《日々の雑記》

2017年2月11日 「他人だけ完璧主義者」が多すぎる!?

最近、自分のことは差し置いて、他人に完璧主義を求める人が増えた。

たとえば女性Youtuber。彼女たちのアカウントには「ぶすじゃん!」などとコメントする人が多い。どうやら彼らは「女性Youtuberたるもの『美人』でなければならない」という信条があるらしい。でも、美人であることは有利に働くだろうけれど、女性Youtuberの要件ではない。そして、これはかなり主観が入るが、大抵の場合、「ぶすじゃん!」とコメントされる女性Youtuberというのは、平均的な女性から比べると美人だったりする。求められる「美人」の水準が異様に高いのである。

たとえばblog。書くのが本業の人とそうでない人がいる。記者は綿密な調査・取材と裏づけに基づいて記事を書くべきだろう。でも、芸能人にとってblogやtwitterは本業ではない。もちろん、こういうSNSを書くことによって集客ができるので、SNSを更新することも彼らのお仕事だ。でも、本業ではない。これは頭の片隅に入れておくべき大前提である。最近、よく芸能人のSNSの文章を攻撃する人がいる。ちょっと間違ったことを書くと、無知蒙昧のように叩かれる。でも、彼らは文章を書くプロフェッショナルではない。法律の専門家でも学者でもない。

インターネット上は誰もが感じたことを自由に書いている。明らかに偏った思考の人や、間違ったことを書いている人も多い。プロだって、間違ったことを書いているな、と感じることがある。それなのに、芸能人は正しいことを書くように要求される。もちろん、彼らの発言は影響力がある。だから、もしも彼らが間違ったことを書いたら、それは情報としては正されるべきだろう。でも、無知蒙昧と非難されることではないし、鬼の首を取ったようにバッシングすることでもない。

そういうボクの「日々の雑記」も不勉強で書いてしまったことはたくさんある。後になって、ああ、あれは間違いだったな、と深く反省することも1年に2回くらいはあるだろう。「ファンタジィ事典」なんて、もっともっと間違っていることが多い。勉強をすればするほど、間違っていることに気づかされて、そのたびに修正する。参考にした文献の記載そのものの間違いに気づくこともあるが、文脈を読み違っていることもある。文脈を読み違えるのは、大抵、その文化の背景について不勉強なときである。歴史的・社会的な背景を学んだときに、はたと自分の間違いに気がつく。反省しきりである。

人間、完璧にはなれない。周りを見れば一目瞭然だ。それを生業にしていながら、実のところ、ほとんどの人はその分野のスペシャリストじゃない。それでもスペシャリストのふりをして働いている。ボクだってそうだ。およそ10年、現在の仕事をしているけれど、まだまだ分からないことは多い。専門家だってそんなものだ。みんな、自分の能力の範囲でできることをやっている。それが社会であって、世界である。

人間はもっとずぅっと寛容であるべきだし、自分に置き換えて考えるだけの想像力と思い遣りが必要だ。

2017年2月10日 雛飾りの左大臣は向かって「右」!?

今日は「左利きの日」なのだとか。「0210」をレフトと読むからだそうで、出たな、日本人の大好きな語呂合わせ!!

ボクは左利きである。でも、こんな日があることを知らなかった。

左利きの人は全体の10%くらいらしい。つまり、10人に1人。クラスに3人はいるくらいの割合で、言うほど少なくもない。運動部の女子マネージャーの方が圧倒的にマイノリティである。女子マネージャーは優遇されるのに、世の中では左利きは虐げられていて、右利きの人が便利なように社会や製品が出来ているのだから、10人に9人という多数決は世界に対して強い影響力を持っている。

今、ボクはパキスタンにいる。パキスタンでは左手は「不浄の手」である。これがインド文化の影響なのか、それともイスラーム文化の影響なのかはよく分からない。どちらも宗教上、左手は「不浄の手」である。

前回、10月にパキスタンに来たときにお茶菓子が出され、うっかり左手でスナックを取ったら、現地スタッフにこっぴどく叱られた。「今、お前は何故左手を使ったのか! 何故お菓子を左手で掴んだのか!」と強い口調で詰問された。無自覚でやったことなので、最初、何が彼の逆鱗に触れたのか分からなかったほどだ。次の日、車で移動中にも彼に「今日は偉い人と会う。お菓子を出されたら絶対右手で取るように!」ときつく言われた。日本に住んでいると 意識しないが、文化によってはこういうこともある。

それ以来、ボクはパキスタンにいる間は左手は封印し、右手で食事をしている。最初は慣れなかったが、今ではフォークもスプーンも上手に使えるし、ホテルでは箸で食事ができるようになった。幼少の頃、親や先生に矯正されても、がんとして聞かず、左利きを通した強情なボクが、この年で従順にも右利き矯正中である。

2017年2月9日 英語における「1.5個のりんご」は単数か複数か!?

