2021年2月6日 アーカイブが残るということの意味

テレビ番組の企画で、ロンドンブーツ1号2号の田村淳とキングコングの西野亮廣が対談をしている。長尺で2人で喋っているのが単純に面白い。テレビだと、多分、時間的な制約から部分的に切り抜かれて放送されるのだろう。YouTubeだとほとんどノーカットでアップロードできるのがよいな、と思う。

最近、ボクも会社でYouTubeをフル活用している。会場で少数の人を集めて研修をしつつ、それをYouTubeに配信して、社内の自席からも視聴できるようにしている。YouTube視聴者向けにはGoogle Formと連動させて、適宜、質問やコメントをGoogle Formに記載してもらって、それを研修中に読み上げることで、一応の双方向性を担保している。もともとの目的は「3密回避」だった。会議室に大人数を集めて研修ができない。かと言ってZoomにみんなでアクセスするようなウェブ端末もない。だから、自席でYouTube視聴をさせながら、いかにインタラクティヴにするか、ということで検討した結果だった。でも、YouTubeの一番の強みはアーカイブが残ることだ。研修が終わっても、研修の様子はずぅっと残り続ける。いつでもアクセスできる。そこに大きな強みがあることに最近になって気がついた。会社の人に何か聞かれたときに「あ、その件なら、このアーカイブ観て!」と言えるのだ。

この対談も、実はテレビの企画でありながら、ロンブーのチャンネルにロングヴァージョンでアップされている。この現象をどう考えるか。ボクとしては面白い現象だと思う。

テレビもオンデマンドを始めたけれど、イマイチ、定着しない。オンデマンドそのものには本当は大きな価値があるはずだ。ただ、費用をとろうとしたところに問題があった。基本的にはテレビって無料で見るものだと誰もが思っていた。お金はスポンサーが払って、視聴者は番組制作の費用を負担しない。そういう構造になっている。そこにオンデマンドを持ち込んでも、誰もお金を払わない。多分、みんな、録画するのだ。あるいは不思議なことにDVD化されると購入する。形にならないデータにお金を払うことに、多分、抵抗があったんだろう。DVDみたいなハードには課金ができる。最近、AmazonプライムやNetFlixなどが入ってきて、動画データに対してお金を払うという文化が定着してきた。でも、番組そのものにお金を払うというよりも「月額で見放題」というプラットフォームそのものにお金を払う形の方が浸透していると言える。

YouTubeはオンデマンド形式だけど、無料だ。そこにテレビ番組のロングヴァージョンをアップする。どう考えるか。この対談も、テレビだったら1回流れて終わってしまう(しかも一部抜粋だ)。YouTubeだと、ずぅっと残り続けて、好きなときに観ることができる。何度だって観ることができる。「面白いよ」という口コミが後からついてきても、観ることができるのだ。テレビで流したら「あの番組面白かったよ!」と言われても「ああ、見逃した!」と思って観ることができない。だから話題になったものは、違法にアップロードされて、それを観ることになる。そういう意味じゃ、アーカイブが残るというのは、大きな価値がある。ボクがこうして「日々の雑記」内で紹介して、それを受けて、観ることもできる。

テレビ側も、YouTubeみたいなプラットフォームに番組を残すアプローチは考えられる。でも、オンデマンドで課金させようとか、DVD化して収益をあげようという発想があると、多分、一度っきりの放送になる。それはそれで価値があるけれど、実は視聴者にとっては不便だ。テレビというメディアの大きな課題かもしれない。