2015年3月9日 子供の頃は地理が嫌いだった

子供の頃は地理が嫌いだった。正確には、暗記科目は全般的に嫌いだった。だから、九九もなかなか覚えなかったし、歴史の年号も覚えなかった。地理なんて、まさに暗記科目の代表、みたいな印象を抱いていて、だからこそ、大ッ嫌いだった。

今は歴史と地理が大好きだ。ボクの中で、何が変わったのだろうか。多分、歴史も地理も、暗記科目ではなくなったのだ。情報が有機的に結びついて、単なる暗記じゃなくなった。発展的な学問だ、と感じるようになったのだ。

物事の成り立ちには地理と歴史が重要だ。いつ、どこで、誰が、何を、どうやって、そして、何故。まさに5W1Hの問いかけだけれど、この「どこで」という部分が重要になってくることもある。「何故」という部分も、地理的な要素が絡む。「暑いところだから」「港があったから」「通り道だったから」「隣国の影響を受けたから」というような場合、これは間違いなく地理の範疇である。空間的な広がりは地理、時間的な広がりは歴史。そういうものが、絡み合いながら、今の世の中に結びついている。最近になって、そういう風に理解できるようになった。こうなると、地理も歴史も単純な暗記科目ではない。

時代はイスラームとキリスト教、2つの宗教の戦い、などと言われる。でも、ボクは必ずしもそうでもないのだろう、と感じている。もう少し根は深くて、イスラームの文化が、アメリカ的な自由を受け入れられないのだ、と思っている。イスラーム法のストイックさは、近代文明との折り合いが悪い。それを近代化とか自由主義で押し付けようとするから、そこに齟齬が出る。そういうギャップの戦いが根源にはあるのだ、と理解している。そういうのが、空間的、時間的にぶつかり合って、今に至る。そういうことを、地理や歴史を学びながら、ボクは感じている。

多分、地理も歴史も、ボクたちの社会と無縁ではなくて、連綿と繋がっている。きっと、そういうことを、ちゃんと先生が教えなきゃいけないのだ。ツクル君には、そういう楽しさに気づいてもらえるといいなあ、と思う。そのためにボクに何が出来るだろうか。