パキスタンで日本語の活動計画書を英語に訳している。そこではたと気づいて立ち止まる。英語では単位にも複数形の考え方が適用される。例えば、1ガロンは1 gallonだが、40ガロンは40 gallonsである。「s」がつく。それならば「小数+単位」はどうだろう。たとえば10.6ガロンは10.6 gallonなのか10.6 gallonsなのか。

ウェブサイトでいろいろと調べてみたが、どうも明確には決まっていないようだ。各所で慣例が議論されていて、そのものズバリの回答は得られなかった。「小数は複数」というのが一般的というのが概ねの回答で、でも、一方では「1以下の小数は単数で、1以上の小数は複数」説を唱える人もいて、実のところ、何だかよく分からない。ウェブサイトの巡回の結果、昔はこの「1以下の小数は単数で、1以上の小数は複数」が一般的だったらしい。最近では「1以上でも1以下でも小数は複数」という人が多いらしい。要は慣例の世界である。

仕方がないので、パキスタン人に聞いてみた。そうしたら、少なくともパキスタン人は「小数+単位」は複数形にするらしい。仮に1以下の数字(たとえば0.5ガロン)も複数形にするという(0.5 gallons)。ちなみに彼曰く、1ガロンは1 gallonだが、1.0ガロンと書かれた途端、1.0 gallonsとする人もいるらしい。すなわち1.0ガロンは0.95〜1.0499……の間なので、単数ではないということらしい。そしてパキスタンでも「1以上でも1以下でも小数は複数」を採用しているとのこと。

まずは言葉があって、文法は後付で作られる。当然、言葉が生まれたときには小数の概念なんてなかったので、既存の文法の枠にはまらない、ということいなる。でも、時代は経った。国によって違うのかもしれないが、仮に慣行として「小数+単位」は複数扱いということになっているとして、後付でもいいから、明確に文法として定めるべきであろう。何しろ、学校に通っていれば、理系じゃなくなって、どうしたって記述する必要に迫られるはずだ。学生は疑問に思うはずだ。そして先生に問うのである。「せんせー、小数に単位をつけたときって単数ですかー? それとも複数ですー?」。先生は言葉に窮するはずだ。その辺を明確にしないまま、慣行に任せているのだとすれば、英語圏の人々は懐が広いな あ。

ちなみにgoogle先生は何と答えるだろうか。google翻訳に試しに「0個のりんご」「0.5個のりんご」「1個のりんご」「1.0個のりんご」「1.5個のりんご」と順番に打ってみる。「0 apples」「0.5 apples」「1 apple」「1.0 apple」「1.5 apples」との回答。0個はどうやら複数形らしい。そして1.0個は単数形である。ただし、1.0個の場合だけ、候補が出て「1.0 apples」も選べる。すなわち、一般的には「1.0 apple」だけど「1.0 apples」もあるということだろう。これがgoogle先生の現時点の答えである。

2017年2月8日 Εν αρχη ην ο λογος,και ο λογος ην προς τον θεον, και θεος ην ο λογος.

会社の若手に、ボクが海外でどんなことをやっているのを伝えようと思って、善意で「日報的な何か」を作成し、社内で共有している。臨場感がとても大切だと思うので、写真とともに、極力、情報を総括しないで、その瞬間瞬間に考えたことや感じたことを記録している。だから、そのときにはそれが「正」だと思っても、次の日には違うことを「正」と思うこともある。それはそのときに得た情報、感じたことを記録しているからであって、もちろん、業務上、最終的には、公式の「正」を決める。要するに「途上の情報」も敢えて書いている。ボクが悩み、考え、苦しんでいる状況そのものを伝えたいからである。

始めてみたものの、実は結構、時間も掛かるし、うまくまとまらなくて悩むときもあって、骨が折れる。だから、何度辞めようと思ったか分からない。それでも、少しでも現場の雰囲気をみんなに伝えて、将来、海外に打って出るときの参考になれば、と思って続けている。まさにボランティア・ワークである。

