2023年10月4日 フィリピン妖怪から始めてみよう。

相も変わらず、フィリピンの妖怪を調査している。もう少し整理したら、またファンタジィ事典にも反映させたいと思っている。そのときには、イラストを添えてフィリピンの妖怪を紹介できたらよいなと思う。日本で知名度の低い妖怪は、イラストを援用することで、少しでも知名度を高められたらよい。そんな密やかな構想である。

こんなことが可能になったのは、Aswang Projectのお陰だ。いろんなフィリピン妖怪を掲載してくれている。姿・形の詳細が載っていないものが多いので、イラストに起こすのは大変なんだけど、それでも、最近はフィリピンのイラストレータさんがフィリピン妖怪を描くようになっているので、現地でどういう風に捉えられているのかが、少しずつ把握できるようになってきている。勿論、イラストレータさんの独自の解釈とかアイディアが盛り込まれているはずなので、完全に信頼できるわけではない。でも、少なくとも、現地ではこういう風に解釈されているという一端を知ることはできる。

たとえば、アスワンの一種であるマナマンガルという妖怪は、下半身から切り離されて、上半身だけが空を飛ぶイメージが定着している。上半身からは腸がはみ出しているイラストが多い。一方で、ウンガウンガという妖怪は、マナナンガルに似ているけれど、上半身ではなく、首だけが身体から切り離されて空を飛ぶ。しかも、肺、胃、腸などが一緒になって首にくっついて飛び出してくる。そんなイラストを多くのフィリピンのイラストレータが描いている。インドネシアやタイ、ラオスにも、首だけが内臓をぶら下げて飛んでいる妖怪がたくさんいる。ウンガウンガは、そういう東南アジアの妖怪の方に近い姿だ。こういうのをイラストで描いて紹介すれば、フィリピン妖怪の知名度が上がるのではないか。それがうまく行けば、インドネシア妖怪やミャンマー妖怪でも同様の取り組みをしていきたいところだ。

  

2023年7月2日 フィリピンは多民族国家であり、土着の精霊信仰がある。

ウェブサイト「ファンタジィ事典」ではここのところフィリピン伝承を整理しているところなので、頭の整理も兼ねて、少しだけフィリピンについてまとめておこうと思う。

フィリピンと言えば、英語ネイティブで熱心なカトリック教徒の国というイメージがある。厳格なカトリックなので、法律上、離婚制度がないというのも有名な話だ。でも、実際にはフィリピンは7,000もの島々からなる多民族国家で、180以上の民族が暮らしていて、それぞれに言語もたくさんある。

フィリピンは、オランダやアメリカに植民地支配され、一時は日本にも統治された歴史を持つが、そんな歴史の中で、独立運動の中心になったのがタガログ族だった。ルソン島を中心に暮らしていて、現在、公用語になっているフィリピン語は、タガログ語を標準化したものである。セブを中心としたヴィサヤ諸島にはヴィサヤ族が暮らしていて、セブアノ語を話す。ミンダナオ島の西部やスールー諸島では、ムスリムが暮らしている。歴史的には、インドネシアやマレーシアからイスラームが流入し、15世紀や16世紀にはフィリピンにスールー王国やマギンダナオ王国などのイスラーム国家が成立している。スールー諸島やマギンダナオに点在するこれらのイスラームの民族はモロ族と呼ばれている。その他、ルソン島の山岳部などに多数の少数民族がいて、現在でも独自の文化を残している。

実際、ボクは2014年に仕事でフィリピンに行った。そのときには、サンボアンガはイスラーム過激派の拠点になっていて、ミンダナオ島は護衛警官と一緒じゃなきゃ町中を歩けなかった。また、ルソン島の山岳民族が信じる先祖霊「アニト」とされる木製の人形がたくさん売っていた(後から調べたところ、必ずしもアニトはルソン島の少数民族だけに伝わるものではなくて、フィリピン全土で信仰されていた土着の精霊信仰のようだけれど)。

