最強のギタリスト:アバウトな創作工房

最強のギタリスト

1、給湯室と煙草

「春日部くんの夢は何?」
 ある日、白鷺先輩が俺に訊いてきた。
「何すか、突然」
 オフィスの給湯室。昼休みだった。先輩は俺が所属した部署の4つ上。入社したての頃、お世話になった関係でこうやって、昼休みはよく無駄話をしたりするのだった。
「いや、キミの目がどこまでもこう冷めてる感じがね。嫌だったりするわけよ」
 先輩は煙草を片手に言った。
「俺が高校生の頃には、夢なんて持ってるやつ、いなかったですよ? 夢なんて見るもんじゃない。堅実に行くんだって」
「へぇ……」
 先輩はふぅ、と煙草の煙を天井に向かって吐き出した。
「……でも、中坊のときは最強のギタリストになるんだって決めてました」
「最強のギタリスト? 何よ、それ」
 先輩はくすくすと笑った。
「最強のギタリストってのは、最強のギタリストですよ」
 俺は言った。
「へぇ……」
 もう一度、先輩はふぅ、と煙を吐き出した。
「でも、結局はこうやってサラリーマンなんかやってるんですけど…」
 ボクは言った。
「あら、それって私の職業もバカにしてるわけよね?」
 先輩は指で俺を小突いた。
「そういう先輩は何になりたかったんです?」
 俺は慌てて聞き返した。けれど、これはいい機会だな、と思った。この部署で営業成績がダントツトップの白鷺先輩。そのプライベートを、その実、俺はまるで知らなかったから。クールなオフィスレディの夢ってのは何だったんだろう。
 白鷺先輩はくるりと振り返って、そしてはっきりと言った。
「私はね、魔王になりたかったの。世界征服」
「セカイセイフク?」
 俺はきっときょとんとしていただろう。けれど、先輩はどこまでも真顔だった。それからしばしの後、俺はからかわれたのだと思った。
「イヤ、先輩。それってガキの妄想じゃないですかぁ」
「妄想?」
 先輩は眉を寄せた。
「だって、征服してどうするのか、とか。何がしたいのか、とか。そんなこと、何も考えてないで。ただ響きだけ。響きだけ格好良いからやりたい、みたいな。そんな感じじゃないっすか」
「それはキミ、何も考えてないアンポンタンとこの私を同一視してるわけね?」
 先輩はちょっと小首を傾げた。
「私はね、こんな世界を壊してやりたいのよ」
 どこまでも真剣な顔をした先輩だった。

2、友人とウィスキィ

「春日部、今、何やってんの?」
 ちょっと小洒落たバーで、俺の友人の久坂大樹が訊いてきた。偶然、街角でばったり出くわしたのだ。五年振りの再会だった。
「企業戦士さ」
 俺はおどけて言ってみた。
「ふぅん……」
 大樹はウィスキィのグラスを片手で弄びながら、首をくるくると回した。
「お前こそ、何やってるんだよ、今?」
 今度は俺が訊いた。彼が高校を卒業してから何をやっているのか、俺はまったく知らなかった。
「プーだよ」
 そう言って、それから大樹はくくっと小さく笑った。そして、
「で、お前、最近はギター弾いてんの?」
「イヤ、全然」
 俺は答えた。
「……そっかぁ」
 大樹は天井を見上げた。つられて俺も上を見る。天井をくるくるとシーリング・ファンが回っていた。バカみたいにくるくると……。
「俺は、さ……」
 不意に大樹が呟いた。
「ん?」
 あまりに小さな声だったので、俺はそっと彼の口元に耳を寄せた。
「俺は勇者になりたかったんだよなぁ、昔っから」
「勇者?」
 俺は繰り返した。
「勇者って何だよ」
「勇者ってのは、魔王からこの世界を救うのさ」
 さも当然とでもいうように大樹は答えた。ああ、まるでどこかで聞いたような話だな、と思った。何となく、白鷺先輩の笑顔を思い出す。
「何だかな」
 俺は苦笑した。
「俺の先輩にさー……」
 俺が切り出そうとすると、
「お前、最強のギタリストってのになりたかったんじゃないのかよ?」
 大樹が言った。俺はちょっと首を傾げて見せた。
「何でやめちまうんだよ」
 大樹は詰問するかのように俺に食ってかかってきた。
「いや、だって無理だろ」
 俺はへらへらと笑った。
「何で諦めちまうんだよ。何で諦めちまえるんだよ……」
 大樹は泣いていた。酔っていたのかもしれない。けれど、彼は泣いていた。何故だか、俺は無性に虚しくなった。俺も酔っ払ったのかもしれない、と少しだけ思った。

