2020年5月11日 予言獣、今昔!?

「アマビエ」の絵とか「ヨゲンノトリ」の絵を楽しく描きながら、一方で、ウェブサイト「ファンタジィ事典」にはその類いの記事を載せていない……片手落ちのボク(笑)。まあ、「ヨゲンノトリ」なんて、山梨県立博物館に掲載されていることが全てなので、取り立てて項目立てすることではないんだけど、「アマビエ」については、いろいろと複雑な歴史があったりするので、載せてもいいのかもしれない。

元々、予言獣というのはいろいろある。もっとも古いのは「神社姫」とか「姫魚」みたいな人魚タイプで、龍宮からやってきて、疫病を予言して「自分の写し絵を崇めれば助かる」的な妖怪として大流行した。最も古い記録は19世紀初めの加藤曳尾庵の『我衣』という随筆で、1819年に肥前国(長崎・佐賀)で目撃されたらしい。1850年頃に、越後(新潟)でも似たような人魚が出現して疫病を予言したという。日本の人魚は、ヨーロッパの上半身が美女という素敵な姿とは違って、全身が魚で人間の頭だけが前についている。そして角がはえている場合が多い。いずれにしても、こういう人魚タイプの予言獣が、コロリ(コレラ)の流行とともに、江戸に広まった。

「クダン」という予言獣もいる。「クダン」あるいは「クダベ」は全身がウシで、人間の頭がついている。この予言獣は、ウシから生まれて、突然、人間の言葉を喋り、災難を予言する。最古の記録は1827年だ。「クダン」の場合は疫病だけでなく、戦争や飢饉、災害なども予言する。そして写し絵が魔除けとして有効だ、というわけである。すでに江戸時代の人によって「こんなのは神社姫のパクりだ!」と看過されている。一方で、水木しげるが中国の妖怪「白澤」との関連を指摘している。「白澤」もウシのような偶蹄目の四足獣の身体に人間の頭がついていて、人語を話す(中国では必ずしも人の頭ということではないけれど、日本では人の頭がほとんど!)。予言獣というわけではないが、あらゆることに精通している。黄帝は海辺で白澤と遭遇し、あらゆる「妖怪」の類いについてに、その対策を伝授してもらった。黄帝がそれを部下に記録させたとする書物が「白澤図」で、まさに妖怪対策マニュアルの様相を呈している。そこから、厄除けとして「白澤」の絵を用いることが流行した。ある意味では、「クダン」は人魚パターンの予言獣と「白澤」を組み合わせたような妖怪と言える。

「アマビコ」(アマビ『エ』ではなくてアマビ『コ』!!)という妖怪も知られる。これは3本足のサルの妖怪で、豊作と疫病を予言して、写し絵を広めることで長寿が得られるという。最古の記録は1843年で、以降、日本各地に広まる。江戸時代末期、そして明治など、コレラが流行するたびに、3本足のサルの絵が疫除けとして流行した。

そして、ここで「アマビエ(アマビヱ)」に至る。「アマビエ」の登場は1846年。肥後国(熊本)に出現したという。実は、「アマビエ」の出現はこの1回っきりだ。でも、その絶妙にヘタウマな写し絵と、水木しげるが独特の色合いで描いたこと、ゲゲゲの鬼太郎シリーズに登場したことなども相俟って、非常に有名になった。そして、すでに察しのいい方は分かったと思うが、「アマビコ」と「アマビエ」は名前が非常に似ている。「コ」と「ヱ」を間違えたのかもしれないし、あるいは作者が意図的に読み替えたのかもしれない。その辺はよく分からないが、名前と3本足という側面は「アマビコ」の要素を残し、一方で、人魚パターンも採用している形になる。

なお、「ヨゲンノトリ」は1858年に記録されている。文章の表現などを見れば、明らかに人魚パターンと3本足のサルパターンなどの予言獣の流れを汲んでいるはずだが、何故、首が2つで白黒のカラスの絵に至ったのかはよく分からない。

いずれにせよ、疫病や災害などで不安な世相に合わせてこういう「写し絵」を販売する商法なのかな、と思う。今回も、Tシャツやストラップに描かれて販路に乗っていく流れが出来上がっているわけで、そういう形で広まっていく意思を持った妖怪と言える。