それぞれの民族には、それぞれの神話があったようで、たとえば、タガログ族では、バタラと呼ばれる創造神が最高神だとされる。ヴィサヤ族ではカプタンと呼ばれる天空神が最高神だ。その他、たとえばイフガオ族であればカブニアン神、ティンギアン族であればバガトゥラヤン神、ガダン族であればナノライ神、ヒリガイノン族であればラオン神が最高神であるらしい。当然、それぞれの民族は互いに影響を与えながらも、それぞれ独自の神さまと神話を持っていたらしい。その辺の詳細は、追々調査していかなきゃいけないなあ。

  

2023年6月10日 アスワン・プロジェクト

昔から犬のクンクン by 河村賢一というウェブサイトがあって、フィリピン在住の管理人が、日本語でフィリピン文化やフィリピン情報を発信してくれていた。そこにかなり詳細に「フィリピンの妖怪」がエンタメたっぷりにまとめられていた。ボクは結構、フィリピンの妖怪に関しては、そこの情報を最初の足掛かりにして、その後、英語やタガログ語で調べてみて、情報を拾ってまとめていた。

最近、また面白いことがしたいなー、と思って、改めて「フィリピンの妖怪」を整理しようと思い立った。何しろ、ボクは2014年から2016年までに、8回もお仕事でフィリピンに行っていたのだ。フィリピンの雰囲気はよく分かる。あの国を跋扈する妖怪たちは、容易に想像ができる。それでもう一度、フィリピンの妖怪を調査し始めたら、「The Aswang Project」というウェブサイトを発見した。YouTubeもある。結構、細かくフィリピンの伝承上の妖怪たちを調査して、まとめてくれている。特にA Compendium of Creatures from Philippine Folklore & Mythology(フィリピンの神話・伝承の生き物の概要)というページがいい。

単純に「ああ、これは凄いウェブサイトだ」と思った。こういう伝承の類の妖怪は収集が要だ。日本でも、その昔、民俗学で柳田國男などの先人たちが足を使ってフィールドワークをして、妖怪や怪異の情報を収集してくれた。だから、日本は妖怪の情報が豊富にある。今はオンラインの時代だ。フィリピンでは、こうして「The Aswang Project」が始動して、オンライン上にフィリピン各地の情報を集めることができたら、ものすごい価値のあるサイトになる。まだ辞書っぽい印象もあって、解説としては物足りない側面もあるんだけど、妖怪に関わる固有名詞を大量に集めてくれているのは素敵だ。しかも知名度のある妖怪は、分析記事に書いているライタもいて、そこにリンクが貼られていたりする。YouTubeなんかでも仰々しく情報発信していて面白い。

日本では、あんまりフィリピンの妖怪って知られていないけれど、こういうプラットフォームがフィリピンに出来ているのなら、日本にフィリピンの妖怪を紹介するのも一興だなあ、と思った。しかも、YouTubeの英語を聞いていても、ちゃんと聞き取れるくらいにはボクの英語も上達している(笑)。

そんなわけで、引き続き、今年はミャンマーの37柱の精霊ナッも更新は続けつつ、一方でフィリピンの妖怪もフォローして、こういうマイナな妖怪に関しては、絵も添えて、イメージを強く喚起していく方向で進めてみようかな、と思っている。

  

2020年4月17日 インドネシアの妖怪、フィリピンの妖怪!?

インドネシアのニュースを昨日、紹介した。インドネシアの妖怪「ポチョン」に扮した若者が新型コロナウイルス感染対策として、町に出ているというニュース。それに引きずられる格好で、ファンタジィ事典もインドネシアの妖怪をいくつか更新した。スンデル・ボロントゥユルポチョンポンティアナックだ。そして、ついでにフィリピンの妖怪も載せておこうと思って、エクエクチャーナックマナナンガルワクワクも更新した。インドネシアもフィリピンも、仕事で行ったことがある。だから、何となく馴染みがあって、妖怪も調べたりする。どちらも、おどろおどろしい点で、何となく似ている。もっともっと有名になってもいいのにな、と感じる。