3、ジミ・ヘンドリックスのギター

 俺はいつもの電車に乗って、いつもの道を歩いて、いつものようにオフィスに向かっていた。薄曇りの妙な空だった。ふと、声をかけられた。
「よぉ、兄ちゃん。ギターはいらねぇか?」
 振り返ると無精髭の妙にちゃらちゃらした男がへらへらと露店を開いていた。ガードレールに背を向けて、歩道の真ん中を陣取るような格好である。
「俺っち、もうギターやらないからさぁ、兄ちゃん、代わりにやらねぇか?」
 俺は足を思わず足を止め、目を細めた。驚いたことに、ジミヘンが昔好んで使っていたのと同じモデルのギターだった。
「あぁ、これ? フェンダーのストラトキャスタだぜぇ、ヘヘヘ」
 露店商がへらへらと笑った。
「なぁ。これ、いらねぇか?」
 ぐぃっと俺の目の前にギターを突き出す。それを片手で制しながらも、俺はチラリと横目で値段を見た。買えない額ではない。無理すれば何とか……。イヤ、ジミヘンの初期のモデルをこんな値段で買えるとしたら、それは破格の値段だった。当然買うべき品だ。俺はごくりと喉を鳴らした。けれど、
「イヤ、いらない」
 俺は言った。こんなものはもう必要ない。とうの昔に捨てたものだ。
「ジミヘンのモデルだぜぇ? こんなん、簡単に手に入らねぇんだぜぇ?」
「知ってるよ」
「だったらさぁ」
 露店商が何か言いかけたが、
「いらないんだ。もう必要ないんだ」
 俺ははっきりと言った。
……何で諦めちまえるんだよ……
 大樹の声が聞こえた気がした。けれど……
「あぁ、そぅ」
 露店商がぽりぽりと頭を掻いた。それからつまらなそうにギターをぶらぶらと振った。俺はそれを横目に、さっさとオフィスに向かって歩き出す。信号機が赤になって、俺は立ち止まる。振り返るまい。俺は思った。何故だろう。妙に喉が渇いていた。カリカリと苛立ちを覚えていた。
「春日部くん、おはよう」
 赤い服が目に飛び込んできて……
「あぁ、先輩。おはようございます」
 俺はにっこりと微笑んだ。
「どした? 顔が青いぞ?」
 先輩が人差し指を突き出して、俺の頬に突き刺した。
「先輩、俺ってバカですかね?」
「バカよ、大バカでしょ?」
 先輩がころころと笑った。

4、憧れと耳鳴りと

 雨の日だった。その日の朝、白鷺先輩は出社して来なかった。
「どうしたんじゃろ、白鷺くん。何かあったんじゃろうか」
 広島出身の上司が俺に訊いたが、俺だってそんなことは知らない。先輩は社内では真面目で通っていたし、今まで無断欠勤なんてしたことはなかったはずだ。寝坊なんて、あの先輩からは想像できない。
 不意に俺のデスクの電話が光った。
「はい、楠木商業株式会社、営業部、春日部です」
「あー、春日部くん? 私だけど……」
 のんびりとした先輩の声が受話器越しに聞こえてきた。
「ああ、先輩、何やってるんすか?」
「実はさー……」
 先輩が説明を始めた。意味が分からなかった。イヤ、むしろ何の話だろうか、と思った。先輩の話を要約するならば、先輩が魔王になれたのだ、という話だった。要約しなくたって、そんなことを何度も、何度も、先輩は俺に言った。
「先輩、冗談は止めて下さいよ」
 俺は言った。
「俺は先輩に憧れてるんです。先輩のように仕事のできる人間になりたいって思っているんです。先輩、俺をからかってるんですか?」
「キミは最強のギタリストになりたいんでしょう?」
 電話越しに、唐突に先輩が言った。
「そんなのは昔の話です」
「違うわ」
「違いません!」
 俺は叫んで、先輩は黙った。同僚たちが何事かと俺を見る。けれど、そんなことを気にしてる場合ではなかった。人生に一世一代の勝負のときがあるのならば、それは多分今なのだ、と思った。
「先輩、俺は先輩のこと……」
「春日部くん。私は不思議な力を手に入れたのよ」
 先輩が言った。
「何です、その不思議な力って?」
 俺はゆっくりと丁寧に訊いた。落ち着こうと努力していたせいかもしれない。
「魔法の力だわ」
 先輩は、俺よりもさらにゆっくりとそう言った。まるで俺に分からせようとしているかのようだった。俺は息をするのも忘れて立っていた。
「……先輩は、きっと、疲れているんです。夢を見ているんです」
 吐き出すように、俺はそう言った。何だか無性に悲しくて……
「窓の外を見て」
 先輩がそう言って、俺は導かれるように窓の外に目を向けた。
 そうしたら、
 先輩が、
 浮かんでいた。
 宙に、
 浮かんで―――
 ガラガラと何かが音を立てて崩れて行くような感覚。俺は必死で理性をつなぎとめようと、何かを必死でつかもうとした。窓に向かって、走って、先輩が、杖を翳し、窓が消えて、俺は、空中に、放り出され、そして……
「先輩!」
 先輩の右手が俺の右手をつかんでいた。
「春日部くん、私は今日から魔王なのだわ」
 妙に落ち着いた口調の先輩。けれど、ここは四階の高さ。ぐるぐると目が回った。部署の同僚たちが何事かを喚いている声が聞こえた気がする。けれど、俺の耳には何も入ってこなかった。軽い頭痛。そしてごうごうと耳鳴りがしていた。

