2015年11月30日 水木先生が亡くなられた

ナイジェリアで朝、目を覚まして「今、何時だろうか」とiPhoneのホームボタンを押したら、画面の真ん中に水木さんが亡くなったニュースが通知されていた。現地時間で4時30分の出来事。思わず、起き上がってしまった。

ボクは日本が大好きだ、と自称している割に、実のところ、あんまり日本の妖怪には興味がない。ファイナルファンタジーやウィザードリィなどのゲームから妖怪の世界に入ったという経緯もあるんだろうけれど、妖怪というと水木しげるの印象が強くって、幼い頃のボクには、あんまり好きな絵柄じゃなかったことも影響しているだろうな、と想像する。大人になった今となっては、迫力のある個性的な絵で、案外、好きなんだけれど。だから、ゲゲゲの鬼太郎も、実は大真面目に観たことがない。たまたまテレビをつけたらやっているので観た、くらいのものだ。

そんなボクなので、水木先生が亡くなっても、93歳だし、天寿を全うしたよなあ。大往生だよなあ、などと思う。その一方で、ああ、一時代が終わったなあ、という感慨もある。

日本の妖怪の好事家たちは、大なり小なり、水木しげるの影響を受けている。特に、一反木綿や塗壁、小豆洗いや子泣き爺など、彼の絵が与えたインパクトはあまりにも大きくて、それが彼の創作であるにも関わらず、なかなかそのイメージから抜け出せない。多分、多くの妖怪好事家たちは、必死にそのイメージから逃れよう、逃れよう、と抗っているのではないか。特にイラストやデザインを生業にしている人にとって、脱水木しげるは、大きな命題のはずだ。

絵やイメージのない妖怪をヴィジュアル化する。これって、簡単なようでとても難しいことだ。それをたくさんやってのけたのが水木先生で、その功績も大きい。絵にならない言葉だけの妖怪は、ポピュラーにはなり得ない。その意味じゃ、たくさんの妖怪ファンを生み出したはずだ。その一方で、イメージを固定化させたという弊害(などと言うとかなり言葉が過ぎるが!)もあって、この戦いは続いていくのだろう。それだけ偉大だったということなのだけれど。

そんなことを考えつつ、本日は水木先生に思いを馳せながら、ナイジェリアで粛々と業務をしていたよ、というお話。