2016年1月13日 レチョン・バボイのその後

フィリピンではしばしば、お祝いの際にはレチョン・バボイ(Lechon Baboy)が登場する。レチョン・バボイとはタガログ語で《豚の丸焼き》という意味。今回のフィリピンの渡航でも、ラップアップ・セミナが終わった後、満を持してレチョン・バボイが登場した。何度もフィリピンに渡航したけれど、これで3回目の面会だ。

卓上のレチョン・バボイ
卓上のレチョン・バボイ

バボイの頭部
食べ終わったレチョン・バボイの頭部

う、うーん。食後のレチョン・バボイを写真に撮ると、なかなかインパクトがある(笑)。味は、かなり脂っこい。でも、皮は鳥皮のようなパリパリした感じで、非常に香ばしく、美味しい。

2016年1月11日 シヌログ祭

セブのカウンターパートの執務室に行ったら、部屋中がピンクや黄色、緑の色紙でド派手に装飾されている。ボクはフィリピンなので、てっきりクリスマスの名残かな、と思った。あるいは1月なので、新年のお祝いの名残なのかもしれない。ところが、マム・ヘレンに説明を求めると、これはシヌログ祭の期間中だからだという。

フィリピン各地には町の守護聖人がいて、それを祝う「フィエスタ」という祭りがある。セブはマゼラン大佐が持ち込んだ幼きイエスの像「サント・ニーニョ」を祀る。これを祀ったお祭りが「シヌログ祭」で、9日間、続く。最終日には、幼きイエスの像が登場する。ホント、フィリピン人はお祭り大好きで、1年中、お祭りばっかりだ。

最近では、シヌログ祭といえば、ダンスの祭典として有名になっている。各地のダンス・チームの代表が集まって、町中で競い合うらしい。みんな、シヌログ祭への参加を勧めてくるが、残念ながら、本番は日曜日らしい。その頃には日本だ。あらまあ。残念。

2016年1月10日 これもひとつの親孝行か!?

行ってしまって、逃げてしまって、去ってしまって……で知られる年度末だ。ボクの怒涛の年度末も本日から開始。

これからフィリピンに出発する。今回は1週間の渡航だけど、帰国して1週間したら、今度はナイジェリアへの渡航が30日間、それからその2週間後にはスーダンの25日間の渡航が待っている。ほとんど海外に行って本年度が終わってしまう計算だ。誰がこんな人生を予想していただろう。

今までずぅっと知らなかったが、母親はボクに世界で活躍する人になって欲しかったらしい。ちぃ子(妻)に「こんな形で夢が叶った」と嬉しそうに語ったらしい。おっかしいなー。「医者か公務員か学者になれ」と言われて育ったような気がするんだけど……。ママン、実は密かにそんな夢があったんだねー。果たしてその夢が叶ったと言えるのかどうなのか……。いずれにしても、この仕事であっちこっちに飛び回って、ちぃ子やツクル氏(息子)には苦労を掛けているが、ひとつの親孝行になっているのかもしれない。

そんなわけで、ちょっとフィリピンに行って参る!! 1週間だと、もう、気楽な旅に感じてしまうボクである(笑)。

2015年2月8日 今回はボホール島にも行くゾ!!

3度目のセブだ。そして、今回はボホール島にも行く。楽しみだ。

14時25分のフライト。前回、同じ時間の飛行機が欠航になって、結局、夜中の2時にやっとこさっとこセブのホテルに着いた。だから、成田でおそるおそる電光掲示板をチェックする。よかった。予定通り、と一安心。

今回はお客さんが多く、ほぼ満席だ。ボーディング・タイムを少し過ぎてから、酔っ払った日本人の集団が乗り込んできた。「だから、ライターはダメだって言ったじゃん!」「や、1つ出したんだけど、2つ入っているとは気づかなかった。カバンの中だったからさー。わははー」などとやっていてウンザリする。品がないな、と思う。