5、夢の続き

 テレビを見ていた。俺は先輩の部屋にいた。
「どうするんですか。マスコミが魔王降臨を報道していますよ」
 俺は言って、
「そりゃーそうよ。私、世界征服を宣言したもの」
 先輩が何でもないかのように返した。
「いつだったかの夜に、露店商から不思議な杖を買ったのよ」
 先輩がワインを入れて、それを俺にくれた。
「最初は疑心暗鬼だったんだけど、ね。だんだん、使い方を覚えたの」
 先輩は杖をこんこん、と小突いた。
「コツを掴んできた。ね。私、魔王になれたんだ」
 先輩のお洒落な部屋から見る夜景は最高だった。けれども、置かれている状況は最悪だった。俺はゆっくりとワインに口をつける。
「……いつだったか」
 俺はゆっくりと口を開いた。
「いつだったか、先輩、言ってたじゃないですか。こんな世界を壊してやりたいって」
 先輩は軽く頷いた。
「何でですか?」
 部屋に二人きり。それはそれで、何だかとっても素敵な雰囲気だった。
「この世界が嫌いだったから、かしら」
 先輩は笑った。
「嘘っぱちな気がして嫌いだった」
 先輩はそう言って、自分のグラスにもワインを注ぐと、ぐぃっと飲んだ。
「みんな、臆病なんだもの」
 俺は、何となく先輩の言いたいことが分かっていた。
「春日部くん。誰もが下らないものに必死でしがみついている」
「でも、先輩。それで安心して暮らしていけます」
 俺は言った。
「そうね」
 先輩はひらひらと手を振った。俺は、俺が先輩に憧れた理由も、大樹に嫉妬した理由も、今では何となく分かりかけていた。
「俺はバカですかね?」
 もう一度、俺は訊いてみた。
「まだ、間に合うかもしれないじゃない?」
 先輩が笑った。
「そうでしょうか」
 俺は先輩を見た。
「結局のところ、先輩が壊したいのは……」
 先輩は静かに微笑んだ。俺は軽くうなずくと立ち上がった。そうだ。露店商を探さなくてはならない。ストラトキャスタを探さなければ。ジミヘンのギターを手に入れなければ。俺は最強のギタリストになるのだ。涙が頬を伝った。忘れていた感情だった。

6、再会、そして急展開

 気がつくと、俺は会社の前の歩道にいた。果たして、露店商はギターを片手に俺を待っていた。
「ようやく、こいつを取りに来やがったねぇ」
 露店商はそう言ってストラトキャスタの腹をぽんぽんっと軽く叩いた。俺は金を払うとギターをひったくった。
「こいつぁ、アンタのもんだって、そういう運命だったんだからなぁ、へへへ」
「あぁ。俺がバカだった」
 俺はそう言うと、ヘタな笑顔を作った。その瞬間、ドーン、と遠くで爆発のような音がして、ヒカリの束が天に向かって昇って行くのが見えた。そのあまりの振動に俺はひっくり返った。
「あぁ、いよいよ、魔王と勇者のご対面ってヤツだねぇ、へへへ」
 露店商はニヤニヤと笑った。俺は夜空を見上げた。ヒカリがキラキラと星空に吸い込まれていった。
「白鷺先輩……」
 俺はぽつりと呟いた。
「あれ? 春日部じゃねぇかよ」
 ギターを抱えて突っ立っていた俺は、その声で我に返った。振り返ると、そこに友人が立っていた。久坂大樹。俺は視線をゆっくりと彼に這わす。
「お前……」
「あぁ、それ、ギターじゃねぇか。そうか。お前、もう一度やる気になったのか!」
 大樹はニヤリと笑った。
「よかった、よかった」
「……お前、それは……」
 俺は言葉の後半を飲み込んだ。何故って、友人の左手には、燦然と光り輝く剣が握られていたのだ。
「それじゃ……」
 俺は全てを理解していた。
「お前、まさか勇者に」
「そうさ。俺は魔王を探している。そしてヤツの息の根を止める」
 大樹は拳をグッと握り締めて、そして夜空に突き上げた。さながら正義のヒーローであった。
「何でだよ?」
 俺は叫んだ。
「何で? 決まっているだろう? そいつが魔王だからさ」
 友人は笑った。
「この日を待っていたんだ。遂に魔王が現れたのさ」
 そのとき、また遠くでヒカリの筋が立ち上った。
「あっちだな!」
 大樹が嬉々として叫び、そして駆け出した。
「待て! 待てよ!」
 俺は慌てて友人を追いかけて駆け出した。あまりに急な展開だった。

