2014年3月5日 個人プレーは、みんなに支えられて成り立ちます。

本日は研究発表のプレゼン練習。ボクはこういうの、得意だなあ。全ッ然、苦手意識がない。何事も場数が必要ってことだろう。

それにしても、こういう個人プレーみたいな仕事、もっとみんなが経験した方がいい、とボクは思う。何だかボクばっかりがやらされている。いやいや、「やらされている」なんて書くと不平不満があるみたいに聞こえちゃうかもしれないから、念のため、言い直しておこう。ボクばかりが経験させてもらっている。それはそれで素敵なことだけど、ボクからすると、ボクばっかりが素敵な経験をしている感じがして、不公平じゃないか、とちょっと疑問がある。

意外とみんなは「あいつはそういうの好きだから」とか思っているかもしれない。もちろん、間違いではない。はっきり断言しよう。ボクはそういうの、好きだ。でも、常々、公平じゃないな、とは思っている。

個人プレーの仕事って、自己責任の世界で、ほとんど誰も関与しない。自由。だけど、放任。こういうシチュエーションって、実は非常に勉強になる。ボクの能力とか性能を無視して、一人でいろんなことを考えなきゃいけない。だから、視野が広がる。それに、トライアル・アンド・エラーがやりたい放題だ。それに、自分で段取りを組んで進めなきゃいけないので、非常に高度だ。何よりも、個人プレーのくせに、逆説的だけれど、いろんな人との繋がりができるのだ。結局、一人じゃ限界があって、分からないことや困ったことがたくさん出てくる。でも、誰も助けてくれないので、自分で人脈を開拓してヘルプを求めていくことになる。ホント、三顧の礼、というやつだ。いろんな人のところを回りながら、個人的な交渉で意見を聞いたり、アドバイスをもらったり……。孤軍奮闘だけど、でも、そうやって培った人間関係が、いつまでもボクを助けてくれる。

そういうのを、いろんな人にやってもらってこそ、良質な人材が育つのだ、とボクは思っている。これは理屈じゃない。経験することに価値がある。だから、組織にフィード・バックなんかできない。そういう類いのものだ、と思っている。