それでも、到着はほぼ予定どおり。20時半頃にはParklane Hotelに到着。現地で先発隊と合流。早速、典型的なフィリピン料理を堪能だ。

2014年10月23日 ブルルを探して三千里

本日、フィリピンより帰国。結局、ブルル(Bulul)の木像を発見できず。ブルルというのはフィリピンの精霊信仰に登場する田の神さまの名前だ。下級精霊みたいなもの。フィリピンでは、今でも一部、少数民族の間に精霊信仰が残っている。ブルルは、一見すると、膝を抱えて、体育座りで落ち込んだような姿の木像だ。何でそんなヘンテコな格好をしているのかは分からない。試しにBululでgoogleの画像検索でもすれば、たくさん出て来る。

面白いので、ボクも欲しいなあ、と思っていたわけ。マニラで買えるみたいな話だったんだけど、結局、見つからなかった。残念だ。ルソンの山岳地域の、少数民族がいるところに行かなきゃいけないのだろう。

まあ、仕事柄、もう何回かフィリピンを訪問するので、もう一度、トライしてみようと思っている。そう思えることが大変、贅沢なことだ。大抵の場合、海外旅行って、一度きりだ、と覚悟をするわけなのに……。

2014年10月12日 陳列の良さと品揃えの良さ

本日よりフィリピンに出発。今回は12日間の出張だ。珍しく羽田空港に集合。

羽田空港の方が、成田空港よりもお土産屋さんの陳列が分かりやすかった。そのせいか、品揃えもよく見える。どこに何があるか分かる、ということは、そのまんま、欲しい品物に到達しやすいということで、だから、品揃えがよく見える、という効果を生むらしい。大事なことだなあ、と思う。

* * *

ミンダナオ島の政治情勢が少しだけ悪くなったらしい。爆弾を持って移動中の車が検挙され、爆弾テロの計画が疑われているとのこと。そんなこんなで、今回の業務にはセキュリティ・エスコートがつくことになった。果たして、どうなることやら。でも、カガヤン・デ・オロの人々の生活は、全ッ然、変わっていないんだろうなあ。

2014年9月14日 アリさんバンク。

また海外出張。今回はセブ。本日より出発。今回こそ全ッ然、ノー準備。丸腰でゴー、である。忙しかったなあ、一週間。ようやく昨日1日、お休みがあって、ほっとできて、ちぃ子とゆっくりして、それから夜中に大慌てで準備をした。

YCATで成田へ。このルートも、お馴染みになってしまった。あ、そうそう。セブのErnieさんとMyraさんへのお土産として、横浜の崎陽軒で月餅を買おうと思って少し早く家を出た。そうしたら、電車で成田に向かうティー嶋さんと遭遇。車内で食べるシュウマイ弁当を買いに来たのだとか。この広い横浜で、たった5分そこらの買い物なのに、こんなところで遭遇するのだから、不思議なことである。ああ、オチはない。

セブに入る。飛行機が2時間遅れで夜の9時にホテルへの到着になってしまった。先に現地入りして、別のホテルに宿泊しているアリさんとユー田さんが、わざわざホテルまで顔を出してくれた。しかも両替の時間がなかったボクに取り敢えずの軍資金を貸し出してくれる。アリさんバンク。非常に助かる。

今回のホテルは一力茶屋。日本人の女将さんが経営するホテル。マンダウェのASフォルチュナ通りにあるホテルなので、観光したり、買い物したりするには不便なところ。どこに行くにもタクシーが必要そうだ。

2014年8月20日 エクスキューズ・アス!?

さて。いよいよ帰国だ。空港に向かう。うっかり髭剃りをトランクの奥深くに仕舞いこんでしまったので、もう、無精髭のまんまだ。

ニノイ・アキノ国際空港で、カエルの皮財布を買ってしまった。本物のカエルの皮でつくった財布だ。衝動買い。そのまんま、カエルの姿をしている。こんなのを日本でぶら下げて歩いていたら、仰天されてしまうだろうなあ。悲鳴を上げられてしまうかもしれない。