7、最強のギタリスト

 先輩は真っ直ぐとそこに立っていた。俺はどうやら友人よりも早く先輩の下に辿り着けたらしい。先輩の家を知っているのだから、これは情報量の勝利であって、当然と言えば当然の帰結である。けれども、既にそこにはたくさんの人間が集まっていて、あるいはぶっ倒れていた。みんな、一様に武器や防具をその身にまとっている。
「先輩ッ!」
 白鷺先輩はゆっくりと振り返り、俺の肩からかかっているギターに目を細めた。
「何なんですか、これは」
「みんな、魔王を倒しにきたのよ。それが彼らの夢なのよ。みんな、魔王の誕生を待ち焦がれていたのね」
 先輩は笑った。そして、杖を翳した。ヒカリが杖の先に収束して、そして爆発した。残りの戦士たちも、みんな、片っ端から昏倒していた。
「止めましょうよ、先輩」
「どうして?」
 先輩が聞いた。
「こんなことをしたって、世界は変わりませんよ。先輩の望む世界にはならない」
 俺はギターを掲げた。
「俺がこいつで歌います。世界人類に、お前らバカじゃねぇのかって。声の限りに歌いますから」
 俺は必死で言葉を紡いだ。
「こいつで、このストラトキャスタで、俺は世界を征服して見せます。だから……」
 先輩はじっと俺を見ていた。俺も、先輩の瞳を見つめた。
「見つけたぞ、魔王!」
 戸口に大樹が現れた。彼の左手に輝く光の剣。
「待て、待ってくれ、大樹ッ!」
 俺は先輩の前に立ち塞がった。
「どいてろ、春日部! 俺はそいつを倒すんだ!」
 大樹が叫んで、先輩が俺を吹っ飛ばした。
「倒せるものなら倒して御覧なさい!」
 先輩が高笑いと共に杖を振る。
「止めろ、大樹ッ!」
 俺は叫んでいた。
「俺はお前を倒すッ!」
「先輩ッ!」
 俺はまた叫んだ。
「アァァァァァッ!」
「ウォォォォォッ!」
 高エナジィと高エナジィがぶつかり合って、何度も、何度も、激しい爆発が起こった。俺はギターのヘッドを強く握り締めると、さながら戦場の中へ、一歩、一歩、進軍していく兵士であった。風が外へ、外へと吹き荒れる。
 不意に、静けさが辺りに充満し、衝突が途絶えた。静寂の輪の中、先輩の胸を深々と剣が貫いていた。俺は声にならない声を上げて先輩に走り寄った。
「先輩……、先輩!」
「アハハハハ」
 勇者は笑っていた。静寂の真ん中で、笑っていた。
「アハハハハ」
 俺は先輩を抱きかかえた。
「先輩……確かに俺たちは臆病かもしれない」
 俺は静かに呟いていた。
「どこかで夢にしがみつきながら、どこかで夢を放棄している」
 先輩を抱き締める。
「俺は最強のギタリストです、先輩」
 先輩の血が、俺の足元に流れてきた。
「最強のギタリストってのは信念を曲げないんです」
 俺は立ち上がった。
「俺、先輩が大好きなんです。ほら。大好きで、大好きでたまらないんです」
 先輩が、少し、笑ったような気がした。
 俺は先輩の杖を強く握り締めると、勇者に向かって行った。杖の先からヒカリは出てこなかった。何度も、何度も、振りかぶった。ただの一度も、ヒカリは出てこなかった。それでも、俺はぶんぶんと杖を振り回した。涙が、止まらなかった。とめどなく、とめどなく、涙があふれて止まなかった。
 何度目かの攻撃の末、ようやく俺の杖が勇者の脳天に命中して、勇者はそのまま昏倒した。俺はそのままずるずるとへたり込むと、そこでギターを弾いた。彼女へのレクイエムのギターを弾いた。瓦礫の中でギターを弾いた。血の海の中でギターを弾いた。世界中が、臆病でなくなることを祈りながら、ギターを弾いた。今日から俺は、最強のギタリストだ。