自衛隊の「日報」が公表されて、「戦闘」に類することが書かれているなどと騒がれている。「日報」が公式なものなのか個人的な記録なのかは分からない。おそらく文章の雰囲気から察するに公式なものなのだろう。でも、こういう「日報」に基づいていろいろと事実の確認や責任の追及がなされると、気軽に「日報」なんて書けないなあ、と思う。極力、記録なんて残さない方がいいし、無難で実のない報告をつくった方が安全だ、ということになる。

最近、芸能人が番組内でちょっと発言したり、twitterで呟くだけでもニュース記事でとりあげられる。素人のtwitterが大手のニュースサイトで取り上げられたりして、きっと、その瞬間、その人へのアクセスはすごいことになるだろうなあ、と想像することもある。その上、そんな瑣末なことでバッシングされたりもするのだから、恐ろしい世の中である。まさに「言葉狩り」、ここに極めり、である。

一度、発信された文章は、基本的には全て同じ土俵にあげられてしまう。でも、文脈は尊重されるべきだし、書き手の中の重い軽いも想像すべきだと思う。深く考えないで発する言葉もあるし、非公式の、非常にプライベートなコメントだってある。十把一絡げに書かれたものを「正」とされたら、怖くて情報発信できなくなる。ネットは世の中を大きく変えたけれど、窮屈で嫌な世の中になったなあ、とも思う。

2017年2月6日 パソコンを開いたら個人情報がどどーん!!の巻

海外に出張するときに、会社でパソコンを貸与されるわけだが、今回、パキスタンで立ち上げたら、FacebookもYahooもGoogleもAmazonも、前に使っていた先輩がログインしたままの状態だった。彼のセキュリティの低さも大問題だが、会社側もウイルスチェックをかけてデスクトップのデータを削除するだけじゃなくって、ちゃんとクッキーや履歴もリセットして欲しいなあ。

心優しいボクは何一つ触ることなく、全てログアウトしてあげたが、世の中、必ずしも性善説では成り立たない。何しろ、いまやセンテンススプリングの時代である。情報はどんどん流出していく。

ボクは基本的に誰のことも信用していないので、毎回、自分でリセットして会社に返却して、「全部、やっておきましたよ!」と事務の女性に恩を着せるようなタイプである。でも、結果的にはやっておいて正解だったわけである。

それにしても、よくよく考えると、ログイン情報を記憶するという行為は非常に危険である。Facebookは個人的な事柄に過ぎないが、Amazonはカード番号が登録されているので、勝手に買い物が出来てしまう。GoogleやYahooは、メールにログインできるので、いろいろと個人情報が流出したり、送受信したデータが流出することも考えられる。もしかしたら、いまや家に泥棒に入ったら、金目のものを探すよりも、試しにパソコンを立ち上げて操作した方が、ずぅっといろんなものが手に入る時代かもしれない。

ボクの知り合いには、iPhoneもノートパソコンもログイン設定をしていない人がたくさんいる。彼ら曰く、毎度のログインが面倒くさいらしいが、それって、とても危険である。一方のボクも、よくパソコンを立ち上げたままで外出してしまう癖がある。別に家族に見られて困るものがないというのがその理由なのだが、泥棒さんのことまで考えると、家の中のこととは言え、非常に危険かもしれない。長期間放置したら、再度、ログイン画面が出るように設定を変えた方がいいかもしれない。

2017年2月5日 これからのこと

このウェブサイトは果たして何のサイトなのか。最近、謎である。などとウェブ管理者としてはあるまじき発言(笑)。

もともとは創作サイトだったのに、途中から神話・伝承のウェブサイトになり、海外を飛び回っているうちに更新頻度が落ちていく。そして、取り留めのない雑記だけがたまに更新される。

今はこういう取り留めのない話題だったら、SNSの方が有効である。それでも、SNSに投稿しないのは、SNSはボクのリアル友人たちで繋がっていて、こちらはそうじゃない人たちが混ざっている、という違いがある。会社の人や学校の友人などは一部の人しかこのウェブサイトの存在を知らないだろう。

まあ、白状すれば、更新頻度が高い方がSEO的にはいいかな、と思って「日々の雑記」を始めた経緯があるので、非常に打算的なスタートだったと言える。今はあんまり更新頻度でウェブサイトが評価されるわけではないようなので、本来の意味を失っている。