帰りの飛行機の中で、フライト・アテンダントが2人、カーゴを押して料理を運ぶ。そのうちの1人が「Excuse us! Excuse us!」と言いながら通路を通っていく。ああ、そうか。二人だから《私たち》なわけだ。初めて聞いたよ、「Excuse us!」。面白いなあ、英語。でも、難しいなあ、英語。

そんなこんなで、ようやく日本に帰り着いてほっとする。そんな日。

2014年8月10日 身体を空っぽにして……

日曜日。イエーイ。久々にどフリーである。

今回の業務では土日も移動だったり業務だったり、いろいろなイベントがあって、完全にフリーな日は今日が初めて。ようやくの休み、という感じ。Jollibeeでお昼を食べたり、マッサージを受けてみたりする。何て贅沢なこと!!

下田美咲のハイテンション・コール動画に癒されながら、勉強したり、雑記を整理したりする。こうやって、一度、身体を空っぽにして、それから、また明日からいろんなものを溜め込んでいくのである。ララララーイ、ララララーイ……。

2014年8月8日 レチョン・バボイ

本日は友人Rachelさんの家に招待される。噂には聞いていたけれど、本当にレチョン・バボイ(Lechon Baboy)が振る舞われた。レチョン・バボイは豚の丸焼き。フィリピンでは定番のパーティ料理だ。パリパリの皮と肋骨の周りについた肉がおいしいとのことで、チャレンジしてみる。確かに皮はパリパリで香ばしいし、肋骨周りは何故だか味が染みていて美味しい。でも、脂っこいので、正直、ボクはちょっと苦手だなあ。

Rachelさんの家にはカラオケ・セットがあった。フィリピン人は歌が大好きだ。気がついたら、いつの間にかカラオケ大会になって、みんなこぞって歌い始める。でも、Rachelさん夫婦が圧倒的にうまい。日夜、自宅のカラオケ・マシンで訓練しているのだろう。ボクも英語の歌を覚えておけばよかった。そうしたら、喜んで参戦したのになあ。

2014年8月6日 「そりゃあ、フィリピン時間だから!」

朝、9時にBalulang地区で待ち合わせ。昨日の測定の続きをする予定だったのに、時間になっても現地スタッフは現れない。現場のスタッフに「そりゃあ、フィリピン時間だから!」と笑われた。仕方ないなあ、もう。15分遅れでセッティング開始。昨日よりは手際もよくなって、30分くらいでセッティングが完了、測定に入る。ボクたちはそれを見届けて、Kauswagan事務所へ移動した。

Kauswagan事務所では、配管や溶接のスタッフがいたのでヒアリング。たまたま異形管の製作を見ることができた。筒状の金属を切って、溶接して曲がり管と片落ち管を製作していた。規格サイズの工場製品と違って、曲がりの角度も自由だし、前後の直管部の長さも自由自在なので、現場に合わせて好きに作れるのだとか。そういう意味じゃ、規格サイズの工場製品と一長一短。必ずしもどちらがいいとは言えないなあ、と思う。

夜はGerry’s Grillにてディナー・ミーティング。隊長のNさんは無謀にもマルガリータを頼む。でも、出てきたのはどうもブルー・マルガリータっぽいぞ。ブルー・キュラソーが入っている。しかもちゃんと混ざっていなくって、温い。初心者の頃の自分のカクテルを思い出す味だ。

あ、そうそう。ホテルの洗濯が異様に安い。3着頼んで49.5PHPだったので格安だ。そこら辺のランドリィと対して変わらない。ホテルとしてマージンをとっていないのかもしれない。ものすごく良心的な価格設定だ。

2014年8月5日 「Soft Opening」という選択

今日は早速、朝からMacasandig地区にて調査開始。その後、カガヤン・デ・オロ川を渡って、Balulang地区に移動して調査だ。既存の計測器の精度がどんなもんかを、日本から持っていった機材で調べる、という寸法だ。慣れないせいか、なかなか簡単に測定できない。今日はやっとの思いで3か所測定できた。でも、段々、彼らも慣れてきたみたいだ。明日は調子よくぽんぽんと測定できればいいなあ。

