくとも、戦国武将の歴史なんか、ボクからすれば、学習するには楽しいんだけど、歴史理解という意味じゃ、糞喰らえみたいな感じがしていて、戦国武将こそが「ザ・日本史」みたいな切り取られ方をすると、違う、と思う。それよりも、神さまを発明したシュメル人の発想とか、万物の根源は何か、と考え続けた古代ギリシアの哲学者たちの着眼点とか、仏教やキリスト教がこの世界に誕生した時代背景とか社会的要請だとか、自らの権利を戦って勝ち取った欧米の革命家たちの考え方とかの方が、日本の「今」だったり、世界の「今」だったりを学ぶための礎になる。

日本人が政治に無関心なのは、自分たちで参政権を獲得したり、憲法を作ったりしていないからだ、という指摘は、あながち間違っていないんだろう、と思う。奴隷という身分から解放されるために、従属的な労働者階級から脱するために、女性の参政権を得るために、各国はいろいろな戦いをしてきた。そういう戦いの末に、近代社会がある。どうして今の日本って、こんな法律があって、こんな社会制度になっていて、こういうシステムなんだろう。そういうことを学ぶには、多分、日本史だけじゃ不十分で、日本史を勉強する若者ばかりになっちゃ、ダメなのだ。そんな感じがする。