2014年3月9日 快適さのハードとソフト

赤ん坊を抱えたお母さんにとって、東京駅は便利だ。トイレにはおむつ替えの台も常備されているし、授乳室があって、カーテンを敷いて授乳できるようになっている。グアムでは、そういう日本じゃ当たり前の文化がなくって、外出先では非常に苦慮した。おむつを替えるスペースがない。お店の人とかに訊いてみても、トイレを案内される。そんなところで替えられるのか? 現地の人はどうやっているんだろうか。仕方ないので、ツクルくん、柱の影のベンチなどでおむつ替え。まさに公衆面前でのご開帳だ。

でも、そういう設備的な不便さはあっても、グアムが決して育児に不向きな場所、ということではない。社会環境としては、日本よりも恵まれている、と言える。ツクルくんがお店や公共交通で愚図り出しても、グアムの人々はみんな、にこにこしている。「Hey, baby!」などと話し掛けて来る。「赤ちゃん、かわいいね」とか「何か月?」とか「お母さん、頑張れ」とか。あるいはベビーカーを片手にごろごろしていると、「手伝うよ」などと言って、バスや電車の乗り降りを助けてくれたり、レストランで急いでベビーカーのスペースを作ってくれたりする。そういう声掛けとか態度によって、ものすごく救われる部分がある。日本じゃ、冷たい視線を送られるし、場合によっては睨まれたり、咳き込まれたりするわけじゃない? 外出恐怖症になってしまうよね。そりゃー、日本人だって、寛容な人はたくさんいる。でも、声掛けの文化はない。だから、そういう優しい人がいても分からない。ものすごく疎外感を感じる。そんな文化のギャップを感じながら、設備的な快適さと、社会環境・人的な快適さと、どっちの方が幸せだろうか、と思う。もしかしたら、後者の方がハッピィじゃないか。ハード的な整備以上に、ソフト的な改善が求められているんじゃないか。そんな風に感じた。