* * *

夜はAleというお店でディナー・ミーティング。入り口のところに「Soft Opening」と書いてあった。ケンさん曰く、《試しオープン》というニュアンスの意味だそうだ。まだまだ正式なオープンの前だから、不慣れな点や不備があったら許してね、ということらしい。海外では、こういう開店もよくあるのだという。辞書で調べてみると、「部分開業」とか「一部開業」みたいな訳語が引っ掛かる。対する言葉が「Grand Opening」で、「全面開業」。そう言えばマカティのホテルもテレビの回線が引かれていないのに営業を開始していた。こういう「Soft Opening」みたいなやり方も、案外、ありなのかもしれない。こういう「Soft Opening」で不具合を発見して、修正して「Grand Opening」に持っていく。日本じゃ、あんまり聞かない用語なので、勉強になった。

2014年8月4日 ビサヤ語のディスカッションが始まりました!?

本日はキック・オフ・ミーティング。今回のプロジェクトの概要を現地スタッフに伝える。現地スタッフからも報告があったが、我々が日本に戻っている間に、着々と新しいメンバが増えて、ようやく念願の2チーム編成になったらしい。スタッフの研修、インセンティヴ・メカニズム、業務のアウトソーシング……。考えることはたくさんある。

Macasandig地区の事務所で前回持っていった機材を確認する。敢えて現地スタッフのNikz氏に使い方を説明させる。これってひとつのうまいやり方だ。ボクが使い方を英語で説明するのは大変だけど、彼らが彼らに説明をするのだから、ボクとしては楽チン。それでいて研修になっている。「ビサヤ語でいいですか?」とNikz氏。「いいよ」と答えたら、彼ら、ビサヤ語でディスカッションを始めた。もちろん、ボクはビサヤ語なんか分からない。でも、議論は白熱しているし、みんな頷いているから、きっと理解できたのだろう。

夜は議長と総裁からもてなされる。フィリピン料理のレストランCagay-Anonで晩餐。ケンさんと議長が頻りにパロ(アヒルの有精卵)を勧めてくる。もしかしたら、今回の現地業務で挑戦することになるかもしれない。それはそれで……いい経験?

2014年8月3日 テロルの現場に立ってみる。

Limketkaiセンタにて両替屋さんを発見。0.4200。マニラよりも若干、レートがいい。Limketkaiセンタは中国資本で作られたショッピング・センタ。でも、2013年7月にイスラームの過激派による爆弾テロルが発生して、今でもその爪痕が残っている。

2013年7月に起きた爆弾テロルの場所を訪れてみる。いまいちLimketkaiが盛り上がらないのは、このテロルを引きずっているからなのだろうなあ、と思う。開発が途中で頓挫している感じ。あっちこっち工事中のまんまだし、テナントの空きも多い。人はたくさん来ているのに、前回来たときから工事が進む気配もないし、テナントが埋まる気配もない。

爆弾テロルの現場
爆弾テロルの現場

夜はレストランSIAMへ。隊長のNさんは昼間、散歩がてら、下見に来たらしく、ワインがあることをすでにチェックしていた。「SIAMにはワインがあるよ!」と嬉しそうだ。でも、今回はワインではなく、アブソリュート・ウォッカを注文。ロックで飲む。ウォッカと言えば、ボクはカクテルにしてしまうけれど、こうやってロックで飲むという飲み方もあるのだなあ。ボトル・キープも出来るらしいけれど、4人であっという間に1本、空けてしまった。アルコホル漬けの生活である。

2014年8月2日 Pearlmont Hotelもいい感じ!!