せめて誰かの役に立つ情報でも発信して、情報そのものを意味のあるものにすればいいのだよなあ、とパキスタンのホテルでこの雑記を書いている。

今、ファンタジィ事典の大幅なリニューアルを考えている。パキスタンに2か月いるので、その間にある程度の準備してしまおうと思っている。ファンタジィ事典そのものをWordPress化することと、アクセシビリティを向上させえること、それから情報掲載の形を変えることを検討中だ。まあ、それがいつ日の目を見るかは分からないのだけれど、いいタイミングなので「日々の雑記」のあり方もちゃんと検討してみようと思う。大学生の頃からの惰性で今に至っているので、少しはドラスティックな方針転換が必要だろうと思っている。ウェブサイトそのものの構成が大学生の頃のままで、現状のボクの立ち位置と大きくズレているのだ、とも感じている。さてはて。

2017年2月5日 さよなら、キュレーションサイト!?

Googleが日本語検索におけるキュレーションメディアの駆逐に乗り出したらしい。どんなアルゴリズムなのかは分からないが、いい傾向だと思う。

本来はユーザの不満はキュレーションメディアそのものと、そういう情報発信の仕方をしている人たちに向かうべきで、決してGoogleに向かうところではないのだけれど、結果的に、Googleも対応せざるを得なくなった。検索結果に対するユーザの不満がこうやってGoogleを動かしたという意味では、画期的だと思う。

でも、ウェブサイトこうして検索サイトと情報発信者を巡るいたちごっこで、いつまでも続いていくのだろうなあ。純粋なユーザが不快に感じる「何か」を人工知能が理解して弾いてくれるのが一番いいのだけれど……。

そして切に願う。これを機に「NAVER まとめ」もいなくなれ!!

日本語検索の品質向上にむけて

2017年2月3日 ダダイズム、ダダイズム!!

体調不調である。全身、筋肉痛みたいになっていてダルい。まあ、飛行機移動の疲れもあるのだろうと自己分析して、早々にベッドイン。ゲスの極み乙女。をガンガンに流しながら就寝。以下、だらだらと書くが、最近、休日課長が立ち上げたDADARAYというバンドは結局、作詞作曲が絵音なわけで、活動停止って何だろか、と思わないでもない。でも、そういう意味でダダイズムなのかもしれない(笑)。中盤のベースが格好いいなあ。本音を言えば、ボク自身は、そもそも活動停止するほどのことではなかったと認識しているので(などと書くと各方面から攻撃されそうだが)、まあ、こういう形でゆるゆる活動するのもいいのではないか、と内心では思っている。いずれにしても、発売予定だったアルバムの『シア ワセ林檎』があまりにいい楽曲なので、いずれは発売して欲しいなあ。ぶつぶつぶつ。

2017年2月3日 宇宙人にさらわれて

パキスタンに飛び立つ直前、空港で銀行のキャッシュカードが使えなくなった。ATMに入れても拒否。カードが吐き出される。出発前の空港で右往左往である。まあ、鞄の中にドルが多少あるからいいかと諦める。でも、日本円の万札がないと海外で心許ないボクである。

先日、ボクの財布に入っていたツクル氏(息子)のカードも使えなくなった。結局、原因不明で再発行だ。もしかしたらボクは強烈な磁気嵐にでも遭ったのかもしれない。あるいは気づかないうちに宇宙人に拉致されて、頭に変なチップでも入れられて戻されたのかな。

なるべく財布も携帯は一緒にしないように注意していたつもりなので、非常に不可解である。もしこの銀行カードの寿命が3年くらいなのだとしたら困ったものであるが、さてはて。

2017年1月30日 2か月間のお別れ

本日から2か月間、パキスタン。ツクル氏が物心がついてから初めての長期出張だ。今までは明確な別れの意識はなかったようだ。でも、前回の渡航中に父不在を強く意識していた。LINEのモニタ越しにそれが伝わってきた。今回は明確に別れを意識していて、2、3日程前からそわそわしていた。いつもは寝起きも悪く、朝は決まって不機嫌なのに、今朝は5時から起こされて、いつもと違う厳か(?)な雰囲気の中、ちんまりと椅子に座って食事を食べていた。

彼の中では「パパー。パパは砂漠に水を引くお仕事なんだよね。そうなんだよね」ということらしい。常日頃、蛇口から飲める水が出るのは当たり前じゃないという話をしていて、ちゃんと水が出ない国のお手伝いをしていると話している。そういう話を拙い言葉で保育園の先生に説明したのだろう。先生と彼との間では「砂漠に水を引くお仕事」というところに落ち着いたらしい。まあ、それはそれでいいかと訂正はしていない。

玄関まで降りてきて、手を振ってのお別れ。彼にとって(もちろん、ボクにとっても)、長い2か月間の始まりだ。

2017年1月22日 ご当地メジェド様!?

