2014年6月17日 ゴミ拾いはマナー違反か!?

ブラジルでのワールドカップでの話。日本サポータがゴミ拾いをしたということで世界中が驚いているわけだけど、谷本真由美さんがそれに対して、他人の仕事を奪う行為だ、という視点で持論を展開している(http://wirelesswire.jp/london_wave/201406170308.html)。面白い視点だな、と思う。

ボクはゴミ拾いが他人の仕事を奪う行為だとは思わない。彼らはゴミの重さや量で仕事を請け負っているわけじゃない。ひとつでもゴミが残っていれば、彼らにはそれ相応の対価が支払われるだろう。できることをできる人がやる。それが理想だ、とボクは信じている。

国際協力って難しいな、と思うのは、こういう文化的な衝突だ。ボクがミャンマーやフィリピンに行ったときに、彼らの文化を尊重して意見するのを遠慮したり、彼らの歴史や経緯を踏まえて発言を差し控えたりすることに対して、先輩が怒ったことがある。ボクとしては「でも、彼らは今までこういうシステムでやってきていて、彼らには彼らなりのやり方や誇りが……」などと言う。すると「それを壊すのがボクたちの仕事なんだよ。彼らの文化を尊重することも大事だけど、だからって発言しないでそのまんまにしておくことは不幸だ。選ぶのは彼ら。ボクたちは臆することなくあるべき姿を主張すべきだ!」。

貧しい人々がゴミ拾いで生計を立てている。だから彼らのためにゴミを残しておく。それがあるべき姿だ、とはボクは思えない。そこに問題があるのなら、そこに踏み込んで改善すべきだ。ゴミを放置して彼らの生活を守った気分になっていては、本当の改革にはならない。

理想を追求して、その結果、ひとつの職業がなくなったとして、それはそれでいいのだ。ミャンマーに行ったときに、水売りさんがたくさんいた。お寺は大昔から井戸を持っていて、水売りさんはお金を払ってその井戸から水を汲み上げる。その水を人々に売って生計を立てている。日本のコンサルが入って水道を整備したら、このシステムは崩壊する。でも、だからって踏み留まっているわけにはいかない。水売りから水を買うのが彼らの文化かもしれないけれど、それを壊すことも、また、ボクたちの仕事なのだ。開港当時の横浜にも水売りさんがたくさんいて、暴利を貪っていた。イギリスの技術者たちがやって来て水道を整備した。水売りという職業は消滅した。これは間違いだっただろうか。本来、あるべき姿は何か。貧しい人がゴミ拾いで生計を立てる社会じゃないことは間違いない。
とは言え、だ。彼女の記事の主眼はそういうところにはない。誤解しちゃいけない。多分、日本人が人の仕事にも手を出して「やってあげちゃう」ところに対する批判なのだ。そして、その批判自体は間違っていない。サービス残業や工数分析の曖昧さなど、その通りだな、と思う。先輩が忙しそうにしているのに後輩が先に帰るなんてありえない。そんな発言が当たり前のようにオンライン上に溢れている日本は、やっぱり、どこかおせっかいで、いいところでありながら、社会としてみたときに歪を生んでいる。

出来る人が出来ることをやる。正しいんだけど、でも、それを突き詰めていくと、仕事をやる人とやらない人の不公平感とか、工数分析の曖昧さに繋がっていく。そういう視点でものを考えることも重要だ、と考えさせられた。