本日は移動日。カガヤン・デ・オロへ向かう。それにしても、マニラの国内線の発着フロアのレストランはイマイチだ。前回の日本食レストランの丼ぶりも、汁でびしょびしょで酷かったけど、今回のイタリアンもレンジでチンのクオリティ。基本的に、空港ってその国の窓口だ、と思う。マニラなんて、フィリピン各地へ移動するトランジット空港なのだから、外国人観光客にとってのフィリピンの印象を決めてしまう。国策として、もうちょっとちゃんとしたレストランを入れた方がいいだろうな、と思う。第一印象って、大事。

今回は何故だかエクセス・チャージは要求されなかった。前回は10kgまで許容されているチケットだったはずなのに、空港の窓口で0kgと認定されてしまって、散々な思いをした。だから、今回はみんなで荷物を軽くして臨んだのになあ。拍子抜け。窓口でいろいろ訊いてみたけれど、我々は全員で148kgの許容値を持っていると説明される。148kgって何の数字だろうか。「ポンドじゃないの?」って訊いてみたけれど「kgだ」と説明される。うーん。この辺、担当者の匙加減みたいで嫌だなあ。でも、あんまりしつこく訊いていると0kg認定されてしまうのも嫌なので、ほどほどで切り上げる。

カガヤン・デ・オロの空港でドライバのDodjeさんと久々の対面。懐かしい。ようやく現地業務が始まったなあという感じ。

カガヤン・デ・オロの拠点になるPearlmont Hotelは重厚感ある調度品に囲まれて、なかなか素敵な雰囲気。アンティークだ。こういうホテルのチョイスってロジ担当に任されているので、いつだって不安に駆られる。前回はシャワーのお湯が出ないというトラブルがあって、現地に来てみないと分からないことってたくさんある。今回はマカティのFersal Hotelもよかったし、Pearlmont Hotelもいい感じだし、どちらもいいホテルだったのでよかった、よかった。

アンティークなPearlmont Hotel

2014年8月1日 初日からドライバが来ないアクシデントにハラハラ!?

マカティ通りのFersal Hotelは案外いい感じのホテルだ。意匠がみょうちきりんなところはあるけれど、でも、きれい。朝食のときにスタッフに訊いてみたら、どうも7月半ばに出来たばっかりなのだという。Wi-Fiもブイブイ使えるし、何よりもリーズナブルだ。

Fersal Hotel(マカティ通り)

出来立てほやほやなので、まだテレビが開通していないらしい。こういうところがフィリピン・クオリティだ。普通、テレビを開通させてから開業するだろう、と思うのは、ボクが日本人だからだろうか。まあ、基本的にはボクはテレビを観ない(日本でもほとんど観ない)から関係ないんだけど、他のメンバは退屈だったかもしれない。まあ、次回以降はさすがに開通しているだろうから、今後、活用できそうなホテルだな、という印象。

こういうホテルの選定って、現地ロジのボクに任されているので、内心、到着するまではドキドキする。旅行の幹事もそうかもしれないけれど、口コミを参考にしながら、そりゃー、慎重に選ぶわけだ。でも、今回、ボクは冒険をした。出来立てのホテルなので、口コミが1件しかなかったのだ。それを信じてみたわけ。マニラ首都圏に宿泊するなら、今後、このホテルも候補に挙げていいな、と思った。

本日は朝から打ち合わせ。でも、朝、頼んでおいたドライバに連絡を取ったら、急遽、ドライバを変更したいと申し入れがあった。そして、代わりのドライバはもうホテルのロビィに着いている、と伝えられる。ロビィに降りてみるも、ドライバは来ていない。ああ、これはきっとネプチューン通りのFersal Hotelと勘違いしているのだ、と直感的にボクは思う。それから、急ぎ、新しいドライバの連絡先を訊いて、電話をかけてみる。相手はいろいろと何か喋っているが、電話越しだと全ッ然、分からないボクだ。だから、もう、こちらの意向を一方的に伝えるのみ。完全なる一方通行だ。まず、彼がネプチューン通りにいることを確認する。それから我々がマカティ通りにいることを伝達する。そして至急、こちらに来てもらうように指示。拙い英語で必死になって喋っているボク。朝から冷や汗ものである。

その甲斐合って、打合せには時間通りに到着。メインの説明はケンさん。流暢な英語で説明する。でも、ちょいちょいこちらに振ってくる。アドリヴで英語を話さなきゃいけないので、四苦八苦だ。そんなフィリピン生活の最初の日。