エジプト神話関連のインターネット業界(?)では、かなり前から「メジェド」で大盛り上がりしていた。まとめサイトによれば、2012年頃から注目され始めたらしい。オバQみたいなかわいらしいシルエットと、その姿とは裏腹に目からビームが出たり、口から炎を吐いたり……とマニア受けのいい性格が人気の秘密だ。ゲームや漫画でも取り上げられて、まさに大フィーバーであった。まさか古代エジプト人も、こんな恰好で辺境の地・日本で「メジェド」が取り上げられるとは思ってもいなかっただろう。

先日、丹沢を訪れたら、こんなストラップが売っていて衝撃を受けた。

「ご当地メジェド様」

「メジェド」が浴衣を着ている!! 「ご当地○○」と言えば、ご存知、サンリオのハローキティ。そして、リラックマ、加藤茶、チョッパー。メジェドはこの流れに乗っていこうというのだから、ビックリ。そんなに知名度があるのだろうか。そして、ニーズがあるのだろうか。さてはて。

いずれにしても、メジェドが大フィーバーしていたのは少し前のことなので、「ご当地メジェド様」も、少し前に販売されたのだろうけれど、今頃になって、ボクは彼と遭遇して、ビックリしている。

* * *

ちなみにエジプト神話と言えば岡沢さんだけど、彼女は「メジェド」を別の神さまの別名(エピセットの類い)として捉えている模様。でも、絵としては非常にコミカルなので、ボクも岡沢さんと同じで、「メジェド」は「メジェド」でいいと考えようと思っている。

2017年1月15日 異端児を演じる常識人。

昔ッからNMB48の木下百花がぶっ飛んでいるなあと思っていた。髪の色が一人だけ派手(板野△どころの騒ぎじゃない!)だし、平然と虫を食べていたし、かなり目立っていた。でも、成人式の衣装を見てさらにぶっ魂消た。AKBグループみんながずらりと艶やかな着物を着て並んでいる中で、一人だけ地味な古着のスーツ。どこまでも媚びない。完全にはみ出し者である。成人式なんて人生に1度しかない晴れ舞台なので、その日くらい着物を着ればいいのに、などと思ってしまうボクは、結局、常識人である。

2017年1月11日 メール投稿の機能を加えてみたが

「日々の雑記」の記事をメールから投稿できるようにした。WordPressはいろんなことが比較的簡単にできるので助かる。これで更新頻度が増すというわけではないだろうが(結局、書こうと思い立つ気力の問題なので!)、でも、メモがてら、メールに記事を書き溜めて、それを送信することで公開できるようになった。それはそれで少しは改善である。

一番大きいのは海外からも更新できる点だ。今まで、Wi-Fiのセキュリティが悪くて、パキスタンやナイジェリアからWordPressにログインできなかった。だから、渡航中は更新が断絶していた。メールから投稿できるようになれば、Wi-Fiセキュリティは関係ないので、いつでも更新できる。問題は修正ができないという点。あ、しまった、と思っても取り返しがつかない。

2016年12月30日 

年の瀬に新年の挨拶を必死で書いて封入しているボク。通常、年賀状は25日までに投函する必要がある。でも我が家はB5雑誌の形態をとっているので定形外郵便になる。年賀状扱いにはならないので、順次、発送されてしまう。だから、明日、郵便局に持って行って、2日到着の予定だ。今年はメッセージカードも作成してみた。毎年、試行錯誤である。

2016年12月28日 イライラ

ボクはいつも何かしらにイライラしている。でも、このイライラがボクの原動力なので、そんなに悪いことじゃない。

何か気に入らないことや不満があるからイライラする。ボクはそのイライラを取り除こうとするだろう。すなわち、イライラは改善の始まりである。

もしもボクがイライラを感じなくなったとしたら、何の不満もないハッピィな世界になったか、気に入らない世界をボクが受け入れてしまったかのいずれかだ。

2016年11月18日 伝えたいこと、そして伝えようという意志

日本人は日本語が母国語なので巧みに操れる。それでも人前で喋るのが苦手な人も多い。自己紹介でもっと格好良く喋りたいとか、話し上手な人が羨ましいとか、上司を説得できないとか、営業で顧客の心を掴めないなどと悩んでいる人も多いだろう。

「英語が喋れる」からと言って、海外で通用するわけではない。日本語で格好良く自己紹介できない人は英語でも格好良く自己紹介はできないし、話下手な人はどれだけ英語が堪能だって相手との会話は弾まない。日本語で相手を説得できない人間が、どうやって英語で説得できるというのか。

ボクは日本でしょっちゅうケンカをしている気がする。納得できないと徹底抗戦の構えだ。外国にいたってそれは同じだ。絶対に引かない。納得するまで議論する。それがボクにとっては当たり前だった。でも、今回、パキスタンで一緒になった日本人は驚いたらしい。英語で1時間、相手と侃々諤々とやり合っているボクを見て驚いたのだそうだ。後から人伝に聞いた。

でも、自信満々に言うが、ボクは英語ができない。一緒に海外に行った日本人の中で、一番英語ができないのはボクだ。それでも、現地で一番真剣に口論をしていたのも、間違いなくボクである。これも自信がある。

英語は「魔法の言葉」ではない。日本で仕事ができない人は外国でも仕事はできない。日本語でプレゼンできない人が、日本語で物を教えられない人が、日本語で相手を説得できない人が、海外でうまくできるなんて幻想だ。伝えたいことがあって、伝えようという意志があって、初めて言葉は意味を持つ。それが英語か日本語かの違いだ。

2016年11月17日 ボクはきっとSNSに向いていない

SNS中毒という言葉が巷には溢れている。でも、幸いなことに、ボクはSNSに向いていないらしい。いつも、何か書こうと思いながら、忙しさに感けて、結局、何も書かない。書き始めても、続かない。

基本的には書くことが好きで、Wordには毎日何ページも日記を書く。でも、Facebookやtwitterの投稿ページを開くと、気持ちが萎えていく。えいや、と覚悟を決めないと書けないのだから、不思議だ。

最近、ボクはSNSに向いていないのだ、と自覚するようになった。きっと向いていないのだろう。それはとっても幸運なことだ、と思うボクである。

2016年11月16日 パキスタンより帰国!!

2か月、パキスタンに行っていた。向こうでもウェブサイトが更新できると高を括っていたが、セキュリティの関係でログインできず、更新できなかった。そんなわけでずぅっと音信不通になっていた。一昨日の夜に帰国し、昨日、いろいろと日本に溜まっていた仕事をやっつけて、ようやく、今日、こうして自宅でパソコンに向き合っている。Wi-Fiのセキュリティの低さは認識していたけれど、まさかホテルのWi-FiでさえもWordPressが弾いてくるとは、想定外である。

子供がもう少しで3歳になる。段々、父親と離れているということに対して、いろいろと考える歳になってきたようだ。大昔と違って、FaceTimeやLINEがあるので、モニタ越しに会話はできる。帰国日が近づいてくると、すごく嬉しそうな顔をして「パパ、早く帰ってきてねー」などと喋って手を振っている。成長が見えるので、安心できるし、それはそれで幸せである。でも、寂しそうな顔を見せられるので、切なくなることもある。

そんなわけで取り敢えずの帰国報告である。

2016年9月4日 過去のイラストをアップロードし忘れていた件www

年賀雑誌の作成をしながら、過去の表紙の絵を整理していたら、2年前(未年)のケネムゥと昨年(申年)のイエティの絵をウェブサイトにアップしていないことに気がついた(笑)。慌ててウェブサイトにアップロード。何のために描いた絵だというのか!!

折角なので、ここにもあげておこうと思う。

■エジプト神話のケネムゥ神

ケネムゥ

意外とヒツジに関連する妖怪っていないので困っている。次の未年には何を描いたらいいのだろうか。うーん。轆轤で人間を創った神さまなので、轆轤を回しているところ。一応、少し時代が経って、2種類の角がついているヴァージョンを描いてみた。すでに真横に角が伸びたヒツジは絶滅しているので、現実には巻いた角のヒツジしかいなかった時代に、苦肉の策で両方の角があるケネムゥ神(笑)。

■未確認生物のイエティ

イエティ

ジェッソで雪を描くという新しいことに挑戦。イラストそのものはデイリー紙のイエティ像をそのまんま採用したので、まあ、デザイン的には普通。足を小さくしてグロテスクな感じにしたところがオリジナリティと言えば、オリジナリティ(笑)?

2016年8月30日 メールの添付ファイルとパスワード

今、お付き合いしている会社は、添付ファイルがあると常にパスワードを自動生成して「パスワードは別のメールで送ります」方式だ。別にこの会社をdisるわけではないが、もう少し何とかならないの? と思う。毎回、毎回、添付ファイルを開くためにパスワードをコピペしなきゃいけないし、デスクトップなりどこかに解凍したフォルダが生成されてしまうので、毎回、空フォルダをゴミ箱に棄てなきゃいけない。面倒臭いのである。

実際問題、セキュリティにはランクがあって然るべきで、どうでもいいファイルにまでご丁寧にセキュリティをかける必要はないし、本当に大事なファイルをこれで守れていると思っているようなら甘いわけで、適宜、その必要性を判断する必要がある。自動生成のパスワードなんて、何も考えていないわけで、ホント、バカバカしいと思う。

この「パスワードは別のメールで送ります」方式のメリット(とされているもの)は、

(1)1通目が誤送信した場合でも、2通目を送るときに気がつく!
(2)ウィルス感染したときのメールの流出時も安心!
(3)タッピング(盗聴)されても本文にパスワードがないから大丈夫!

とされていて、その一方でデメリットとして、

(ア)とっても面倒臭い(←これ、とても大事!!)
(イ)暗号化されたファイルは逆にウィルスチェックができない!!

というのがあるわけだけど、(1)について言えば、メールなんて返信と転送で送る人が大半だし、メアドをコピペして対応しているわけだから、1通目に誤送信したら2通目も必然的に誤送信になるパターンが多い。そんなものよりも、送信ボタンを押した後に1分間送信されずに送信フォルダに留まり続けるように設定をした方が効果的だ。1分間は「あ、しまった!」と思っても取り消すことができる。(2)についてはウィルス対策はウィルスソフトでやることであって、日常的な面倒臭さを押してメール操作でやることじゃないと思うし、送り先に送ってしまったものを心配しているとすれば、先方に失礼である。それにデメリットの(イ)にもあるとおり、受け取る側からすれば暗号化されたファイルはウィルスチェックができないので、まずはダウンロードしてパスワードを解除する必要がある。(3)については、悪意ある人間に1通目が抜き取られたら、間違いなく2通目も抜き取られるので、そもそも別メールでパスワードを送る意味はない。

それにそもそも論として、ZIPのパスワードなんてすぐに解析されてしまうので、これで守れているなんて思い上がりも甚だしいので、本当に大事なファイルはこの送り方ではダメ。「パスワードは別のメールで送ります」方式は、一見、ちゃんと手続きを踏んでいるので、セキュリティ上、安心だと思わせている。実のところ、このことが大問題である。

大体、ボクはZIPのパスワードではなくって、WordやExcelのファイルそのものにパスワードをつけた方が安心だと思っている。毎回、そのファイルを開くたびにパスワードを入力するのは面倒臭いが、実はZIPよりも複雑で解析が難しいし、受け取った人がぽい、と会社の共有フォルダに入れた場合でも、ファイルそのものにパスワードが掛かっているので、他の人が簡単には開けない。ZIPファイルで送付されたファイルは通常、メールの受信者がパスワードを解除する。そうなったら、その後、ファイルそのものは丸腰になるのである。

などといろいろと理屈っぽく書いているが、何よりも「面倒臭い」というのが一番の欠点だ。こういう変なセキュリティにこだわっている会社の人が、だんだん嫌いになりそうだ。

ところで、実はここからが本日の主題なんだけど、セキュリティ上、どうでもいいようなファイルが、自動生成されたパスワードを付されて「パスワードは別のメールで送ります」方式で添付されて送られてきて、「添付ファイルにデータを記入の上、返送してください!」と依頼された場合、やっぱりこっちもパスワードをつけて返送する必要があるのだろうか。こういうのって、マナーとしてどう考えたらいいのか。うーん。悩ましいぜ。